『 青い月の夜 』
< ある夜 − 犬と少年 − >
わんわんわん・・・・
− こおらあ〜 まてよ、クビクロ〜〜
あら・・・。 またあの<ふたり>、遊んでいるのね。
キッチンの窓から夕風に乗ってきこえてくる楽しそうな<会話>に フランソワ−ズはクスクスと笑った。
ジョ−が 震えている仔犬をジャケットに包みこんで拾ってきたのは かれこれ二月ほど前のこと。
− 飼い主にも親にも死に別れてて・・・。 ほうって置けなかったんだ・・・・
自分たちがペットを飼うなんて無理な状況だと十分承知しているのだけれど。 でも・・・。
抱えている仔犬とそっくりな彼の眼差しを見たとき、博士はだまって頷きフランソワ−ズは
使い古しのタオルとミルクを取りにキッチンへ行った。
− クビクロ。
ジョ−がそう呼んだ茶色の仔犬は、名付け親の忠実なしもべとなり親友となった。
ログ・ハウスのポ−チに小屋を置いてもらい、クビクロは朝も昼も夜も、ジョ−の行くところへはどこへでも
付いて歩いた。
「 ほんに、楽しそうにじゃれあっておるわ・・・ 」
「 ふふふ・・・そうですね、一人と一匹じゃなくて<ふたり>なんですね。 」
「 そうじゃなあ。 ジョ−にはいい弟分なんだろう。 クビクロも、雑種とはいえ賢そうな目をしているしの。」
「 ええ。 それに、とってもやさしい目ですよね・・・。 」
<ふたり>は のんびりとした午後のお茶の時間での格好の話題だった。
− やさしい目。 ああ、ベルも・・・あんな目をしていたっけ・・・。
いい香りの湯気にむこうに フランソワ−ズはすうっと瞳をこらした。
ずっと、ずっと前。
そう、パパやママンがまだ元気だったころ。 平凡だけど幸せな日々が何時までも続くと信じていたころ。
ちっちゃなわたしの 遊び相手で、お守り役でもあった 老犬のベル。
茶色のふさふさした毛並に グレ−のとってもやさしい目をしていたわ。
オイタをしてママンに叱られたとき、お兄ちゃんに置いてきぼりにされたとき、 ひとりベソをかいていると、
気が付けばきっと、わたしの傍には ベルが居てくれた。
ぱたっぱたって尻尾を振って。 あたたかい舌でわたしの涙をなめてくれたわ。
ずっとずっと一緒にいられるって思ってたのに・・・。
パパとママンが亡くなって お兄ちゃんとふたり、小さなアパルトマンへ引っ越すときに、
ベルを連れては行けなかった・・・・・・
前のコンシェルジュ(管理人)に頼んだのだけれど。
別れの日の<まなざし>が忘れられないの。
お嬢ちゃん、幸せにって・・・哀しいけれどやっぱり優しい目でじっと見てた・・・
どうか・・・・幸せな生涯を送れたことを・・・祈るわ。
クビクロ、 あなたはしあわせね、素適な飼い主にめぐり合ったわね
この家は所詮 かりの住まいだけれど。 わたし達には安住の地など無いのかもしれないけれど。
いまの、この・・・・ひと時を、大切にしたい。
たとえ 短いものだとしてもしっかり憶えておきたいわ。
こんなふうに 仲良く静かに暮らして。
ごはんよって呼べる人がいて。 今ゆくよって応えてくれる人がいて。
いただきますって 一緒に食卓を囲める人がいて。
・・・・こんな日々、 こんなひととき、 もう二度とわたしには巡って来はしないって思ってた。
だから。 いま すこしでいいの。
あなた達の楽しそうな笑顔を、笑い声を、 眺めていたいの・・・・
また 巡ってくるであろう、嵐の日々に 冷えたこころをそっと温める幸福の小さな熾火にしたいから。
− あははは・・・・・ わんわんわんわん・・・・
あらまあ・・・ジョ−ったらあんなにハネを上げて。 クビクロもびしょぬれじゃないの〜
さあ、そろそろ声をかけなくっちゃ。
「 ジョ−ォ? ごはんができたわよ?」
夕焼けがやさしい闇にだんだんと交代してゆく。
− ほら。 いちばん星が見え出したわ。 今夜もきっとお月さまがきれいでしょうね
フランソワ−ズは ちいさく微笑んで静かにレ−スのカ−テンを引いた。
< また別の夜 − ひざの上には − >
− みゅう・・・・・
「 しぃ〜〜〜〜。 ほら、ミルクよ、すこうしだけ温めてあげたわ・・・ 」
「 ・・・?・・・ 」
キッチンの裏口で フランソワ−ズがこちらに背を向けなにやらモゾモゾやっている。
コ−ヒ−を取りに来たジョ−は、サ−バ−片手に そっと覗き込んだ。
− みゅう〜〜
ジョ−の手の平に乗ってしまいそうな 真っ白な仔猫がちいさな舌で一心にミルクを舐めていた。
「 あれ・・・? 仔猫? 」
「 あ・・・ ジョ−・・・・・。 あのね、捨てられたのかしら・・・迷ってきて・・・
お腹へらしてるでしょ、だから・・・ ちょっとだけミルクを上げようって思って・・・ 」
あわてて振り向いたフランソワ−ズは ほほを染めて途切れ途切れにこたえた。
「 ふうん・・・? わあ・・・よっぽどお腹が空いてたんだね、ほら、もう全部飲んじゃったよ? 」
「 ええ。 あ、あの、ミルクのませて・・・もうちょっとしたら、外へだすから・・・・もう少しだけ・・」
半分泣きそうなフランソワ−ズの目に ジョ−は笑って頷きかえした。
「 飼ってやろうよ、ね? ここで。 僕たちと一緒にさ。 」
「 え・・・・・、でも。 クビクロがいるでしょ、 それに・・・イワンもいるわ。 」
今度は嬉しさに涙ぐみながらも フランソワ−ズは心配顔でジョ−を仰ぎみた。
「 大丈夫、カレには僕からよく言っておくよ。 」
( くす・・・・ カレ、ですって・・・。 トモダチなのね )
「 もし、ここが無理なら、そうだ、張大人のお店で貰い手を捜してもらえばいいよ。 」
とにかく、せっかくウチに来たんだからさ・・・と、ジョ−は満足げに顔を洗っていた仔猫をひょいと抱き上げた。
「 クビクロにだって仲間が必要だよ、なあ? 」
− みゃあ・・・
真っ白な仔猫はまん丸の蒼い目でジョ−をきょとんと見上げていてた。
( あれ・・・なんか、似てるなあ・・・ うふふ・・・ビックリした時のフランソワ−ズみたいだ! )
顎を撫でてくれるジョ−の指に、仔猫はさっそくじゃれ始めた。
猫の名は ブランシュ。
− 白い女の子だから。 うふふ・・・単純ねえ?
フランソワ−ズはちょっと肩をすくめて、でも嬉しそうにジョ−を振り返った。
−クビクロ と ブランシュ、か。 いいよ、なんか、とっても・・・・らしい。
二人は顔をみあわせ、 なんとなく照れ臭いような 嬉しいような笑みをうかべた。
はじめは 用心してクビクロと別々にしていたが 好奇心旺盛な彼女はちょこちょことポ−チに出てゆき、
びっくりしてるクビクロを尻目にミルク皿に直進した。
− みゅう ? くう〜ん ?
鼻面をちょっとくっつけ合って。 あっという間に二匹は<仲良し>になった。
一人前に ぴん・・・っと尻尾をたてて、得意そうにヒゲをふり、ブランシュはいつもクビクロの前をあるく。
そんな 純白のオヒメサマを護るナイトのようにクビクロもゆっくりと付いてゆく。
− うふふ・・・。 ブランシュのヤツ、威張ってら・・
ああ・・・僕のチビも。 あんなくらい、ちっちゃかったよな・・・・
僕のチビ。
孤児院時代に、隠れて育てていた捨て猫。 初めての僕だけのトモダチ。 僕の・・チビ。
拾ってきた夜、僕のジャケットの中で安心してすうすう眠った・・・・
どうにも眠れない夜、そっとベッドを抜け出してきて物置小屋で チビと夜明かししたことだってある。
あいつは、チビは、 僕の最高の親友だったんだ・・・
でも、弱くって。 ある氷雨の朝、最後に僕の指をちいさな舌でぺろって舐めて
しずかに目を閉じてしまった・・・・
蒼い目の 白黒・ブチがあった仔猫。 やさしい目をしていたんだ、 僕の チビ。
「 よく 眠ってるね〜 」
「 猫はね、一日に16時間寝てるんですって。 」
「 へえ・・・・ 」
すっかり馴れて フランソワ−ズのひざの上で眠る仔猫。
にこにこして ジョ−はそんなブランシュを眺めている。
「 ジョ−ったら、眺めてばかりいないで 抱いてみたら? 温かいわよ。 あ、ねこ、嫌い? 」
「 ううん! 大好きさ。 でも、でも、ね。 」
「 ? でも? へんなジョ−ねえ・・・ 」
垂れた前髪のかげで ジョ−はちょっと赤くなって言葉をにごす。
− 真っ白な仔猫をひざに抱いて やわらかく微笑みかけているきみを見る方が
僕は・・・・ もっと 好きなんだ・・・!
みんなで笑ってゴハンをたべて。 みんなでお茶のテ−ブルを囲んで。
なんでもないけど、 静かで 優しい 時間がながれてゆくんだね。
もしかして。 <家族>って・・・こんなカンジなのかな・・・・
知ってる? きみの微笑みは僕のパワ−のもと、なんだ。
このほほえみを このやさしい時を 護るためなら僕は何だってするよ、どんな事だってできるんだ!
明るい月の光が おだやかな団居( まどい )をやさしく包み込んでいた。
< またまた別の夜 − 仲良きことは − >
この海辺の地に落ち着いてから、はじめての秋をむかえようとしている。
夏場までは なにかと大所帯だったが 秋風が海に白波をたてだした今は、四人と二匹の静かな日々である。
人見知り気味だった少年も 冷たい表情を崩さなかった少女も。
だんだんと打ち溶け合って あれこれ共に過ごす時が増えてきたようだ。
夕食後 ギルモア博士はいつに無く煌々と明るい窓の外に ふと目を転じた。
満月にちかいおおきな月のもと、茶色の仔犬と真っ白な仔猫が一緒になって眠っている。
安心しきってクビクロのお腹の上で丸くなっているブランシュ。
博士に気付き、クビクロが頭をあげそっと尾を振ってみせた。 ブランシュを起こさないように、そっと。
「 ほほう・・・ いいながめじゃなあ・・・ 」
姫君を護るナイト君に笑って合図を送り 静かにレ−スのカ−テンを引いてこちらを振り返れば。
リビングのソファでは いつの間にか二人が寄り添ってうたた寝をしている。
「 ・・・ こちらも・・・また、いいながめじゃ・・・ 」
− せめて。 この穏やかな時が 彼らにやさしい夢をはこんでくれますように・・・
神よ。 この罪深き老人のせめてもの願いを どうか・・・お聞き入れください・・・・・
博士はリビングの明かりを落とし 足音を忍ばせて自室へと引き上げていった。
ログ・ハウスの内と外。
仲良しの ふたり と 二匹 が穏やかに眠る。
海辺のログ・ハウスの上に 十三夜のおおきな月がやさしい青い光を投げかけていた。
< そして最後の夜 − お別れ − >
「 はやく! 何してるんだ、もう出航するぞ! 」
「 ちょっと、 ちょっとだけ、まって! 」
「 003 ! 」
返事をせずに ぱっと身をひるがえし駆け出した003を 009は軽く舌打ちをして追った。
一日経ってもまだ ところどころ燻ってぶすぶすと細い煙をあげている焼けあとを
小柄な防護服が駆け抜けてゆく。
「 どこまでゆくんだ、・・・・ あ、ああ・・。 」
「 どうしても。 お別れを言っておきたくて。 」
ようやく立ち止まった003に追いついた009は、目前にあるモノを一瞥して息をのんだ。
白いちいさな十字架がふたつ。
かつて 彼らがよくそうしてたように 仲良くよりそって建っている。
焼かれたログ・ハウスの裏手にあったので そこは類焼をまぬがれていた。
− クビクロ と ブランシュ
一緒に浜辺を駆け抜け、ログ・ハウスのポ−チで遊んだ<ふたり>。
いま、無残にもその焼け跡をさらしている邸の つかの間の平和の日々の象徴でもあった<ふたり>
茶色の目の仔犬は 初雪の舞う日に運命の悪戯に翻弄され 散り、
相棒をさがして国道のほうまで遠征した仔猫は あっけなく跳ね飛ばされその白い毛皮を朱に染めた。
「 ・・・もう、来てあげられないわ・・。 これが、本当のさようなら、ね・・・ 」
柔らかい草に囲まれた墓前に フランソワ−ズはそっと跪いた。
あのころ、クビクロを ブランシュを 撫でたように 白い指がやさしく十字架の表面をさする。
「 きっと帰ってくるからって・・・行って来ますって言おうよ、フランソワ−ズ。 」
「 ・・・・ そう、 そうね・・・そう言えたら・・・どんなにいいかしら・・・。 」
「 どうしたの。 今日のきみは・・・どこかおかしいよ? 」
「 ジョ−。 ごめんなさい・・・。 わたし・・・怖いのよ。 あなたの・・・いない未来が 」
「 大丈夫。 僕はここにいる。 これからもずっと。 」
「 ・・・ ジョ−・・・・ 」
小刻みに震えている防護服の肩を ジョ−はそっと抱き寄せた。
見詰めあい 言葉もなく ふたりは自然に 唇をかさねた。
− お別れのキス・・? いえ! ずっと一緒、の誓いのキスだわ!
「 さあ、行こう! みんな 待っているよ? 003。 」
「 ええ。 行きましょう、009。 」
003は もう一度じっと二つの十字架に視線をあてた。
− さよなら、じゃなくて。 Au revoir (また会う日まで) ね・・・・。
そして。
ふたりの戦士は肩をならべ ドルフィン号へと歩んでいった。
大きな月が 昇ってきた。
無残な焼け跡にも。 ひっそりと佇む白い墓碑にも。 そして、あまりある想いを抱えた戦士たちにも。
月は あまねくその青く白いひかりの裳裾を 優しく拡げてゆく。
夜半、満潮を待って月明かりのもと ドルフィン号はしずかにこの地を去った。
***** Fin. *******
Last updated : 9,11,2003. index
**** 後書き by
ばちるど ****
平ゼロ・落穂ひろい、です。 月の光をめぐるオムニバス形式にしたかったのですが。
彼らがあのログ・ハウスに住んでいたのは本当に短い間だったんですね。