『 梅雨明け - ギルモア邸梅雨独言(モノロ−グ) - 』
「 ・・・・ほんとうによく降るわねぇ。 」
リビングの窓辺にたって フランソワ−ズがふぅ・・・っと大きく溜息をついた。
「 ・・・ まったくじゃな ・・・ 」
窓際の籐椅子で書類を広げていた博士も 顔をあげ一緒に空を見上げた。
− 梅雨 つゆどき。
今日も朝から 細かい雨がずっと同じ調子で降り続いている。
ときに 足元から巻き上がるような霧雨は 傘をさしていてもいつの間にか
服をじっとりとしめらせ、人々を妙に苛立たせるものだ。
この国の住人でさえも毎年いささか憂鬱な気分で迎えるこの季節なのだから、
欧州出身の二人には いつまでたっても慣れる、ということはないだろう。
温暖な気候のこの地、それも海辺に臨むここギルモア邸は
少々古びた見かけとはうらはらに 周到な設計と最新の設備で住み心地は快適のはずである。
しかし やはりどんな技術も自然に勝ることなどできるはずもなく、
梅雨どきの 鬱陶しい気分を拭い去ることはできない。
「 毎日毎日 こう降り込められちゃ ・・・ 気が滅入るわ。 」
めずらしくフランソワ−ズが 不満げに頬を膨らませた。
欧州では6月といえば一番美しい季節なのだから 彼女の憂鬱も無理はない。
「 この雨が − 稲作を中心にしたこの国の文化を築く際に重要な役割を果たしている
− とは判ってはいるのだがな・・・ 」
まあまあ・・・といった調子で博士が 愛用のパイプを燻らせた。
す・・・っと枯れ草が焦げるような香りが漂い 紫煙が流れる。
「 ・・・あら。 煙まで湿気っているのかしら・・・ あんなに低く・・・ 」
「 ・・・ ふふん ・・・・ 」
二人は 低く垂れ込めた雲から灰色の海原に溶けてゆく雨脚に目をやった。
「 ときに、ジョ−はどうしたのかね? 朝食のあと、姿を見かけんが・・・ 」
「 ・・・ さあ。 多分、ちょっとその辺まで出たんじゃないですか。
車もバイクも出した音がしませんでしたから・・・ 」
「 ふん? ・・・ま、この雨があがったらな、二人して付き合っておくれ。 」
「 はい。 なにか・・・ お仕事ですの? 」
「 ・・・ いやいや、ちょっとしたお遊びじゃ。 ・・・雨あがりを楽しみにまっておいで。 」
ひとりにこにこと上機嫌で 博士は書斎へと出て行った。
− ふぅ・・・ 。
また、ため息をひとつ。
・・・ ジョ−。
また、だわ。 ・・・ もう。 雨が降るといっつも。
日頃から口数のあまり多くはないジョ−なのだが、ここ2-3日は目立って無口で
必要最低限の言葉しか交わしていない。
むろん、喧嘩をしたとか誰かに対して機嫌を損ねている・・・わけではない。
しいて言えば ジョ−が自分自身を持て余している、そんな風に感じられた。
ジョ− ・・・。 なにか・・・あったの。
気になることがあるのなら 話して・・・?
そんな言葉をフランソワ−ズが何度も呑み込んでいるうちに
彼はふらり、と出掛けてしまった。
- ふぅ・・・
気がつかないうちに ため息の数がふえゆく。
ジョ−のことだもの。
心配しても ・・・ 仕様がないわね。
さあ。 わたしは・・・
さっとレ−スのカ−テンを払って フランソワ−ズはリビングを整頓し始めた。
置きっぱなしの新聞をきちんと折りたたみ、ちらばった雑誌類をまとめ
ソファやら椅子の位置をもとに戻し。
・・・忙しく動いていた手が なんの意味もなくふと、とまってしまう。
・・・わたし・・・。
フランソワ−ズは ぺたん、とリビングの床に座り込んでしまった。
わたし。
この土地で、このお家で暮らすようになって・・・
ああ、もうずいぶんになるのね。
このクッションもこの部屋のカ−テンも いつも全員の分が揃えてあるスリッパだって、
ぜんぶ、わたしが選んだお気に入りだし。
ふわり、とレ−スのカ-テンを揺らし湿気った風が通ってゆく。
汗ばんだ肌に 纏わりついていた長い髪が心地よく背に流れた。
梅雨時とはいえ、この風のおかげで随分としのぎ易い。
・・・ ふぅ ・・・。
後れ毛を掻きやって フランソワ−ズはなんとなく一人で微笑を浮かべた。
ヘンなの、わたしったら。
ここは・・・ もうわたしの家だし。 <家族>もいるし。
普通の、穏やかな日々と送っているのに
なんでこんなに何回もため息をつくの・・・・?
・・・ ひとりで・・・ つまんない、な・・・
ふふ・・・この雨でわたしも じめじめ湿っているの?
さあ。
やらなくちゃならないコトはまだ沢山あるのよ!
フランソワ−ズは勢いよく立ち上がると スカ−トの裾をぱんっと払った。
え・・・っと。
博士の夏用の背広はO.K.だし・・・ そうそう、<ユカタ>を出しておかなくちゃ。
本当によくお似合いだし、なんだか涼しくて気持ちよさそうね・・・
この前、カジュアル・ウェアのお店で見かけたけどいろいろな色やら模様があって
素敵だったわ。
わたしも 着てみたいなあ。 ・・・ジョ−も ・・・ きっと似合うわね。
リネン類の戸棚を点検し、イワンのオムツのストックを確認する。
寝ぼすけ王子さまは 明日か明後日にはお目覚めの予定だ。
そうそう、 イワンの夏物をもうすこし買い足しておかなくちゃ、ね。
このお天気だと 乾くのにヒマがかかるし、 このごろイワンったら時々這い這いするから。
嬉しいけど、お腹で拭き掃除しちゃうでしょ・・・
ああ、そうだわ! お掃除もしちゃいましょう。
掃除機を持って二階にあがる。
普段はイワンも入れて4人暮らしのこの邸、二階は自分とジョ−しか使っていない。
がらん・・・としているのはいつものことなのだが、今日はその静けさが耳につく。
みんなが集まると 騒がしいな、なんて感じるときもあるけど。
今日は・・・ なんか淋しいな。
こんな風にのんびり普通に暮らせるって 長い間待ち望んでいたはずなのに。
ときどき・・・ あの厳しかった日々が懐かしいってさえ思ってしまうわ。
ドルフィン号の中で 野営の地で。
明日のことすらはっきり判らない日々だったけど、もっとあなたは側にいてくれた。
殺伐とした事だけでなく、いろんなおしゃべりも・・・したわよね。
ジョ−はあまり喋らなかったけど、にこにことわたしの話を聞いてくれたし
時には ぽつぽつと・・・自分のことも教えてくれたわ。
・・・でも。
自由な時間が沢山ある生活になったのに。
こんな近くに寝起きしてるのに。
・・・ 一緒に過ごす夜も あるのに。
- 遠い、わ。
ジョ−。 このごろ、あなたが とても遠いの・・・。
ぱたぱたと自分の足音だけが人気のない二階にひびく。
・・・ ふぅ ・・・
また、ひとつ。
知らないうちに 口元からこぼれ出てしまった。
さあ。 まずはわたしの部屋から、ね。
東南の角、この邸で一番明るい部屋がフランソワ−ズの寝室だった。
女の子の部屋じゃからな・・・と呟いて博士が最初に決めてくれたのだ。
さ・・・ ざっとお掃除しちゃいましょ。
夏物は・・・全部出したわね。 冬物はちゃんと防虫剤いりで仕舞ったし。
この湿気には 本当に参っちゃうな。
初めての年には ポアントがすぐダメになってびっくりしたもの。
博士考案の<乾燥box>、お稽古場のみんなにも教えてあげようかしら。
自分のクロゼットを見渡していて、ふと端っこに見え隠れする<赤>に目が留まった。
・・・そうだわ! 防護服! ジョ−ってば、もしかして・・・。
・・・あ。
掃除機を担いで勢い込んでやって来たのだが。
フランソワ−ズはジョ−の部屋のドアの前でぴたり、と固まってしまった。
勝手に入っても・・・いいのだろうか。
部屋の主が留守なだけに、余計に気が引ける。
兄弟でもなく、血縁でもない 男性の個室・・・。
見慣れたドアが 今日はやけによそよそしく感じた。
わたしって・・ヘン。
いつも 平気で・・・ ジョ−の部屋、入るじゃない?
洗濯モノ、出して頂戴!ってリネン類を<押収>にいったり、
乾いたモノを届けにとか・・・
そうよ、ジョ−が長期で家を空けるときなんか、毎日空気の入れ替えしてるわよね。
・・・なのに。
そ、そうよ、ただ。 お掃除に来ただけ。 それに防護服。
今日を逃したら ・・・ チャンスはないでしょ!
すう・・・っと一息、深呼吸。
- ばた・・・ん
フランソワ−ズは目をつぶって ジョ−の部屋のドアを開けた。
・・・ あ ・・・・。
わ・・・っと色のちがう空気が流れでて、フランソワ−ズを取り巻いた。
吸った息をそのままに、思わず彼女は戸口で立ちすくんだ。
だってここ。 ジョ−の部屋よね、いつもと同じよね。
ときどき、 こっちで一緒に夜を過ごすことだってあるのに。
どうして?
なんだか ・・・ 今日は違う、わ。
ジョ−・・・・。
ときどき、はっとするほどオトコのヒトの匂いがするの。
そうね・・・
お兄ちゃんも ・・・ そうだった。
タバコのにおいが勝つようになるまでは よくわたしは顔を顰めたものだわ。
お兄ちゃんの部屋、臭いわって。
「 しょうがないのよ。 ジャンだって<お年ごろ>なんですもの。 」
「 ・・・でも。 」
ふくれっつらのわたしに ママンは笑ってそういったわ。
「 そのうち タバコやらコロンの匂いがしてくるようになるわ。 」
あのお兄ちゃんから?って その時は信じられなかったけど。
いつのまにか・・・パパと同じ匂いがするようになった。
いまに。
ジョ−からも タバコやらコロンの香りが・・・
オトナのオトコのヒトの匂いが・・・するようになるのかしら。
フランソワ−ズは もう一回今度はちいさく息を吸って・・・ ジョ−の部屋に足を踏み入れた。
いつも、そこはそんなに散らかってはいない。
というより、あまり余分なものが置いていないと言ったほうがいいかもれない。
ベッドの上に車関係の雑誌が2〜3冊放り出してある。
装飾品といえば 壁に貼ってあるポスタ−と ナイト・テ-ブルの上の写真だけだ。
素っ気無いフレ−ムの中には ピンクのチュチュ姿のフランソワ−ズが微笑んでいる。
ジョ−ったら。 よほどこの写真が気に入ってるのね。
ふふふ・・・そのくせ、何回言ってもなんの演目か忘れちゃうのよね・・・
こ・れ・は。
『 くるみ〜 』の 金平糖の精デス♪
ちょっと 躊躇ってからクロゼットを開ける。
・・・ああ、やっぱり!
一番 奥の隅に赤い服が放り出してあった。
ジョ−は ときどき、防護服姿でふらり、と出かけるときがある。
初めは単独のミッションか、と心配していたけれど どうも違うらしい。
尋ねても言葉を濁すだけに決まっているから、彼女は強いて聞いたりはしない。
ただ、ブ−ツが泥だらけだったり、マフラ−がひどく汚れていたりする。
ジョ−自身は えらくさっぱりした様子なので 今では黙ってみているだけだ。
トレ−ニングでも・・・しているのかしら。
それなら いいけど。
あ〜あ・・・ こんなに汚して! これじゃ・・・本当に必要なときに困るじゃない。
防護服を まさかクリ−ニング屋に出すわけにはゆかないし、
特殊な生地には 専用の洗剤が必要である。
・・・それでなくても。 お洗濯モノがぱりっと乾かないのに。
なんだか また ため息が雨音に混じってしまった。
ざっと二階の掃除を終えれば もうお昼もちかい。
相変わらずの雨脚を ちらりと眺めフランソワ−ズはキッチンへ降りていった。
- キッチン。
こここそ、彼女の牙城かもしれない。
ギルモア博士は彼女の希望をすべて取り入れたキッチンに改築してくれた。
最新式な機器だけでなく、広いキッチン・テ-ブルやらちょっと昔風のガス・オ-ブンは
彼女のお気に入りだしちょっとご自慢でもあった。。
何気なく捻った蛇口からは 透明な一筋が・・・静かにシンクへと流れ落ちてゆく。
この水は 無口ね。 黙ってすべてを運んでいってしまうわ。
・・・ああ。
こんな流れにそのまま乗っていけたら。
・・・わたしのため息だけでも 流していってくれるかしら。
ぼんやりと脇にたたずんいると とろとろと流れる低い水音に惹きこまれそうだ。
シンクに広がる波紋はどこか人工的でそっけない。
これって。 なんだか ・・・ わたし、みたい。
ツクリモノの 不自然な 整然とした カタチ。
「 ・・・ ただいま。 」
突然背後から 声が飛んできた。
「 わ・・・! びっくりした・・・ ジョ−ったら・・・
いきなりキッチンの方から入ってくるんですもの。 」
「 うん、・・・ごめん。 なんだか ず〜っと歩いて来て 」
「 まあ、ずっと? もう雨は上がっていたの? 」
「 いや・・・まだだけど、そんなに強くもないから。 あれ、でも結構濡れたかな・・・ 」
「 やだ、ジョ−! ずいぶんとびしょ濡れじゃない? あ、ちょっと待って! 」
「 ??? 」
「 そのGパン! ぐしょぐしょよ? いま、お雑巾持ってくるから! そこにいてね!」
ほら、と差し出された雑巾を手に ジョ−は勝手口を大きく開け放った。
「 ・・・ごらんよ、フランソワ−ズ。 きれいな夕焼けだね。 」
「 あら ほんとうに・・・ 明日は きっとお天気ね。 」
「 ・・・ああ。 もうすぐ 夏がやってくる・・・・ 」
「 そうね。 」
「 なんだか気持ちまで さっぱりしてきたな。 」
「 ・・・そう? じゃァ ・・・ 」
「 ・・・ フランソワ−ズ ・・・ 部屋へ・・・行こうよ・・・ 」
「 ?! ちょっと待って。 ・・・ その前に ・・・ 」
「 ・・・え ? わ・・・なに・・・こんなトコで、 きみ・・・ 」
「 さ! その上下、脱いで頂戴、ジョ−!
そんなぎとぎとの服で 家に入らないで!
・・・ もう! これ以上洗濯物を増やさないでくれる?」
「 ・・・ フラン・・・ 」
キッチンでの賑やかな騒ぎに ギルモア博士が顔を覗かせた。
ああ、ジョ−も帰ったか。
おうい・・・二人ともちょっとおいで・・・。
コズミ君からなんんじゃが・・・
今年も あの別荘で蛍が見られるようになったんじゃと。
さあ、二人で行っておいで。
ほら、と博士がなにやら嵩張る荷物をジョ−に渡した。
今年はこんな色模様が流行るらしいぞ?
・・・あ、ほら、また。
うん、今年はずいぶん沢山 飛んでいるね。
ならんで縁側に座る二人の脇を 淡いひかりがいくつも飛び交う。
廊下の板目が ひんやりと気持ちがいい。
コズミ博士の別邸は むかしながらの日本家屋なのだが、
こんな季節には いちばん過しやすいのかもしれない。
・・・ ジョ− ?
・・・ うん・・・?
交互に揺れていたウチワが ふと止まる。
それでも 蚊取り線香の煙をゆるゆるとたなびかせ風が抜けてゆく。
なにかあったら ・・・ 話して・・?
え・・・? あ、ああ・・・そうだね、ごめん・・・
やぁだ、謝らないで。 わたしも ・・・ ジョ−に言うから。
・・・ウン。
ひとりで 抱え込んでも・・・つまらないでしょ。
・・・ フラン ・・・
・・・ わたし。 ここにいるから・・・・
フランソワ−ズ・・・。 きみがいてくれて ・・・よかった・・・・
かさり ・・・ 糊の効いた浴衣が爽やかな音をたてる。
雨があがった夜空には 星々が姿を見せ始めた。
・・・ 間もなく、 夏がやってくる。
***** Fin. *****
Last updated: 07,05,2005. index
*** ひと言 ***
『 山手線梅雨風景 編』・・・・ ジョ−君はすっきりしても
じゃあ、お家にいるフランちゃんはどうなのよ??ってのが妄想のモト。
書き始めた時に 【絶対空間】のi-maさま画のオエビを拝見〜♪
わぉ♪♪ コレよ、コレ〜〜と お願いして頂戴いたしました。
i-maさま〜〜〜 いつもありがとうございます〜〜<(_ _)>