『 幻影の聖夜 』
(作者注 *幻影のせいや、です。 幻影のイヴ、ではありません )
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その日。 新世紀初めての聖なる日を明日に、パリの街はどこも賑わっていた。
皆、家族や親しい人々と過ごす喜びにどこかいそいそと家路を辿る歩みも軽やかだ。
そんな楽しいざわめきが溢れているこの下町の一角に 不似合いな高級車が止まった。
「 会長・・・本当におひとりで・・その、大丈夫ですか・・ 」
「 何度も同じ事を言わせるな。 一時間後に迎えにくればよい、わかったな 」
不機嫌そうな言葉を部下らしき男に投げつけ りゅうとした身なりの老人が歩道に降り立った。
「 いいんですかい? こんな寒空に会長をおっぽり出しちまって・・」
お抱え運転手が不安そうに助手席の秘書に尋ねた。
「 何を言ってもムダさ。 いつものことだが・・・特に毎年イヴが近ずくにつれ会長は不機嫌に
なって、まあ、もっとも四六時中眉間に縦ジワ、の御仁だがね。 あの場所へ来るんだよ」
「 へええ〜? なにか・・・イワク附きなんすかね? アソコが。 」
「 さあなあ・・・ま、さわらぬ神に祟りなしってコトだろ。 」
秘書氏はうんざりしたように肩をちょっと竦めた。 気難しやの老人の気まぐれには慣れっこだったのだ。
「 他人の詮索より、一時間おヒマがでたんだ、ちょいとノドを湿しに行こうじゃないか?
なあに イヴなんだ、多少のコトは皆大目にみてくれるさ・・・ 」
「 いいっすね! 」
その古びたアパルトマンの向かい側の歩道に老人はじっと佇んでいた。
脇を恋人たちが、家族ずれが、幾組も楽しげにすり抜けてゆく。
「 パパ、ママン、 おにいちゃ〜ん、早く早くう〜 ! 」
「 こ-ら、そんなに走っちゃ転ぶぞ〜? 」
きゃはは・・・軽やかな笑い声とともに駆け抜けてゆく兄妹・・・
そんな光景を追い、やがて老人は再び向かいのアパルトマンに視線を転じた。
「 ・・・・・今年もまた来てしまった・・・ ここがまだ在ることに俺はホッとしているのだろうか、
それとも 悲しんでいるのだろうか。
−あの窓。ああ・・・こうしていると今にもあの窓を開けてお前が手を振ってくれるような気がする・・」
『 にいさ〜ん! 気をつけて、いってらっしゃ〜い!! 』
「 あれから・・・かれこれ50年近くになるのか・・・。
もう終わりにしなければ・・・俺の中での想いに終止符を打ってやらなければ・・・妹も・・・
往くべきところへ往けないんじゃないだろうか・・・・
− お前もそれを望んでいるのかい・・・ 」
冬のパリはあっというまに日が傾きだす。
家々の窓に灯りがぽつぽつと点りだせば吹き抜ける風はその冷たさを増してゆく。
それでもなお、老人は石畳のうえに立ち尽くしていた。
「お前のために兄さんは世界中をまわってしまったよ・・・
ふふ・・・おかげでほんの片手間に始めた事業は大成功さ。もっともそんなことは
兄さんの望みなんかじゃなかったけどな・・・」
突然消息を絶った最愛の妹を探し求めて 兄はフランス国内はおろか世界中を廻った。
捜して捜して捜し続けて。
どんな小さな情報にもこころ躍らせ、そうして絶望した。 その繰り返しの日々・・・
歳月はそんな兄をいつしか青年飛行家から風格漂う銀髪の老人に変えていた。
それでも諦めきれずに 毎年必ず聖夜にはパリの街へ戻ってくる兄。
無駄と思いつつも下町のあの古いアパルトマンへ脚を運ばずにはいられない。
そして 開くことのないその窓を見上げ続けてしまうのだ。
「 新しい世紀を迎えて俺はもう置いて行かれる人間だ・・・この建物だって
いずれは取り壊されるだろう。 わかってる、わかってるんだ・・・
もうおわりにしなければならない。 ・・・・でも・・・ 」
何百回、いや何万回も繰り返してきたこの自問自答。
21世紀という新たな区切りを目の当たりにし、老人は何度目かの深い吐息をもらし、
自らを励まし踵をかえした。
「 あっ! 大丈夫ですかい、アンタ?! 」
「 大変! 御老人が倒れなすったよっ 誰か! 」
突然よろめいて石畳のうえに蹲ってしまった老人に近所の人々が飛んできた。
「 誰か、医者を、いや救急車をよべっ 」
そんな善意の人々の声が遠のく老人の意識の中で潮騒のように響いていた。
「 大丈夫かねえ・・・かなりのお年のようだし・・・今日は格別にひえるからねえ・・」
老人を乗せた救急車を見送ってアパルトマンのコンシェルジュ(管理人)の妻がつぶやいた。
「 ああ・・・。 結構長い間あそこにたっていなすったからなあ 」
初老の夫がぼそりと答えた。
「 そうだねえ。 ああ・・・そういえばあのヒト、去年もイヴにきてたねえ? やっぱり今日みたいに
じっとこっちを見上げてたよ 」
「なんでも ずっと昔ココに住んでたらしい。 妹さんとふたりで、ね。」
「へええ・・ なんか、忘れられない思い出でもあるんだろうかね・・・それで毎年・・・
そういえば ついさっきもココをじっと眺めてた娘さんがいたよ。 あのヒトがくる少し前にさ。
アイヴォリ−・ホワイトのコ−トのきれいなお嬢さんだったけどね。」
「 そうかい・・・ ああ、どうもチラチラきそうだなあ・・」
「 ぶるぶる・・本当だね、さ、早く仕事を済ませてしまおうかね、あんた。」
コンシェルジュ夫婦は肩を震わせて古い建物の中へ戻っていった。
日頃はなにかとざわめいている病棟の廊下も今夜はさすがに静かだった。
なかでも一際静まり返っている特別室では、豪華な調度だけが横たわる老人を取り囲んでいた。
「 あ、アンヌ、どう? あの救急車で運ばれてきた患者? 」
「 はい、落ち着かれたみたいです、さっき伺ったら目をさましていられましたわ。 でも・・」
「 でも? 」
「 え、あの・・あんな豪華な病室にたったひとりで・・・ご家族もお見舞いのお友達も、誰も。」
その若いナ−スはソバカスだらけの元気な顔を曇らせた。
「 ああ、あの御老人はね、著名な億万長者だけど見寄りの一人もなくて。イヴの夜ですもの、
義理の見舞い客なんか来っこないわよ。」
「 まあ・・・」
「 人間よりも財産を愛してきた人生の狎れの果て、じゃないかしらね。」
「 そんな・・。 伺った時にね、セピア色になった写真をじっと見てらしたんですよ。
それが 古い古い型の模型みたいな飛行機の前でとてもキレイなお嬢さんが笑ってるんです。
お孫さんですかって思わず聞いたら。 『 妹です 』ってぽつり、と。」
「 へええ〜〜 意外な過去ってわけね。 」
「 そう・・・きっと若くして亡くなったんですね、とても愛おしそうに眺めいらっしゃいましたわ 」
「 まあ・・人生、さまざまってコト。 さ、巡回をすませちゃいましょ。」
「 ・・・はい。 」
ちらっと特別室を振り返り、若いナ−スはぱたぱたと先輩の後を追っていった。
『 兄さんとのバレエはいやかい ?!』
明るい笑いが青空に弾けたよな・・俺の腕の中で嬉しそうに踊っていたお前。
あれは・・・ほんの、昨日のような気がするのに・・・
この半世紀、肌身離さず持ち歩いている写真に老人は語りかけていた。
お前が、俺達がなにをしたっていうんだ!
−いつもいつも 二人して一生懸命に生きていたじゃないたか・・・
だれが、なにが・・・・悪かったっていうんだ・・・ ああ・・・お前は・・今・・どう、してる・・?
「 ・・・・・! 」
ちから無くこうべを垂れていた老人は突然はじかれたように身を起こした。
「 ・・・呼んでいる、呼んでいるんだっ! お前が! 今、行くからっ 」
どこをどうやって来たのか、自分でも全く見当がつかなかった。
ふと我に帰るとなぜかかつての愛機を操縦し夜空に飛び出していた。
な、なんだ・・・俺は夢でもみているのか・・・ いや、今はそんな分析なんぞクソくらえだ!
どこだ、妹はどこにいるんだ、お-い、返事しろ、兄さんに合図するんだっ!!
一心に夜のパリの街を見下ろすのは もはや老人でなくひとりの血気逸る青年飛行家だった。
ああっ! あそこだっ、あの廃墟のような建物、教会の跡か? あそこに妹が!
あ、危ない!そのテラスは崩れかけているんだぞっ お-い、聞こえるかっ お-----い!!!
誰か気付いてくれ、側へいってやってくれ! 妹を助けてくれ!!
俺は・・・・俺は行かれない、行かれないんだっ!!
血を吐く思いに歯噛みをしつつ、兄はその廃墟の上空で旋回をし続けた。
誰だ・・・? なんだ、あの奇妙な赤い服は・・・いや、君!誰か知らないが、そこの君、お願いだっ
彼女を、俺の大切な妹を助けてやってくれっ!!
・・・・・そして 傍に居てやって・・・くれ・・・俺のかわりに、妹を護ってやってくれ・・・
頼む・・・頼む・・よ・・・
お前は生きていたんだね、ああ、それだけで充分だよ・・
こうしてお前の無事な姿を一目みられて 兄さんは満足だよ・・・
崩れかけた教会のテラスで 亜麻色の髪の乙女の横には茶色の瞳の青年が寄り添っていた。
ああ・・・お前は運命の相手にめぐりあったんだね、彼の手を離すんじゃないぞ。
そいつは お前にとってかけがえの無い存在になるよ・・彼にとっても同じこと・・・
・・・・しあわせに・・・しあわせに、な。
兄さんはずっと・・・こうしてお前たちを見守っていてるから・・・ずっと・・・
パリの夜空に真夜中の鐘が鳴り響き花火の音とともに人々の歓声がこだまする。
そんな華やいだ空気のなか、廃虚のテラスには寄り添ってその空をみあげる影があった。
― 古い古い飛行機はそんな二人を祝福するかの様に大きく旋回した。
Joyeux Noel! Ma cherie petite soeur, Francoise...
ふっと、その飛行機が消えた時に 寄り添い空を見上げていた二人は黙って見詰め合った。
メリ−クリスマス、ジョ−。
メリ−クリスマス、フランソワ−ズ。
そして。 二人は肩を寄せもう一度静かに聖夜の夜空を見上げた。
「 ・・・失礼します・・・もうお休みですか・・・・」
特別室のドアをそっと開けて、若いナ−スが顔をのぞかせた。
「 せっかくの聖夜ですから・・・コレ、わたしがつくったんで恥ずかしいですけど・・
ムッシュ−にと思って・・・ あっ・・・! 」
ナ−スの手から小さなクリスマス・リ−スが滑り落ちた。
老人は 静かに静かに横たわっていた。皺を刻んだ頬には不似合いな若々しい微笑みを浮かべて。
すでにその動きを止めた胸にはセピア色に変色した一葉の写真がしっかりと抱きしめられていた。
― 兄の ながいながい旅はその聖夜におわったのだ。
「− なんて 穏やかで 幸せな ほほえみ ・・・・ ! 妹さんに 会えたのね、きっと。
神様 どうぞ ムッシュ−・ジャン・アルヌ−ルの魂の やすらかならんことを・・・」
若いナ−スは涙ぐみながらも微笑み、十字をきり 低く呟いた。
I wish you a MERRY CHRISTMAS !
*** FIN. ***
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後書き by ばちるど
平ゼロ第11話への補足的?SSです。 ジャンお兄さん、大好きなんですけど・・・
本当は原作後期での様にフランソワ−ズと再会して欲しいんですが。
<第一世代設定>は妄想の宝庫ですけど、切ないですね。
Last update:
12,20,2002