『 無縁坂 』
こないでったら ― よらないでよッ!
ア ・・・ アナタは疫病神よ !!
いきなりそう叫び駆け出した <彼女> は ― 次の瞬間 爆音とともに砕け散った。
・・・硝煙の中、<彼女>の残骸がそこここに転がっている。
ジョーは一瞬の出来事に 呆然としたまま凍り付いていた。 やがて がくり、と崩れ落ちる。
そして フランソワーズはそんなジョーをまじまじと見つめ、
ちがう・・・ちがうの! それはわたしじゃない・・・と 必死で叫んでいた・・・・
― お願い、ジョー! よく見て・・・! それは わたし じゃない・・・!
「 ・・・ う ・・・ ジョ ・・・− ! ちが ・・・う ! わたしは ・・・ ここ ・・・! 」
声を出して彼を呼びたいのに。 自分はここにいる、と蹲る彼に告げたいのに。
フランソワーズは身動きもできず 声すら出せない状態にもがき苦しんだ。
「 う・・・・ ううう ・・・・ あ ・・・あら? 」
― 突如 咽喉が楽になり声を絞りだせた! と思ったとき ・・・
自分自身の呟きで 目が覚めた。
見開いた目に映るのは ― 見慣れた自室の天井だった。
「 ・・・ あ。 な・・・んだ・・・・ 夢だったのね。 ・・・ ああ、またあの夢・・・!
ほっんとうにしつこいんだから・・・! ああ ・・・ イヤな汗・・・ 」
びっしょりとパジャマを濡らす冷たい汗に 彼女は思い切り顔を顰めた。
「 ・・・ う ・・・ん ・・・? 」
隣でジョーが微かに呟き もぞり、と動く。
「 あ・・・ いけない・・・・ ジョーを起こしてしまうところだったわ・・・
ああ ・・・ 本当にイヤな夢! やっと忘れたかな・・・って思ってたのに。 」
フランソワーズはぶつぶつ小声でつぶやきつつ、毛布の下で う〜〜ん・・・と身体を伸ばす。
寒い朝、隣に眠るジョーの広い胸の温もりは心地よく、彼女はこっそり顔を摺り寄せた。
彼女だけが知っている彼の香に浸り、とろん・・・と再びまどろみかけ ―
「 ・・・ え?! 今 ・・・ 何時??? 」
砂漠の中に出現した超ハイテク都市 ― そこを支配していたコンピューターは万能を謳われていたが
自らの意志で自己の一部を破壊し、単なる 機械 に戻った。
フランソワーズは開放され、 コンピューターの <人格> も消えた ・・・ らしい。
サイボーグ達は 大なり小なり複雑な気分を抱えたまま、帰還した。
仲間が全員無事だったのと、<公認の仲> の二人が ― 特にジョーが ― 自覚を深めあったことを
皆は心から喜び 楽しいからかいのネタを仕入れたのであった。
今回のミッションは無事解決し 彼らは安堵のうちにそれぞれの国に、生活に戻っていった。
当の二人も帰還後には 日々ひとつ部屋で休むようになり博士を安心させた ・・・・
見た目、あの事件の影は完全に払拭された様子であったのだが。
― あのコンピューターは かなりの性悪、というより執念深い所謂粘着気質だったらしい。
アレはとんでもないお土産を残していったのだ。
それは 記憶。 いや ・・・ 単なる 思い出 と言っていい。
もちろん、潜在意識に深く潜み 日々持ち主を苦しめる・・・といった深刻なものではない。
しかし 誰にでも思い出したくないコトというものは存在するし、しばしば夢に登場・・・・などは御免被りたい。
記憶の中の小さな棘は 些細であってもかなりな影響を及ぼすものだから・・・。
― そう、 アレはそのことを承知でプログラムしたのかもしれなかった。
その プログラム とは。
フランソワーズの心の中に、あのクローン・ロボットの爆破シーンがそっと沈められていたのだ。
夢は単なる夢に過ぎないのだが ― たびたび悪夢に魘される本人はかなり・・・ 参っていた。
その朝も ― 彼女は例の夢からやっと抜け出せ、あれは現実ではないとほっとしたのも束の間・・・
がば! と飛び起き枕元を捜したが目覚まし時計が見当たらない。
「 あら? でも・・・ 昨夜、確かにアラームは掛けたわ。 どうして鳴らなかったのかしら??
そもそも時計は どこにいるの〜〜 ? お〜い・・・ 」
フランソワーズは ばさり、と枕を持ち上げたり毛布を捲ったりし始めた。
「 ・・・ う・・? う〜〜ん ・・・・ ああ もう 朝 かァ ・・・・ 」
彼女の隣で セピア色の瞳がぼんやりと開き ぼわぼわした声が聞こえてきた。
「 ジョー? あ 起こしてしまった? ごめんなさい。 あのね、今 何時かなって思って・・・ 」
「 ・・・ ? ああ ・・・ お早う 〜〜 フランソワーズ・・・ え 時間? 」
「 そうよ。 目覚まし時計が見当たらないのよ。 」
「 ・・・ とけい? ・・・ ああ、それならさっきさ、ジリジリうるさいから・・・ぼくがアタマの下に敷いたのさ・・・
え・・・っと。 ああ、あったあった。 はい、 これ。 」
ジョーは枕の下から 時計を引っ張り出し彼女に差し出した。 寝起きながらにっこり笑って・・・
「 ・・・ さっき ・・・ 鳴った?? ― ウソ〜〜〜!!! こんな時間〜〜〜 」
次の瞬間。
フランソワーズは時計をジョーに放り投げ ついでに彼女自身をベッドから放り出した。
「 ひど〜〜い!! ジョーってば。 起こしてくれればいいのに・・・! 」
「 あ・・・だってさあ きみってばすごくいい気持ちそうに眠っていたから。
起こさないようにってアラームを止めたのさ。 あ ・・・・ もう聞こえないかあ・・・ 」
ジョーがベッドでのんびり答えているうちに 彼女はあっという間に床に散らばっていた服を拾い集め
身に付けると、階下へ駆け下りていった。
「 ・・・うわぁ ・・・ フランにも加速装置が付いていたのかなあ・・・ ふぁ〜〜〜 」
ジョーはそんな彼女の様子をぼんやりと眺め・・・大アクビをした。
「 お早うございます〜〜 !! スミマセン、今すぐに朝御飯 作りますから! 」
「 おお お早う。 ああ・・ワシはよいよ。 コーヒーは淹れておいたからな・・・ 」
普段から朝の早い博士はリビングで 悠々と新聞を広げつつコーヒーを啜っている。
キッチンにはちゃんと豆を挽いて淹れたコーヒーの香ばしい匂が満ちていた。
差し込む朝日とともに、とても理想的な朝、の風景なのだが・・・
「 わ・・・・ありがとうございます! すぐにトーストとオムレツ、作りますね。
え〜と・・・・ あら? パンがないわ。 昨日買ってきておいたのに・・・ ウチキパンのバゲット〜〜 」
フランソワーズは冷蔵庫を開けたり 戸棚を覗いたりキッチン中を駆け回る。
「 ・・・ おはようございます〜〜 博士。 ふぁ〜〜〜 」
ジョーがのんびり起きてきた。 ・・・ 彼にしては早起きな時間らしい。
「 あ ジョー・・・ 朝御飯 ちょっと待ってね、今すぐ・・・ パンはどこにしまったのかしら・・・ 」
「 ・・・う〜ん・・・ え。 パンって。 あのフランスパンのことかなあ。 」
「 え? フランス・・・って・・・ ああ、そうよ、あのバゲット。 昨日買ってきて・・・
まだ半分残っていたでしょう? さっと霧吹きしてトーストすればまだ美味しく食べられるのよ。 」
「 うん、美味しかったよ♪ ・・・・ごめん、ぼく、昨夜の夜食に食べちゃったんだ・・・ 」
「 ・・・ え。 夜食?? だってジョー、ちゃんと晩御飯、食べたでしょう?? 」
「 う〜ん そうなんだけど。 ははは・・・どうもやたらと腹、減ってさ。
夜中に水、飲みにキッチンに降りてきたらあの美味しいフランス・パンが半分残ってて・・・
うん、ほんの一口って思ったんだけどさ。 気がついたら全部食べちゃってた。 ごめんね〜 」
「 ・・・ い、いいけど。 でも! 今朝のパンがないのよ? 」
「 大丈夫さ。 ぼく、ちゃ〜んと炊飯器のタイマー、朝にセットしておいたんだ。
・・・ あ〜炊けてる・炊けてる♪ うわ〜〜 美味しそうだなあ〜 さあ、朝御飯にしよう! 」
「 え・・・ ゴハン・・・? ・・・ いいけど・・・・ あ、待って! 今オムレツを焼くから。 」
「 あ、いいよ、いいよ。 それよか〜 ほかほか御飯の最高・簡単メニュウにしようよ。
さあさあ ・・・ 博士もフランも座って、座って。 」
ジョーはご機嫌で 博士に椅子を引きフランソワーズの肩に手を当ててテーブルの前につれていった。
「 ほう? 朝飯はジョーの料理かい。 ははあ・・・電子レンジでちん! ってヤツか。 」
「 ちがいますよ〜〜博士。 でも手間はチン! とたいしてかわらないけど。
え〜と。 まず熱々の御飯をよそいますね〜 ぼくは大盛りっと。 」
ジョーは三人の茶碗に炊きたて御飯 を盛り付けてゆく。
「 ??? ジョー・・・悪いんだけど、わたし、あんまり時間がないのね・・・ 」
「 うん、もう出来上がり、だから。 小鉢はあるよね。 それじゃ ・・・ はい、どうぞ! 」
ジョーは二人に たまご を手渡した。
「 ・・・ たまご? これ・・・ゆで卵なの? 」
「 ぶ〜〜! ちがいます! これは 生卵。 今朝はニッポンの伝統食・たまごかけごはん♪ なんだ〜 」
「「 たまどかけごはん??? 」」
異なる文化圏出身の二人は 思わず声をそろえてしまった。
「 そうです。 まずね〜 卵を・・・ こうやって、ね・・・ 」
・・・ コンコンコン たまごが小鉢の縁で軽快な音を立て始めた。
「 ・・・・ あ〜〜 美味しかった♪ ゴチソウサマでした♪ あ、博士、如何でしたか?
フラン〜〜 どう、食べれた? 生たまごって・・・抵抗あったかなあ。 」
ジョーは 卵の殻を集めつつ、にこにこ顔で二人に尋ねた。
「 いやぁ・・・ 美味かったぞ。 うんうん・・・生卵が御飯の熱で半熟ふうになっておるし・・・
ははは・・・ あまりの美味についつい過してしまったよ。 」
「 わあ、よかった! ね? 美味しいでしょう、卵かけ御飯って。
えっへん、日本が世界に誇る超インスタント・超美味メニュウだと思うな、ぼくは。 」
「 そうじゃなあ。 ワシら年寄りにはむしろカップ麺よりこちらの方がいいな。 」
「 そうですねえ。 わたしもこの御飯、好きだわ〜〜 リゾットみたいで美味しかったわ。 」
博士もフランソワーズもどうやら大満足の様子に ジョーもにこにこしている。
「 ありがとうございます・・・って、これは大抵の日本人は好きだけどさ。
ぁ・・・・ ねえ、フラン? あの・・・急いだほうがいいんじゃないかなあ。 」
ジョーはフランソワーズに おずおずと声をかけた。
彼女は ― やっぱり空っぽになった茶碗を置いて、ゆっくりとお茶を飲んでいる。
「 ・・・ え? あ! いっけない〜〜〜
あんまり美味しかったので ついぼ〜っとしてしまったのよ。 大変〜〜 」
ガタン!と椅子を鳴らしてフランソワーズは慌てて立ちあがった。
「 ねえ、ぼく、駅まで送ってゆくよ。 車、回すから門のとこで待っててくれる? 」
「 え・・・いいの。 」
「 勿論。 だってさ〜 ぼくにも責任、あるからさ。 ほら・・・仕度してこいよ。 」
「 ・・・ ありがとう! 」
フランソワーズはさ・・・っとジョーの頬にキスを落とすと 二階の自室に飛んでいった。
「 ・・・ ふふふ・・・ お前たち、仲がよくて結構なことじゃよ・・・ 」
「 あ。 ・・・ は、博士・・・ 」
ジョーは今更のように 赤くなり、そんな彼をながめ博士は満足の笑みを浮かべていた。
「 ・・・ なあ? きみさ、このごろ・・・ 」
「 え ・・・ なあに? ・・・ あ! もう〜〜〜またはみ出しちゃったァ〜 」
「 ご、ごめん・・・ 」
「 あ〜あ・・・ これじゃ パンダになっちゃう〜〜 」
「 きみはべつにパンダじゃないと思うけど? 」
ジョーはハンドルを握りつつ そう・・・・っと助手席に目をやった。
隣の席では彼の恋人が ― 化粧の真っ最中 ・・・ なのだ!
寝坊した上にのんびり朝御飯を食べてしまい、大慌ての彼女をともかく車に押し込んだ。
「 でもね、ジョー。 朝は道が混んでいるから JRとメトロを使ったほうが早いのよ。 」
「 うん、わかってる。 だから 途中のターミナル駅まで送るから。
それならいいだろう? 多分・・・間に合うさ。 」
「 そう?? ありがとう〜〜 ジョー!! 」
ぱっと彼に抱きつき 頬にキスをして。 次の瞬間から 彼女は化粧に没頭した。
「 あ・・・いや〜〜 えへへ・・・ うん? 今日ってなにかあるのかい? 」
「 え? なに? 」
「 だからさ・・・ そんなに熱心に化粧してるから。 特別なことでもあるのかな〜って・・・ 」
「 え? あら、これは単なる身だしなみ、よ。 いつもやってるわ。 ジョーが気が付かないだけ。 」
「 ・・・あ ・・・そ、そうなんだ・・・ 」
「 う〜ん・・・揺れる車内でって やっぱり・・・難しい〜〜 」
「 ・・・ あのゥ〜〜 フラン? 」
「 ・・・ う〜ん・・・これで・・・上手く・・・ え。 なに? 」
「 うん ・・・ あのさ。 きみ・・・この頃よく魘されているのだけど・・・ 悪い夢でも 見た? 」
「 え ・・・? 」
フランソワーズは 思わず手鏡とビューラーを顔の前から下げた。
「 ・・・ 悪い ・・・ 夢? 」
「 うん。 ちがう とか わたしじゃない とか・・・ 寝言を言ってる。
どうしたんだい?って ぼくが声をかけると ああ・・・って溜息ついて寝ちゃうんだ。 」
「 ・・・ え ・・・ ちがうって言ってた? わたし・・・ 」
「 うん。 ねえ、なにか気になることでもあるのかい。
なあ、 よかったら話してみないか。 悪夢はヒトに話すと消えるっていうよ? 」
「 ・・・ え ・・・ そ、そうなの? 」
「 うん。 抱えこむのは やめようよ。 」
ジョーは晴れやかに笑う。 いつもはほっとする彼の笑顔が ・・・ 今朝はちょっと眩しい。
・・・ でも・・・ 言えないわ・・・
ジョーだって あんなコト、もうすっかり忘れたいでしょう?
わたしだって アナタに思い出してほしくないもの・・・
・・・ その笑顔、 曇らせたくないの
「 ・・・ ありがとう、 ジョー。 でも 大丈夫よ、ちょっと・・・疲れていただけだと思うの。 」
「 そう? それなら・・・いいんだけど。 あ・・・ 次の角で停めるよ。 駅はそこを 右。 」
「 うわ〜〜 ありがとう、ジョー♪ たすかったわ! 」
もう一度、 彼の頬にキスすると、 フランソワーズは身軽に車から飛び出していった。
「 ・・・ えへへ・・・ なんか役得・・・ でも ・・・ 本当に大丈夫、なのかな。
<あれはわたしじゃない! > って。 ・・・ やっぱり・・・? 」
あっという間に人波の中に消えた恋人の後姿を ジョーはいつまでも心の中で追っていた。
「 お早うございま〜す・・・ 寒いわねえ。 」
「 あ、お早うございます〜〜 ほっんと、寒いですよね〜〜 」
次々とダンサー達が集まってくる。
皆 大きなバッグを抱えころころ着膨れていた。
ダウンのコートを着てニット帽をかぶったり手袋をしたり・・・都心でのスタイルにしてはいささか大袈裟にみえる。
「 もう・・・着替えるのに時間がかかるわよねえ。 でも寒くて寒くて・・・」
「 ほっんと、寒いですよね・・・ あ、この前のハナシですけど・・・ ゲネはいつですか。」
「 ねえねえ? 〇〇のバーゲン、いつから? 」
「 え〜と・・・? 確か葉書が来てたわよ? ・・・ ああ、ほら。 28日からだってさ。 」
「 アタシ、ポアントがもうないのよ〜〜 」
「 △△さんね、 やっぱりダメだって。 」
「 え・・・ 脚? 」
「 そう、膝 ・・・ もうクセになってるんだってさ。 」
更衣室で彼女達は手早く着替えつつ 口の方も賑やかに動かしていた。
「 ・・・・ お早う・・・ございます! 」
「 あ、フランソワーズ! お早う! どうしたの、ぎりぎりじゃん・・・ 」
最後に飛び込んできた亜麻色の髪の女性は ・・・ はあ〜〜っと大きく息をついている。
「 ああ ・・・ 間に合ったわぁ・・・ みちよ・・・お早う・・・ 」
「 ・・・? 具合、悪いの? なんかさ・・・顔色、よくないみたいだけど。 」
「 そ、そう? もう・・・寝坊して大急ぎで来たから・・・ 」
「 そうなんだ? 急げ〜〜〜 あと5分だよ! 」
「 え、ええ・・・・ 」
最後の彼女は 大きなバッグを床に置き大急ぎで着替え始めた。
・・・・寝坊だけじゃないのよね うう ・・・ く、くるしい ・・・
優雅なピアノの音に乗って 一斉にダンサー達が動き出す。
身体を伸ばし 引き上げ 集め。 離して 高く差し上げ 保って。
皆が 踊り という頂点を目指して身体をまとめ上げてゆく ・・・・
フランソワーズの水色のレオタードにも すぐに汗が滲み始めた。
この国に住み着くことになってから、 フランソワーズは再び踊りの世界へ足を踏み入れた。
始めは ほんの時たま・・・楽しめれば、と思っていたのだが。
彼女はたちまち夢中になり、 今では毎朝熱心にレッスンに通っている。
勿論 <事情があって> 長期に休まなければならないこともあったが・・・
レッスン後、お茶を飲んだりお喋りに興じる友達も何人かでき、いま 彼女は充実した日々を送っていた。
今朝も ぎりぎりになってしまったが、なんとかレッスンに間にあった!
きゅ・・・っとポアントのリボンを縛り、バーを握って。
ギシ・・・っと音を立て、立ち上がる。 途端にアタマから爪先まで ぴん ・・・と一本の線が通る。
フランソワーズはそんな瞬間が大好きだ。
ああ ・・・ 今日も踊れるのね・・・! 神様 ・・・ ありがとう・・!
毎朝 彼女は小さな幸せに胸を震わせ、喜びにほんのり頬を染めているのだ。
― だけれども。
「 ・・・ はい、そのまま。 ルルベ バランス ! あら 揺れているのは誰?
フランソワーズ !? 後ろに反ってますよ! 」
全員がキレイに伸び上がっているなか 一人揺れればたちまち空気が動き目だってしまう。
・・・ ! い・・・いけない ・・・! あれ・・?
フランソワーズは懸命に姿勢を立て直すが 余分な力が入り身体はゆらゆら・・・定まらない。
「 ほら 力まないの。 まっすぐにまとめあげて・・・! 」
う〜〜〜ん・・・!? あれれ・・・ イヤだぁ〜 全然身体がいうこと、きかない・・・
その朝、バーレッスンの初めから 彼女はなにやら大苦戦をしてしまった。
そして ―
「 軸脚! ズレてますよ! ほら、フランソワーズ、どこに脚を出しているの? 」
「 フランソワーズ! ちがう ちがう、顔、こっち! ちゃんと指示を聞いていたの? 」
「 ・・・ 脚、反対!! フランソワーズ、こんなこと、言わせないで頂戴。 」
「 ほら〜〜 アントールナンじゃなくてフェッテ! フランソワーズ!? 今朝はどうかしてますよ、あなた。 」
レッスンの最後の最後まで ― フランソワーズ・アルヌール嬢は注意されまくっていたのだ。
「 ・・・ ねえ、 どうかしたの? 脚、 痛い? 」
「 ・・・ みちよ ・・・ 」
レヴェランスでレッスンが終ると 小柄な女性がそっと訊ねてきた。
丸顔で目のくりっとした彼女は 初めてフランソワーズがレッスンに参加した時にたまたま
バーが隣あわせになったのだが、今では大の仲良しさんなのだ。
「 ・・・ ううん。 あの・・・ ね。 笑わないでくれる? 」
「 え・・・ なにを。 」
「 うん ・・・ あの。 わたし、今朝が滅茶苦茶だった理由なんだけど。 」
「 ?? 聞いてもいいなら・・・聞くけど? 」
「 ・・・ ええ。 あの ・・・ ・・・・・・ 」
フランソワーズはみちよの耳元で ぼしょぼしょと呟いた。
「 ・・・・??? ええ〜〜〜 たまごかけごはん ??? 」
「 み、みちよ・・・ そんな大声で・・・ 」
フランソワーズはあわてて周囲を見回した。
クラス・レッスンが終っても 大半のダンサー達がそれぞれ自習したりクール・ダウンをしたり・・・
スタジオに残っている。
「 平気だよォ 皆自分のことに熱中してるから・・・ くくく・・・それで つまりお腹 いっぱいだったわけ? 」
みちよはタオルで顔を覆っている。 肩がぷるぷる震えていてどうやら爆笑を抑えているらしい。
「 そうなの。 普段からわたしって 動く前にはあんまり食べないのよ。 だけど・・・ 」
「 あ〜わかるわかる・・・ 胃が一杯だとさ、ポール・ド・ブラとかすると うっぷ・・・って・・・ 」
「 そうそう・・・ それでね〜 いつもはスタミナ補給くらいにしておくの。
だいたい、いつも朝はパンだし。 ごはんってキライじゃないけど・・・重いのよね、
でもね。 でも ・・・ あんまりあんまり美味しかったから つい・・・
ジョーったら お茶碗に御飯を山盛りにするし・・・ 」
「 あははは・・・ 卵掛け御飯ってお初だったわけ? そりゃ〜〜 食べ過ぎるわよねえ 美味しいもの。
するする入っちゃうけど、でもあとから どど〜〜ん・・・・とお腹に溜まるよね。 」
「 ええ ・・・ 今朝はもう〜 ず〜っと胃の中の御飯と戦っていた気分よ・・・ 」
「 そりゃ〜 順番もなにもアタマに入らないよねえ・・・ ははは・・・ でも、さ
ちょっとこう・・・嬉しいというかほっとしたっていうか 」
みちよはころころと笑い続ける。
「 ?? ほっとしたって・・・なにが? 」
「 え・・・ あ 笑ってごめんね〜 でもさ、フランソワーズでもそんなコトがあるんだ〜って思って。 」
「 そんなコト? 」
「 うん。 アナタってさ、こう〜〜 美人でお姫様みたいで 近寄りがたいカンジもするんだけど。
あはは・・・ たまご掛け御飯に負けた〜 なんて楽しいなあって。
アタシなんかと同じとこもあるんだなって ちょっと嬉しくなったわけ。 」
「 そんな・・・わたし、皆を同じよ? ・・・ ううん、同じ以下だわ・・・ 散々叱られるし・・・ 」
フランソワーズは しょぼん・・・とタオルに顔を埋めて座りこんだ。
「 あは・・・ ま、そんな日もあるかな〜って。 誰だって ついてない日ってあるよ。
それより さ。 ふうん? あの茶髪のカレシ、 ジョー っていうんだ〜 ふう〜〜ん・・・ 」
「 ・・・ え。 あ・・・あの。 えっとォ〜・・・ カレシ、というか・・・ 同居人よ! 」
「 超〜〜素敵なカレシだよねえ〜 いいなあ。 同棲してるんだ♪ いいなあ〜 ふう〜ん♪ 」
何回か ジョーが仕事帰りに迎えにきてくれたことがありみちよとは面識があった。
「 同棲っていうか・・・ でもね! そもそも今朝の寝坊だって ジョーが目覚ましを・・・
みちよ・・・あの!・・・ 聞いてくれる? 」
「 あらら・・・ うん、いいよ〜。 それじゃお茶 してゆこうか ちょっとだけなら時間あるし。 」
「 え いいの? うわ・・・嬉しいわあ。 お友達とお茶なんて久し振りなの。 」
「 ふうん? あ・・・そか。 いっつもあのカレシと一緒なんだ? この、このォ〜〜♪ 」
「 あ〜〜 そんなコトないのよ。 いろいろあって・・・ね!」
フランソワーズとみちよは ポアントを脱ぎ始めた。
「 だってさ、幸せいっぱ〜い♪ なんじゃないのォ〜 あんな素敵なカレシと一緒でさ。 」
「 ・・・ それが ね! ジョーったら・・・ね! 今朝もね・・・ 」
「 はいはい、 存分にノロけてくださいな。 さ、シャワー浴びてこよ。 」
「 ええ 急ぐわね。 」
きゅ・・・っと靴を足から剥がすみたいに脱いだ途端に ―
ぶち。 ポアントにヒモが切れた・・・
「 ・・・ァ。 やだ〜〜 また縫い直さなくちゃならないじゃない〜〜
ああ ・・・ もう柔らか過ぎるから新しいの、作らなくちゃ・・・ 」
ふう〜〜 っとまた溜息が逃げてゆく。
柔らかくなってしまったポアントも。 順番が全然アタマに入らなかったのも。
そして ポアントにリボンが千切れたことまでも。
全部、何もかもがなにやらジョーのせい ・・・・ のような気までしてきてしまった。
「 やだ。 わたしってイヤなコ・・・ ジョーはなんにも関係ないのに。
これってただの八つ当たり、よね・・・ ああ でもなあ ・・・ あ〜あ・・・ 」
「 フランソワーズ? なにしてるの〜〜 」
「 ・・・ みちよ。 ごめんなさい、今 ゆくわ。 」
リボンの半分とれた靴をバッグに放り込み、 フランソワーズは慌ててみちよの後を追った。
ざわざわざわ −−−−
その駅も 他と同様に多くの人波が絶えず動いていた。
この街って。 ほっんとうにいつでも・どこでも ヒトがいっぱい・・・
みんな急いで 脇目も振らずに歩いているのね。
電車を降りてそんな人波からなんとか抜け出し 改札口を出て ― フランソワーズはほっと溜息をついた。
この国の、特に首都のこの街の忙しなさには もう充分に慣れている・・・つもりだった。
しかし どこへ行っても常にざわざわとしている環境に 時にはうんざりとしてしまう。
ウチの辺りが あんなに辺鄙な場所でよかったわ・・・
こんな街の真ん中に住んでいたら ― わたし、どうかなっていたかも・・・
彼女自身の生まれ育った街も ヒトが溢れていたけれど。 もうちょっと余裕があった、と思う。
勿論 忙しいヒトも多かったけれど、のんびりとお日様相手にカフェで過す・・・そんな時間を人々は愛していた。
だからといって この首都の街がキライ、なのではないけれど・・・
フランソワーズはもう一度 軽く溜息をつくと きょろきょろ左右を見回し始めた。
「 え〜と。 あ、あっちはあの大きな劇場があるところね。 この前、〇〇を観に来たわ。
それじゃ ・・・ こっちかしら。 この道の奥の方かなあ・・・ 」
走り書きのメモを片手に フランソワーズは道を渡り建物を左にどんどん進んでいった。
― 冬晴れの空を 鳥が数羽つい・・・・っと横切っていった。
「 そっか〜〜 ようするに。 フランソワーズは < ついてない > 日だったってことね。 」
「 ・・・ ついてない?? 」
「 そ。 日本語でね〜そんな風に言うのよ。 ねえ、 何座だっけ? 」
みちよは なんとかラテ・・・というクリームたっぷりのコーヒーをかき回している。
レッスン後、二人は一筋表通から外れた場所にあるカフェで おしゃべりをしていた。
フランソワーズの <今朝のできごと> を聞き、 みちよはくすくす笑った後で
多少 勿体ぶって ― そう言ったのだ。 ・・・ ついてない、 と。
日本語にはほとんど不自由しなくなっているけれど、 時々独特の言い回しや古風な表現には
まったくお手上げだった。
ギルモア博士に聞いても判らないこともあったし、ジョーに至っては母国語なのに全然役に立たなかった。
ジョーったら。 だってここはアナタの国でしょう??
このヒトって。 文学的なことには関心がないのかしら・・・
さあ?わからないよ。 と簡単に答えるジョーにフランソワーズはこっそり肩を竦めたものだ。
「 何座・・・って。 ああ ・・・ 星占いね? 」
「 そうよ。 ねえ、 お誕生日、 いつ。 」
「 わたし、 水瓶座なの。 バースディは1月24日。 」
「 そうなの? あら 年が明けたらすぐね。 ・・・まあ ともかく。
本日の水瓶座さんは ついてない 運勢だったんだよ。 ・・・ そう思うと楽じゃん。 」
くるり、と大きな瞳を瞬かせみちよは屈託なく笑う。
「 え・・・ そ・・・そうかしら。 」
「 そうだよ。 どうしようもないコトって。 こう・・・誰のせいでもないけどムカつくとか。
情けない・・・とかさ。 そいう時にはそんな風に思ってみれば? 」
「 ・・・ ついてない、か。 ふうん ・・・ 面白い言葉ねえ。 」
「 うん、そうだねえ。 あ、ウチの姉が言ってたんだけど。 <ついてない> ことを払ったりすると
なんか気分が替わるんだって。 」
「 はらう??? 」
またまた意味不明な言葉に このパリジェンヌは目をまん丸にしっぱなしである。
「 う〜ん ・・・ なんて言えばいいかな。 ・・・気持ちをリセットするってことかなあ。
縁切り寺 とかもあって。 これは相手と別れたい時に行くんだってさ。 」
「 ・・・あの。 わたし、別にそんな・・・ 」
「 わ〜かってますって。 フランソワーズのは、ノロケ半分だもんね〜〜 」
「 みちよ〜〜 ノロケてなんかいないわよ〜 ・・・でも 別れるとかそんなのは・・・ 」
「 きゃ〜〜 真っ赤になっちゃって♪ フランソワーズってほっとうに可愛いのね〜 」
「 みちよ〜〜 」
甘いカフェを味わいつつ そんな女の子同士のお喋りに興じるのはやっぱりとても楽しかった。
「 ヒマがあったら、行って見れば? 無縁坂 っていうのもあるんだって。
自分自身で もう忘れましたって思い切るのも いいんだろうね。 」
「 へえ・・・ むえんざか、ねえ。 」
別にジョーが悪いのではない。 たまたま間の悪い偶然が重なってしまっただけなのだが。
・・・ あなたは 疫病神よ!
突然 例の夢での言葉が耳の奥から聞こえてきた。
「 ・・・ やだ・・・わたしったら。 そんなこと・・・ でも、そんな風に思う気持ちがあるのかしら・・・」
「 え? なに。 どうしたの。 」
「 ・・・ あ、 ごめんなさい。 ちょっとぼんやりしちゃった ・・・ 」
「 ねえ〜 フランソワーズ、 やっぱりちょっと疲れているんじゃない?
たまにはさァ こう・・・ぼ〜〜っとして気持ち、リセットしておいでよ。 」
みちよは ずずず・・・っと甘ったるそうなコーヒーをずず・・・っと啜った。
「 あは・・・なんだっけ? そうそう <はらう> といいのね?
みちよはいろんなこと、知っているのねえ。 ジョーなんか 全然ダメなの。 」
「 そりゃ〜 男子には無理じゃない? アタシのはね、ほとんと受け売りなんだわさ。
姉がね〜 文学少女系でさ、いろいろ聞かされてるんでね。 」
「 ぶんがくしょうじょ・・・? あ、なとなく雰囲気がわかるわ。
ジョーなんかは 非・ぶんがくしょうねん っていうのかしら・・・ 」
「 え〜〜 フランソワーズって面白いねえ。 ・・・でもちょっと気が晴れた? 顔色、いいよ。 」
「 え・・・あ。 そう? ― ねえ、 その・・・なんとか坂って。 どこにあるの。 」
フランソワーズも 冷たくなったカフェ・オ・レを飲み干すと みちよに熱心に尋ねた。
そして ・・・
また聞きだけど・・・と彼女が書いてくれたメモを片手に フランソワーズは気持ちの <リセット>の地
に向かったのだった。
「 ・・・ふうん? この辺りはヒトが少ないのねえ・・・ 駅前とは大違いだわ。 」
少し歩くとほどなく彼女は所謂住宅街に出た。
きちんと整備された道が一本 ・・・ ひっそりと続いている。
通行人の姿もなく、冬の平日の午後、あたりは森閑としていた。
「 ・・・ へえ・・・ こんなトコロもあるのねえ。 もっと緑があったら パリに似てるかも・・・ 」
車の影すら見えない道を折れると 緩やかな坂になっていた。
あ。 ここが ・・・ そうなの? 〜〜坂 ・・・
みちよが言っていた坂の名が 脇にある石柱に記してある。
「 ・・・ ここを歩けば。 もやもやいらいら・・・が消えるかなあ・・・ 」
コツ ・・・ ン
大きなバッグを持ち直し フランソワーズはその坂を歩き始めた。
「 ― あの。 すみません ・・・ ? 」
突然。 まったく突然に後ろから声が飛んできた。
「 ・・・・??! 」
フランソワーズは 咄嗟に耳を稼働させさりげなく足を止めた。
「 ・・・ はい? 」
できるだけゆっくり。 言葉がよくわからない風に、ぎこちなく。 いざとなれば重いバッグも立派な武器だ。
フランソワーズはバッグをしっかりと掴みつつ、振り返った。
「 ・・・ なにか・・・ごようですか? 」
「 あ・・・ あの。 すみません! T大学のキャンパスはこの先、ですよね? 」
目の前には この街のどこにでもいる風な青年がたっていた。
ひょろり、とした体型でGパンにダウン・ジャケット、キャップを被っているので表情ははっきりとはわからない。
しかし、 特に変わった雰囲気もなく ― つまりあまり目立たないタイプに思えた。
とりあえず 危険度は低い・・・わね。
でも ・・・ このヒト ・・・・ どこから現れたの??
ゆっくりと相手の言葉を反芻し 理解しよう・・・としている様子を見せつつ、フランソワーズは素早く
その青年をスキャンした。
・・・ 大丈夫。 普通の人間 ・・・ だと思うわ。
「 あの ・・・ ごめんなさい。 わたし、初めてここにきたので わかりません。 」
こんな時にはいかにもガイジン! といった自分の容姿に感謝しつつ・・・
フランソワーズは心持ち首をかしげ じっと青年を見つめた。
「 あ。 す、すいません! あの・・・言葉、わかりますか 」
「 はい ・・・ あなたの言っていることはわかりますが。 道はワカリマセン。 」
「 あ・・・ こりゃ・・・参ったなあ。 すいません ・・・ 」
青年は少し照れた様子で しきりと謝っている。
「 他のヒトに聞いた方がいいと思いますが。 」
「 あ・・・ そ、そうですね。 でも ・・・ 誰もいなくて。 あ、独り言です、気にしないで・・・ 」
「 はい。 わたしこそ お役に立てなくてごめんなさい。 」
フランソワーズは ちょっとだけ微笑むと青年に背を向けた。
「 ・・ あ ・・ あの。 多分こっちでいいと思うので ・・・ あの・・・よかったら。
そこまで一緒に ・・・ そのう・・・歩いてもいいですか。 」
「 ・・・ わたし この坂を見にきたのですけど。 」
「 坂? ・・・ ああ、 ここは坂道なんですね。 勾配が緩いから気がつかなかった・・・ 」
「 そうですか。 」
青年は特に接近してくる、といった風ではなかったが フランソワーズは心持ち道の脇に寄った。
「 あ、すいません・・・ 図々しいこと、言って。 別にヘンな意味じゃないですから安心してください。 」
「 ・・・ はあ ・・・・ 」
そもそも突然現れて 一緒に歩いてもいいか・・・なんて聞いておいてなによ?と思ったが
なんとなく間伸びのした声に 警戒心が緩んだ。
「 この坂。 なにか謂れがあるんですか? 」
「 ・・・ ご存知ではないのですか。 有名な坂、とききましたけれど。 」
「 有名な坂 ・・・? さあ・・・ 全然聞いたこと、ないですよ。 なぜ有名なんですか。 」
「 ・・・ いろいろと その。 ・・・ 気持ちを切り替えたい時に・・・ 」
「 え? なにを替えるって? 」
「 気持ち・・・というか。 そうですね・・・忘れたいことがある時とかに。 」
何時の間にか 二人は連れ立って坂を歩いていた。
両側には大きなマンションが建っていたが しばらく行くと旧い煉瓦の塀になった。
「 忘れたいって・・・ ああ ・・・ 失恋とかですか。 」
「 ・・・ いえ ・・・ いやな思い出は ここを歩いて忘れてしまいたいだけです。 」
フランソワーズは独り言みたいに 思わずこころの内を呟く。
「 嫌な思い出・・・? それを忘れたいのですか。 」
「 ・・・ ええ。 消してしまいたいの。 」
「 ・・・ ナゼダ ドウシテダ ・・・ワカラナイ・・・ !! 」
突然 彼女の脳内に あの声 が響いた。
「 ??? だ、誰・・・・ ま さか・・・・ カール・・? 」
「 ソウダ ・・・ ワタシハ カール。 アノ砂漠ノ都市ヲ支配シテイタ・・・ 」
「 ・・・ やっぱり。 アナタは ・・・ 消えてはいなかったのね。 」
「 やあ。 覚えていてくれたんだね、 003 ・・・ いや、フランソワーズ。 」
あの耳障りな合成ヴォイスが突然消え ごく普通の若い男性の声にかわった。
彼は いま 彼女の目の前に立っていた。
「 また ・・・罠なの。 わたしをどこかに閉じ込めて自分の自由にするつもりなの。 」
フランソワーズは彼を ― さっきまで彼女の脇を歩いていた青年を ― じっと見つめた。
どこにでもいる、あまり目立たない・・・はずだったのだが。
<彼> は ほんのちょっと前とは全く違った笑みを浮かべている。
・・・ 見える・・・! わたしには この笑顔の向こうに カールの姿が ・・・ 見えるわ。
いえ、感じているのかもしれないけど・・・
「 そんなに警戒しないで欲しいな。 ほら ・・・ 一緒にこの坂を歩こう。 」
青年はごく自然に肩に手を回してきた。
「 ・・・! 触らないで! ・・・ なにが目的?! 」
「 お・・・相変わらずつれないなあ。 そんなに僕がキライかい。 」
「 ・・・ キライとか好きとか。 そんな感情はアナタに対しては持たないわ。 」
フランソワーズは青年の手を振り払い、 数歩引き下がった。
「 そうか。 もし 僕が 彼 だったら。 きみは・・・ どうするかな。 」
「 ・・・え? 」
目に前の青年の姿が一瞬ぼやけた、と思うと次に瞬間にフランソワーズの目の前には ―
「 やあ。 フランソワーズ。 午後の散歩は気持ちがよかったかい。 」
「 ・・・??? ジョ ・・・ ジョー??? 」
「 一緒に僕も散歩していいかな。 ここは静かでいい場所だね。 」
今朝 車で送ってくれた彼と寸分も違わぬ笑顔で ジョーが立っていた。
「 ・・・ ジョー・・・なの? 」
「 他の誰だと思っているんだい? 君の<眼>でようく見たらいい。
僕はどこもかしこも ・・・ <ジョー> そのものさ。 」
「 ・・・ とっくにスキャンしたわ。 でも・・・わからなかった。
なにかがわたしの能力 ( ちから )を 邪魔してるわ。 」
「 ふうん? 別にそんなこと、どうだっていいじゃないか。
あのなあ。 君さ。 もっと自由に好きなだけ踊りたいんだろう? 」
< ジョー >は 誘い込むみたいな笑顔を彼女に向ける。
「 え・・・? え ええ。 でもそんなこと・・・ 」
「 こんなゴミゴミした街じゃなくて。 あの未来都市にさ、君専用の劇場を作るんだ。
そして君が主役になって 好きなだけ好きな作品の公演をすればいいよ。 」
「 ・・・ ジョー・・・? 本気で言っているの? 」
「 勿論。 だからさ、あの都市に行こうよ。 僕も踊っている君が一番好きさ。
他人の下についてごそごそやる必要はないよ。 」
「 ・・・ あの・・・砂漠の都市に行くつもり? あんなコトがあった場所へ? 」
「 うん、 彼の希望だし。 」
「 ― 彼 ? 」
再びあの青年 ― いや、 カール・エッカーマンが現れた。
「 ・・・ カール?! 」
「 そうです、僕のたっての希望ですから。 フランソワーズ、あなたを改めて僕の街、
あの砂漠の未来都市へご招待しますよ。 」
独特の口調に 聞き覚えがあったが ・・・ フランソワーズは鳥肌のたつ思いだった。
あの ・・・ 冷たい機械の心がわたしを包み込んでしまう・・・!
「 ・・・ わたし。 結構です。 もう帰ります。 」
「 おっと・・・ 待ってください。 僕だときっとお気に召さないと思いますから。
アナタの恋人に案内してもらいましょう。 くくく・・・彼は一応、僕の分身ですから。 」
「 ・・・ え? 」
フランソワーズは ぱっと <ジョー> の側から飛び退いた。
「 おやおや・・・そんなに警戒しないでください。
大丈夫、 彼は全くアナタの好みのままに作りあげた < ジョー > なんですよ。
アナタの気にいらない言動は一切いたしません。 」
「 アンドロイドなの・・・ ? 」
「 いやいや、そんな機械だなんて 無粋な。 彼は クローン です。 」
「 ・・・ クローン・・・? そんなことまでして・・・ 」
「 さあ、行きましょう。 アナタの望みが全て叶うパラダイスへ・・・
優しい恋人に見守られながら、好きなだけ踊るといい。 アナタは ・・・幸福に笑っていればそれでいい。」
す・・・っと カ−ルが近づいてきて彼女の腕を取った。
「 こんなことをして ・・・ アナタになんのメリットがあるの? 」
「 ふふふ・・・ 恋愛はプラス・マイナスで割り切って考えられるモノじゃない、と教えてくれたのは
フランソワーズ、アナタですよ? ええ コレは僕の< こころ >です。
アナタをいつも 側で眺めていたいのですよ。 さあ 行きましょう。 」
カールは彼女を無理矢理車に 乗せようとした。
見かけとは裏腹なその強さに フランソワーズはずるずると引き摺られてゆく。
彼の手は がっちりと彼女の腕に食い込む。
「 ― く ・・・ ! や・・・めて! 」
「 素直に従って頂ければなにも乱暴なことはしませんよ、マドモアゼル。 」
「 放してッ !!! 」
「 避けんでも無駄です、 この空間はシールドしてありますから。
くくく・・・忘れましたか? 僕は万能のコンピューター、なんですよ? 」
「 ・・・ やめて!! 」
バ −−−−−− !!!
突如 ― 一条のレーザーが カールとフランソワーズの間を分離した。
「 な、なにをする!? 」
「 くそ! クローン・ロボットのくせになんというザマだ! 」
カールは振り向き様、至近距離から彼自身の作品 ― クローン・ジョー を撃ち抜いた。
「 ・・・ く ・・・ゥ ・・・・・ 」
< ジョー > は呻き声を発しただけで吹っ飛び・・・ 地面に転がった。
「 ば・・ばかな・・・! 製作者の僕の指令に背くなんて・・・!
たかが ・・・ クローンが。 万能の僕のプログラムに逆らうなんて・・・! 」
呆然と佇むカールの腕からフランソワーズはようやっと逃れた。
「 ・・・ それはね、 カール。 あの時と同じよ そっくりさん は ジョーと同じに行動したのよ。 」
「 ジョーと ・・・ 同じに・・? 」
「 そうよ。 クローンであっても。 <ジョー> はジョーだったの・・・
彼はね、わたしが嫌がることは絶対にしないの。 」
「 ・・・ そ ・・・ そんな ・・・バカな ・・・・ 」
「 アナタ、自分で言ったじゃない。 全ては心の問題だって。
サヨナラ。 もう 二度と会いたくないヒト。 」
フランソワーズはくるりと踵を返すと スタスタと歩き始めた。
そう ・・・ あの坂を下ってゆく。
「 ・・・くそゥ〜〜 待て・・・! 」
「 フランソワーズ −−−− !!! 」
「 あ。 ジョー !! 」
一陣の赤い旋風が 彼らの前に飛び込んできた。
「 きみが ・・・ 心配で。 今朝の様子がどうしても気になって・・・
ごめん、稽古場に行ったんだ。 そうしたら途中であの目のくりっとした友達に会って ・・・ 」
ジョーはみちよから フランソワーズの行き先を聞いたのだ、という。
「 そう・・・! ジョー・・・ ああ ・・・ ジョー・・・! 」
ジョーは しっかりと彼の恋人を抱き寄せる。
「 フラン・・・ ふん、こいつ。 性懲りもなくまた現れたんだな。 」
ジョーはす・・・っとスーパーガンを抜くと追い縋ってくる <カール> に向けた。
「 おっと・・・ 乱暴は止してくれたまえ。
ふん、僕にだってプライドというものはある。 お前の手になど、掛かりたくないからな。 」
<カール> は ゆっくりとフランソワーズに向かって問いかけた。
「 ・・・ 君。 もう一度だけ 聞きたくて。
僕の気持ち。 やっぱり受けていれてはもらえないのかな。 」
「 何回聞かれても 答えは同じだわ。 わたしの心の問題ですもの。 」
「 ・・・そうか。 」
ザザザザザ −−−−− !!!
突風が 音を立て彼らが立っている道を吹きぬけた。
一瞬 その衝撃に目を閉じ ― 再び目を開けたとき。
ジョーとフランソワーズの前には 誰もいない真昼の坂道が緩やかに広がっていた。
「 ・・・ あ ・・・・? 」
「 ああ ・・・ 去っていったな。 」
「 ・・・ ジョー・・・ !! 」
「 フランソワーズ ・・・ ! ふふふ・・・ もうぼく達は別に・・・なんて言わないぜ。 」
恋人たちは堂々と真昼の光の下、抱き合った。
「 え。 ジョーは それでいいの。 」
「 うん。 ぼくは ・・・ うん、忘れたくないんだ。 」
「 ・・・ そう ・・・ 」
フランソワーズが爆破した場面、たとえクローン・ロボットであってもその衝撃はジョーの心にも
深く染み付いていたのだ。
「 イワンがね。 その記憶を消そうか?と言ってくれたんだけど。 やめたんだ。 」
「 ・・・ どうして。 」
「 うん ・・・ あの、さ。 あのショックを二度と、 ううん、絶対に味わいたくないから。
ぼくはどんなことをしてもきみを護るんだ!って・・・ 何回でも思えるだろ。
だから・・・ ちゃんと記憶の底にしまっておくんだ。 」
・・・ ぼく達は人間だろ・・・ とジョーは独り言みたいに呟いた。
「 そうね・・・ そうね・・・・ ジョー。 」
「 うん。 フランソワーズ・・・ 」
「 わたしもね。 ジョーがわたしのためにぼろぼろ落とした涙は宝モノですもの・・・
やっぱり・・・ 思い出の底の底〜〜に沈めておくわ。 」
「 ・・・ふふふ・・・ジョー。 世界一素敵な わたしの疫病神さん♪ 」
フランソワーズは ジョーの鼻のアタマにちょん・・・・とキスをした。
― あの坂を 忘れることを願って歩く坂を。 二人は手を繋いで引き返してきたのだった。
***************************** Fin.
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Last
updated: 12,29,2009.
index
************ ひと言 ************
はい〜〜 あのオハナシの 落穂拾い・・・ってか そうだったらいいのにな〜・後日談です。
平ゼロでは散々だった・・・あのお話・・・ (;O;)
( ふん! なにが勘違いした、よ〜〜 ! (ーー;)★ )
原作ではちゃ〜んと二人はらぶらぶなのに・・・・って怒り・むらむらむら〜〜〜
ジョー君ってば本当にわ〜わ〜泣いますよね、可愛いにゃあ♪
ちょっとばかりフランちゃんの日常も書いてみたりして・・・・
こんな後日談も・・・あり、かな (^o^)
楽しんで頂けましたら嬉しいです、ご感想の一言でも・・・ぷり〜〜ず〜〜 <(_
_)>
あ・・・タイトルはその昔の さだまさし氏の曲名からパクらせて頂きました。