『 おとうと 』
きゅ・・・っと音をたててまだ充分に長いシガ−が灰皿に捻られた。
紫煙が一筋、未練たっぷりに流れてゆく。
− ・・・ ったく ・・・ !
青年は盛大に舌打ちすると、ズボンのポケットをさぐった。
手繰り出した包みはぺたんこに拉げており、中味は空なのがすぐに見て取れた。
ふんッと鼻を鳴らし、彼はくしゃりとそれを握りつぶした。
ったく。 どいつもこいつも。 俺の意に反するヤツばかりだ。
彼はしばらく所在無さ気に天井を睨んでいたが、やがて椅子を鳴らして立ち上がった。
その音で 続きのキッチンから少女がひとり顔を出した。
「 お兄さん ? 」
「 ちょっと・・・出かけてくる。 ああ、すぐ戻るよ、煙草が切れただけだ・・・ 」
「 そう? もうすぐ御夕飯できるから・・・ なるべく早くもどってね。 」
「 ああ。 わかってるよ。 角のジョシュアの店まで行くだけだ。 」
「 ・・・ そう。 」
音をたててしまったドアを、妹はしばらくじっと見つめていた。
− お兄さん ・・・ 機嫌が悪いのね・・・
ふう・・・っと吐息を一つもらすと彼女はリビングに向き直った。
引き出されたままの椅子を収め乱雑に放り投げてあった新聞をきちんと畳みなおした。
テ−ブルの上、アシュトレイは吸殻で満杯である。
・・・ お兄さん ・・・ また、本数が増えたわ。
あの日、なんの知らせもなく突然帰ってきた妹を 兄は黙ってまじまじと見つめ・・・
そしてやはり何も言わずに 抱き寄せた。
何百回夢に見たかわからないこの香りと温かさに 兄も妹も涙と一緒に埋もれた。
・・・ 煙草くさい・・・
嬉しくて切なくて。 胸が一杯なのに全然関係ないコトバがもれてしまった。
・・・ はは ・・・ これでも減らしてるんだぜ?
抱き締めていた妹をちょっと放すと 涙の乾かない顔はすこし拗ねた口調で言ってみせた。
「 お前が帰って来るのだったら 何だって、どんな困難なことだってやります・・・
なんだってできます・・・ 俺は毎晩そう祈ってたからな。 」
いつも煙草の香りのしていた兄は照れ臭そうにわらった。
「 お兄さん ・・・ 」
「 神様にウソはつけんだろう? こうして・・・ またお前がココにいるんだもの。
なあ、フランソワ−ズ ? 」
「 ・・・ そうね 」
・・・神様は どうも半分くらいしか兄の<お願い>を聞いてはくれなかったのね・・・
フランソワ−ズはカフェ・オレを飲む振りをして、俯いた。
目尻に滲む涙を 兄にみられたくはなかった。
「 ・・・ファン? 」
「 ・・・ え? 」
懐かしい子供も頃の呼び名を聞いて、フランソワ−ズは思わず顔を上げた。
自分と同じ色の ・・・ いや、実際には全然違う<ホンモノ>の瞳がじっと彼女に注がれている。
陽に輝く麦藁色の髪が 短くなってもあっちこっちを向いている。
お兄さん ・・・ お兄さん、お兄さん ・・・ お兄ちゃん ・・・ !
どんなにこの姿を思い描いたことだろう。
何万回、夢の中でさえもその名を叫んだだろう。
・・・いつも目覚めれば 目の前にあるのは冷たい闇だけだった。
それが。 今 望んだコトが ここにある。
− ・・・ でも。
ここにいるのは。 ニセモノのわたし。
本当のフランソワ−ズはとっくの昔に ・・・ あの悪魔の島で死にました。
ここにいるのは。 カタチばかり似せた・悪夢の塊です。
「 いいんだ。 」
「 ・・・ え? 」
「 いいんだよ・・・ なんだって。 どうなっても・・・ 俺は神様に感謝する。
だって こうしてお前はココに確かにいるんだから。 」
「 ・・・・・ 」
声も出ず、ただただ涙を流し続ける彼の妹を青年はちからいっぱい抱き締めた。
「 おかえり。 フランソワ−ズ 」
「 ・・・ た ・・・ だいま ・・・ ジャン兄さん・・・ 」
あんなにも焦がれていた故郷の街は・空は・人々は。
以前とほとんど変わりなく、一見無関心にでもその分無造作に当たり前の顔をして
この少女を迎えいれた。
食事の準備をし、兄を送り出しすこし離れた地区に見つけたオ−プン・クラスのあるバレエ・スタジオへ
レッスンにでかける。
気軽に挨拶を交わしちょっとお喋りをする仲間も2〜3人はできた。
市場まで脚を伸ばし買い物をしたり、時には懐かしいカフェでひとりゆっくりとお茶を楽しんだ。
夕暮れの早いこの街に街灯の光が淡く滲む頃、アパルトマンの階段がぎしぎしと賑やかな音をたてる。
− ふふふ・・・・ お兄さん。 昔のクセが全然そのままなのね。
キッチンで夕食の準備に追われつつも、妹は聞き慣れた足音にそっと微笑みを浮かべた。
<以前>も、 兄は大股で階段を上り息せききって兄妹の部屋に帰ってきていた。
ひとりぼっちで自分の帰りを待つ小さな妹に、彼は気が気ではなかったのだ。
そして・・・ 今日も。
兄は靴音たかく石畳の路を急ぎ、階段を軋ませて駆け上がってくる。
・・・ そう。 妹の存在を確かめるために。 あの悪夢の日々を払拭するために。
「 ただいま、フランソワ−ズッ 」
「 お帰りなさい、お兄さん。 」
以前と少しも変らない挨拶を交わし、抱き合って頬にキスをする。
兄からは ・・・ いつもの煙草の香り。
妹は お気に入りのシャンプ−と母も使っていた懐かしいコロンの香り。
<変らない>ことに 二人は今、感謝しあっていた。
− こんな日々がまた帰ってこようとは ・・・ !
神様 ・・・ 数々の俺の暴言をお許しください!
・・・ 神様 ・・・ ありがとうございます・・・
平凡だけど、穏やかで平和な日々・・・・
兄妹は そんな日々がずっと続くよう心から祈っていた。
・・・・ が!
兄の<平穏な日々>は たった一言で脆くも崩れ去ってしまったのだ。
「 ・・・ お兄さん あの、ね ・・・ 紹介したいヒトがいるの。 」
ある晩、受話器を置くと妹は上気した顔を兄に向けた。
突然の国際電話に、彼女は一瞬顔を引き締め受話器を取ったがすぐに笑を浮かべた。
短いが楽しげな遣り取り ・・・ 兄には耳慣れない言葉だったが
妹の声の調子で面倒な問題ではないことがすぐに察しられた。
友達との電話に興じる・・・ そんな日々がまた妹に巡ってきたことが嬉しかった。
・・・ なんてまあ、幸せそうな顔をするんだ?
ま、こんな顔をまた間近で見られるなんて ・・・ 本当に夢みたいだ・・・
ジャンは新聞の陰で自分自身も自然に笑みを浮かべていた・・・ のに!
兄の小さな幸せは彼女の一言で雨散霧消してしまった。
紹介したいって?
それは ・・・ 付き合っているオトコがいるってことか?
・・・ああ、お前だって年頃の娘だもの。 男友達だっているだろうさ。
いつかこんな日が来るのはわかっていたよ。
こそこそ隠れて付き合っていないで、ちゃんと俺に紹介したいと言うのだ、まあ文句はない。
ない、が。
「 あのね。 彼が明後日・・・こっちに着くって言うから。 急に・・・その・・・チケットが取れて・・・ 」
ウチへ招待してもいい?
妹はさらに遠慮がちに、でも充分嬉しそうに言い放った。
なにもこんなに急に・・・ それも、明後日だと? いきなり殴りこみかよ。
・・・ 気に喰わないな。
「 もう呼んだんだろ? 」
「 ええ・・・ 彼ってパリは初めてだし・・・ その・・・ 」
妹の頬はさらに上気しつやつやと輝いている。
・・・ そんなに嬉しいのか。
「 いいさ。 お前のトモダチだもの。 きちんと挨拶してやるよ。 」
「 ・・・ ありがとう! お兄さん。 」
おい? どこかの唐変木野郎・・・ 覚悟しておけよ?
兄はばさり、と新聞を広げた。
・・・ふん。 気に喰わない。
まあ・・・こいつのメガネに適ったヤツなら相当のオトコだろうけれど、
俺の基準はもっと厳しいぞ?
ふん。 時と場合によっちゃ放り出してやってもいい。
妹には 俺が付いているんだから。
ぎゅ・・・!
ジャンはまだ見ぬソイツの代わりに煙草を灰皿に捻り潰した。
・・・ コレがその。 ナニか? フランソワ−ズが 俺の妹が、選んだヤツ・・・か?
兄は目の前に立っているオトコを上から下まで矯めつ眇めつした。
・・・なんてこった! これじゃまだコドモじゃないか!
翌日、いつも通りに階段を軋ませ帰宅した兄に
妹もいつも通りにドアを開け、にこやかにお帰りのキスをした。
・・・ そして。
「 お兄さん・・・ 紹介するわ。 ジョ−・シマムラよ。 ジョ−、兄のジャン。 」
「 コンバンハ。 ジョ−・しまむら です。 」
妹の後ろから不思議な発音の挨拶が聞こえ・・・
はにかんだ笑顔の少年がおずおずと手を差し伸べてきた。
− ったく! 気に喰わない・・・!
ジャンは拡げた新聞の脇から洗い物をしている妹の後ろ姿をじっと見つめていた。
ふんふん・・・ 微かに聞こえるハナ歌までもが気に障る。
身体全体から明るいム−ドが漂っている妹と不機嫌の塊の兄・・・・
二人はお互いの機嫌を充分に承知しながら 気がつかないフリをしていた。
・・・そう、子供の頃の兄妹喧嘩の時みたいに。
− お兄さんったら。 なによ、ジョ−の何処が気に入らないの?
− ファン・・・ あんな坊やのどこがいいんだ??
口元まで溢れてくる溜息を呑み込んで 兄はさっきから同じ紙面ばかりを見つめていた。
おい。なんで・・・アイツなんだ? 他のオトコじゃダメなのか? なあ・・・ファンション。
お兄ちゃんにはちっとも判らないよ。
ジョ−・シマムラ、と名乗った少年 ・・・
妹に注がれる眼差しは 限りなく優しく温かくジャンは一応は安心した。
まあ・・・な。 案外見かけとは違って豪胆なヤツかもしれんし・・・
東洋人は実際より若く見えるって聞くしな。
しかし。
3人で出かけた、ちょっとオシャレなカフェでジャンの機嫌はどんどん曇っていった。
・・・おい? お前、彼女に椅子も引けないのか。
なんで妹がギャルソンを呼んで注文しなくちゃならんのか?
いくら客とはいえ、彼女とその兄貴の前なんだ、少しはかっこつけたらいいじゃないか。
色づいたマロニエの葉に目を細める妹・・・ 葉っぱなんぞよりずっと魅力的じゃないか!
ぼ〜っと見とれてるだけなら犬でもできるぞ?
なんとか言ってやれよ。 君の方がずっと綺麗だよ、とかなんとか・・・
日本ではずっと一緒にいたんだろ? ふん、面白くないが・・・
久し振りのデ−トなんだ、手くらい握ってやれよ! 彼女が腕を絡めてきたからってどうして
びくつくんだ? そんなコトに目くじらをたてるほど、俺は野暮天じゃないぞ。
おら! すれ違う野郎どもがみんな振り返っているじゃないか。
今日の妹が気をいれておめかしし、新しい服を着ているのがわかるだろうが!
な ・ に ・ か! 一言いってやれよ〜〜〜 黙って赤くなってるのは信号だけで沢山だ。
− おい〜〜〜 それでもお前・・・ オトコかよ??
ガタン・・・!
ジャンは椅子を大きく引いた。
「 なに? 」
シンクの前からフランソワ−ズが振り向いた。
唇の端に微笑の影が残っている。
「 アイツは。 今日は何時ごろ用事が終るんだ? 」
「 午前中には終るって。 博士のお使いだから・・・すぐ、よ。 」
「 ふん。 なら・・・ アイツが帰ってきたらちょっと出かけてくる。 ああ、ヤツと一緒にな。 」
「 え・・・ ジョ−と? わたしも行くわ。 」
「 ダメだ。 これは男同士のモンダイだから・・・ お前は留守番してろ。 」
「 お兄ちゃん ・・・ まさか。 殴り合い、なんてやめてよね? 」
「 ば〜か・・・ 子供じゃないんだぞ。 」
「 ・・・ でも ・・・ 」
「 安心しろ。 アイツには指一本、触れやしないから。 」
妹の心配顔が可愛くて、ジャンはくしゃり・・・と彼女の髪を掻きやった。
「 とにかく ・・・ お兄ちゃんに任せとけ。 」
「 ・・・・ 」
数分前とは打って変わって上機嫌になった兄に、フランソワ−ズの心配は増すばかりだった。
− お兄さん ・・・ 馬鹿な真似、しないでね。 ジョ−と殴り合い・・・なんてやったら
怪我するのはお兄さんの方なのよ・・・ ( 勿論ジョ−は手加減するけど・・・ )
この街は午後も早くから夕闇が迫ってくる。
<秋の日は釣瓶落とし> ・・・ ジョ−から教わった日本語の言い回しがぴったりの季節だった。
その夕闇もとっくに 夜のホンモノの闇に座を空け渡している。
− ・・・ どこまで・・・何をしに行ったのかしら ・・・
ポトフの鍋がこれ以上火にかけておいたら煮詰まってしまう。
フランソワ−ズは何十回目かの溜息と一緒に鍋をレンジから降ろした。
食卓の準備は すっかり整ってしまった。
サラダは美味しく冷蔵庫で冷えているし。
あの店の特注バゲットが買えたのはラッキ−だった・・・。
デザ−トはジョ−の大好きなキャラメル・プリン、今日はかなり上手にできたと思う。
ちょっと ・・・ <目と耳>を使ってみようかな・・・
ふ・・っと沸いた誘惑にフランソワ−ズはきつく首を振った。
いけないわ。 絶対にダメ。
この・・・ お兄さんと暮らすこの部屋ではわたしは フランソワ−ズ。
それ意外にナニモノでもないの。 003・・・? そんな無味乾燥な記号は知りません。
・・・ でも。 なにか ・・・ 事故か事件に? ううん、ジョ−がいるから・・・ でも・・・。
ギシギシギシ ・・・
階段がいつも以上に派手な音をたて始めた。
あ♪ お兄さん! ・・・ この音だと二人分ね♪ ジョ−も一緒だわ。
ぱっと椅子からたちあがり、フランソワ−ズはお鍋をレンジにかけた。
火を細目にして ・・・ サラダは凍っていないわよね?
・・・ ドンドン ・・・!
「 ファン? お〜い・・・ 開けてくれ〜〜 」
「 なあに、どうしたの・・・ お兄さん。 」
格段に大きなノックに フランソワ−ズはドアに駆け寄った。
「 あ・・・ 助かったよ。 コイツ〜〜 見かけによらず重いのなんの・・・ 」
「 ・・・え? ジョ−は? ・・・・ あっ!? どうしたの? 」
「 ちょいと<散歩>してさ。 ふん、真っ青な顔してやがるから
気付け薬代わりにビストロで一杯引っ掛けたら ・・・ このザマさ。 」
「 ・・・ あ〜あ・・・ 」
ジョ−は真っ赤な顔で 兄の肩に引っかかっていた。
「 なあ。 お前・・・ 考え直したほうがいいぞ? コイツは ・・・ ダメだ。 」
「 お兄ちゃん! 酷いわ! 体質的にお酒がダメな人だっているのよ? 」
「 そりゃ、ま・・・酒はな。 だがな〜 」
「 ジョ−? 大丈夫? 気分、悪い? お水、もって来ましょうか? 」
妹は兄のコトバなぞてんで耳に入っていない。
ソファに転がされた彼氏の側に付きっきりである。
− ・・・ ふん! ったく。 女に看病されるのは十年早いぞ。
「 お兄さん!いったい・・・何をやったのよ? お酒を飲ます他に! 」
「 え〜 ・・・? ああ・・・ちょうど今日がウチの隊で<体験飛行しませんか> の日だったのを
思い出してさ。 コイツと一緒に空中散歩としゃれ込んだってわけさ。 」
「 ジョ−と? ・・・まさか ・・・ セスナとか小型グライダ−とか?? 」
「 いや。 初心者向けにちゃんとわが隊の二人乗りヒコ−キ、現役パリパリだぜ? 」
「 ・・・・・ 」
( ジョ−? ジョ−・・・ 大丈夫? )
( ・・・ う ・・・ あぁ ・・・フランソワ−ズ ・・・ )
( ねえ・・・ 兄と<飛んだ>んですって? )
( あ? ・・・ああ。 ・・・ もう 肝が冷えたよ・・・ )
( ・・・・・? )
( お兄さんさ・・・ 全然計器類とか無視して・・・ 後部座席のぼくを振り返ってばかりなんだ。
機もあんまり整備がよくないのに・・・ もう、いつ失速するか気がきじゃなかった・・・ )
( ヤダ ・・・ それで気分悪くなったの〜〜 )
( ああ・・・ もう、完全に<悪酔い>したよ。 その後でなんだか強いお酒、飲ますんだもの・・・ )
( ・・・ふふふ・・・ ごめんなさいね。 もうちょっと具合、悪いフリしてて? )
( 振り、じゃなくて。 ぼく、本当に目が ・・・回る ・・・ )
「 おい? そんなヤツ、じっと見つめてたってしょうがないだろ。
悪酔いなんぞ・・・ 放っておけばそのうち醒めるさ。
なんならアタマっから水をぶっかけてみるか? 」
「 ・・・ お兄さんったら・・・ じゃあ、ちょっと手を貸して。 ともかくベッドに運んであげなくちゃ。 」
「 俺〜〜 腹減ったんだけど。 お? 良いにおいだなぁ・・・・ ポトフか?
お前の料理もなかなか上手くなったもんだ。 」
兄はくんくんと大袈裟に鼻をならし、キッチンを覗き込んでいる。
「 お兄さん。 」
「 ・・・ はいはい、判りましたよ。 ったく・・・ よ・・・っ
なあ? こいつ、重たいなぁ・・・ 骨太っわけかな・・・ 」
「 こっち、わたしが持つわ。 」
フランソワ−ズはさっとジョ−の腕を肩にまわした。
「 ・・・おい。 真面目なハナシ、考えなおせよ。
コイツは確かに優しくて気のいいヤツだが・・・ いざって時に頼りになるヤツでないと。
俺は安心してお前を任すことが出来ないよ。 」
「 ジョ−は ・・・ 強い・・・ ううん、とても頼りになる人よ。
そう・・・ この世で一番、ね 」
「 そうかぁ? そういうのって惚れた弱みって言うのじゃないか? 」
「 お兄さん! 」
「 ・・・ ま、今晩一晩、よ〜く考えてみろ。 」
− ・・・・ったく。 だらしないヤツ・・・! こんな身内は持ちたくないからな。
兄はまたまた不機嫌の塊で客用寝室から出て行った。
( ジョ−・・・? 大丈夫? 今、お水持ってくるわね。 )
( あ・・・ありがとう・・ あの。 ごめん。 )
( え? )
( コレ・・・ 脳波通信・・・。
前に家では絶対に<能力>は使わないって言ってだろ・・・ それなのに ・・・ )
( いいのよ、ジョ−。 緊急事態、だもの。 )
「 ・・・ ごめん・・・ 」
掠れた声と一緒にセピアの瞳がフランソワ−ズを捕らえた。
「 ふふふ・・・ やっぱり本当の声がいいわ。
ジョ−・・・ ごめんなさいね。 お兄ちゃんが無茶やらせて・・・ 」
「 お〜い!! ファン? ポトフが煮詰まるぞっ! 」
ドアの向こうの声はかなり苛ついている。
「 あ・・・ いけない! ね? 晩御飯、食べれそう? 」
「 ・・・ う ・・・ ちょっと・・・ 無理、かも・・・ 」
「 そう・・・ 残念だわ。 」
「 ファンション〜〜〜! 」
はぁい・・・と大きく返すと フランソワ−ズはジョ−のおでこに軽いキスを落として
部屋を飛び出していった。
− ・・・ あ・・・ まいったなぁ ・・・・
ベッドに四肢を投げ出し、大きな吐息をふたつ・みっつ。
ジョ−は今、キスを貰ったおでこにそうっと手を当てる。
気分は最低だけど ・・・ なんだかふんわりいい気持ち・・・
天井のシミまでも 自分に笑いかけているみたいに思えた。
− ・・・ まいったけど ・・・ いいなぁ・・・こういうのも、さ。
ぽつん、と呟くとジョ−はそのまま眠りに落ちていった。
「 だから二人で行けばいいだろう! 妹のデ−トにくっ付いて行くほど
俺はヒマ人でも、無理解な兄貴でもないぞ。 」
「 いいじゃないの、お兄さん。 せっかくジョ−が来てくれたんだもの、一緒にでかけましょ。 」
「 ・・・ わかったよ・・・ 」
翌日、フランソワ−ズはまだすこし青い顔をしたジョ−と相変わらずの仏頂面の兄を引っ張り出した。
「 それで、何処へ行くつもりなんだ? 」
「 あのね。 お天気もいいし、モンパルナスの方まで行ってみない? 」
好きにしろ、と兄は黙って肩を竦めた。
「 ね、ジョ−。 市内でも素敵な場所があるから・・・案内するわね。 」
「 ・・・・・・・ 」
「 ? どうかした? あ、まだ気分悪い? 」
「 フラン・・・ なにかあったみたいだ。 ほら・・・ あの地下への入り口・・・ 」
「 え?? あ、あれはメトロの駅への出入り口よ。 ・・・ あ・・・・! 」
フランソワ−ズが言い終わらないうちに 2ブロック先に見えていた階段から
ばらばらと人々が血相を変えて駆け上がってきた。
みな、蒼ざめ口々になにか叫んでいる。
「 なに・・?! ・・・・え! 大変よ! なにか爆発があって ・・・
ブレ−キが故障した車両が暴走してるんですって!! 」
「 行こう! 」
「 おい! 野次馬はやめろっ おいったら・・・! 」
同時に駆け出して行った妹とその彼氏を ジャンは慌てて追いかけ始めた。
「 どう・・・ なにか、見える? 」
「 ・・・ まって。」
パニックに近い人波を掻き分け 階段を下りると地下は暗闇だった。
電気系統は完全にストップしているらしい。
換気もとまり、むっとした熱気と埃が篭っている。
乗換えホ−ムの方からも人々がばらばらと駆けてくる。
間遠にともる非常灯が ぼんやりと構内を照らし出す。
「 爆発の影響は今のところ、電気系統だけみたいね。
火災は幸い無いわ、ここでは・・・ 暴走車両はどうしたのかしら。 あっ。 」
「 ん? あ・・・来たね、すごいスピ−ドだ。乗客は無事か? 」
「 ・・・ ジョ−! あれは・・・無人だわ! それも一両だけよ。 多分意図的な暴走・・・ 」
「 ・・・ 酷いな。 」
「 ええ。 いったい誰が・・・! あ、もうすぐ来るわ。」
フランソワ−ズがジョ−の腕を引いたのと同時にホ−ムの端の方で悲鳴が上がった。
「 なんだ? どうした?? 」
「 大変! だれか落ちたわ! ・・・ え・・・あ・・・子供よ!! 」
「 どこ? あ、了解。 」
「 ジョ−! 加速はダメよっ。 」
「 わかってるって。 」
ジョ−は一言残すと、此方に走ってくる人々の間をたくみに掻き分けホ−ムの奥へ遡っていった。
「 おい・・・ どうなってるんだ・・・? アイツは? 」
「 お兄さん。 大丈夫? 」
人波に逆らってジャンがもみくちゃになりつつも、二人のところに辿りついた。
「 俺の心配よりアイツ ・・・あ! ホ−ムから落ちたぞ? 」
「 ちがうの、飛び降りたのよ。 子供が落ちて、ジョ−は助け行ったの。 」
「 だって! 電車、来るぞ? 暴走しているんだろっ!! 」
「 ・・・・・ 」
( ジョ−・・・ 手前よ、あと・・・20メ−トルくらい )
( オッケ−。 ああ、わかった。 )
常軌を逸した音がすぐ近くまで迫って来た。
( 見つかった? もうすぐ・・・来る・・・ 来たっ! )
( オ−ライ・・・ 子供を抱えたよ、もう大丈夫。 )
ひょい、と子供の姿がホ−ムの端に浮かびあがった。
はらはらと見守っていた人々が歓声をあげて 子供を引っ張り上げる。
ジョ−は差し上げていた子供が救助の手に渡ったのを確かめると、ホ−ムに手をかけ反動をつけた。
ホ−ムからは沢山の手が腕が差し伸べられる。
「 おい、捕まれ! 若いの! 」
「 はやく! 俺の腕に足を掛けるんだっ! 」
「 コレに捕まれ〜〜 」
ネクタイを外し投げかけてくれる男性も数人いた。
「 ありがとう・・・じゃなくて。 めるし・ぼく! 」
ちょっとづつ・・・ ( 見かけは ) 人々の手を借りて ( そのフリをして ) ホ−ムによじ登り
沢山の手が腕が彼の身体を端から引っ張り込んだ・・・
と、ほぼ同時に突風と共に暴走車両がホ−ムを行過ぎていった。
ほぅ ・・・・・
声にならない安堵の吐息がメトロの構内中に満ちた。
歓声をあげ、手を叩いていた人々の間に 小さな旋風がさ・・・っと吹き抜ける。
・・・ 誰もが一瞬目を閉じ顔を伏せた。
再び顔を上げたとき ・・・ あの、セピアの髪をした若者の姿はどこにも見当たらなかった。
「 お〜い ・・・ 今日は ・・・ この機はいいだろう? 」
「 ええ・・・。 ゆうゆうと飛んで いいですね〜〜 風が気持ちいい・・・」
「 ふふふ・・・イッチョ前のこと、言うじゃないか。 」
「 えへへへ・・・・ 」
青いあおい空を 赤とんぼみたいな小型飛行機がのんびりと横切ってゆく。
時折、威勢のいい鳥に あっという間に追い越されてしまう。
のんびり・ゆったり・・・
前後の席に二人の青年を乗せ、赤いセスナ機は賑やかな音と共にパリの空を
我が物顔に飛びまわっていた。
「 なあ・・・この前の機・・・ すまなかったよ。 整備不良で危ないところだった。
お前は俺の無茶苦茶な操縦に肝を冷やしてたんだろ。 」
「 え・・・いえ、そんな。 ぼくは・・・本当に目が回っちゃって・・・ 」
「 ふふん、いいさ、謙遜するなよ。 」
「 ・・・ はい。 」
操縦桿を握る青年は 今日はじっと前を見つめているだけだ。
彼は自動操縦など存在しないおおらかな機を滑らかに飛ばしている。
「 ・・・ この前な。 お前のこと、見直したよ。 俺の目が節穴だった・・・ 」
「 この前・・・? 」
「 ほら、例のメトロでの事故さ。 」
「 ・・・ああ。 」
「 俺・・・ 本当いうとかなり感動したんだぞ。 いや・・・お前が子供を助けたコトじゃない。
あ、まあ結局はそうゆうコトなんだがな。 」
「 ??? 」
「 お前、あの時。 ただの<ジョ−・シマムラ> として子供を助けに飛び降りたろ。
その ・・・ お前達にそなわった能力 ( ちから )なんぞてんでアテにせずにさ。 」
「 ・・・ ジャンさん ・・・ 」
「 本当はな、言いたいコトは山ほどあるが・・・俺も男だ。 腹を括ったぞ。
ごたごた文句をつけるのは見苦しいからな。 大丈夫・・・ お前なら。 」
「 ・・・・・・ 」
ジャンはふっと言葉を途切らせた。
プロペラ機の音をのせ風がびゅうびゅうと二人の側を駆け抜けてゆく。
「 おい! 妹を頼む〜〜〜 頼むぞ ・・・・ 一生・・・・! 」
前方を睨んだまま、ジャンは大声で叫んだ。
それは 自分の後ろに乗っている青年に、そして彼自身に言い聞かせているのかもしれない。
「 ・・・はい、 はいっ!! 」
一瞬息を詰め、返すジョ−も負けじと声を張り上げた。
「 あ・・・ フラン〜〜〜 」
「 え?? どこだ? おい・・・ わからんよ。 」
「 ほら・・・あの、管制塔の建物の陰に・・・ 」
「 ふ〜ん ・・・? 俺には見えんがな〜 」
「 手、振ってます。 あ・・・なにか叫んでますよ、・・・う〜ん わからないな〜 」
「 あったりまえだろ? ここは空の上だぞ? 」
「 あはは・・・ そうですね。 」
「 ・・・ったく。 とんだヌケサクだ、お前は・・・ 」
赤とんぼはさらに上空をゆっくりと旋回すると いとも優雅に大地に滑り降りてきた。
「 お帰りなさい! お兄さん ! ジョ− !! 」
妹が走ってくる。
風に煽られた髪がきらきらと煌き、彼女の顔を縁取っている。
そして ・・・ 満面の笑み。 その瞳はパリの空を写し取り。
「 お疲れ、ジャン。 」
「 お、パスカルじゃないか〜 久し振りだな。 」
操縦席から身軽に飛び降りたジャンは 出迎えてくれた整備服の青年と握手を交わした。
「 おお。 また、腕を上げたな〜 この手の小型機でお前の右にでるヤツはなかなかいないよ。
ああ、友達かい? よろしく、この飛行クラブの整備士です。 」
パスカルと呼ばれた青年は後から降りてきたジョ−にも手を差し出した。
そんな二人をちらりと見て、ジャンはごく当たり前の口調で言った。
「 いや。 俺の おとうと さ。 」
「「 ・・・ お兄さん ・・・! 」」
セスナ機の脇に立つパイロットは 澄ました顔でシガ−に火を点けた。
その日。
パリの空は どこまでも・どこまでも澄み渡り・・・・
そんな空と同じ色の瞳を持つ兄妹に ジョ−は日本晴れの笑顔を向けた。
****** Fin. *******
Last updated
: 10,24,2006. index
*** ひと言 ***
・・・ジャンお兄さん〜〜♪ 大好きなのです。
それも後期原作タッチの短い金髪をくしゃくしゃさせたお兄さんが好き♪
なんだか平ジョ−っぽくなりましたが、原作 『 黄金のライオン 』 前後の
つもりです。 そう・・・ ちょっとレトロなパリ。 街行くムッシュ−達は
蝶ネクタイして帽子をかぶっていた・・・かも(>_<) そんな妄想の結果です。