『  雨やどり  』   

 

 

 

「 ・・・あら・・・ また、雨。 」

リビングで花を活けていたフランソワ−ズは ふと窓の外に目を凝らした。

「 あれ。 気がつかなかった? だいぶ前からふっているよ。 」

窓際のソファに身体を埋めていたピュンマが 本から顔をあげた。

「 ごめん! 洗濯物とか、干してあった?? 」

はっとして音をたてて本を閉じ、腰を浮かした彼に フランソワ−ズは慌てて手を振った。

「 ちがう、ちがうのよ。 今日は雲行きが怪しかったから全部乾燥機を使ったの。 」

「 ああ、なら、よかった・・・・。」

どうかしたの?と濃い褐色の瞳がやさしく語りかけてきた。

 

「 ううん、なんでも・・・なくは、ないんだけど・・・・ 」

 

音もなく ひそやかにあたりを覆っている雨の帳に 乙女のため息が吸い込まれてゆく。

一枝、花瓶に押し込んで。

庭から切ってきた梔子のすこし重い香りがじっとりとした空気にまじった。

 

 

 

  ー 所によっては 一時にわか雨

  ー 午後には 雨が落ちてくるでしょう

 

そんな予報を聞けば 誰だって傘を鞄にしのばせて出かけてゆくだろう。

土地の者は勿論、一回でもこの季節をここですごした経験のある者は今頃には

傘が必須であることを身をもって知っている。

・・・ 知っているはずである。

 

「 ・・・・ええ、ええ。 わかったわ、じゃあ・・・。 」

珍しく居間の固定電話が鳴ったが、フランソワ−ズはほんの二言・三言で切ってしまった。

「 なに? 」

「 ・・・ジョ−よ。 迎えに来てくれって。 」

「 え・・・ 何かあったのかい? 」

数日前から 仕事の都合もあって日本に滞在しているピュンマが真顔で尋ねた。

「 いいえ、なんにも。 今日はアルバイトの日だから車は置いていったのよ、だから。 」

「 だから・・・? 」

ピュンマはますますわからない、という顔つきである。

ジョ−がこの春から専門学校に通いだしたのは本人から聞いていた。

それと同時に自動車整備関係のアルバイトも始めたんだ、とジョ−は楽しそうに手紙に書いてよこした。

 

やりたいコトは山のようにあるから。

そんなジョ−の言葉にピュンマも深く頷くところがあった。

どんな状況に陥っても 目を上げ周りを眺めれば自分がやりたいこと・出来ることが見えてくる。

まったく思いもかけない人生を強いられたにせよ、それに屈服するのはイヤだった。

 

ジョ−。 僕も。

今の自分ができるコトを 精一杯楽しんでいるよ・・・。

 

仲間たちはそれぞれの人生をそれぞれ選んだ地で歩み始めた。

みな、再び自分の道を辿りだしているのだ。

それでも、やはりこの9人は特別の<仲間>であり おりに触れ顔をあわせればやはり嬉しい。

海辺のこの邸は 祖国とはまた違った意味でかれらの故郷( ホ−ム )だった。

 

それにね。 ここにはいつも君が、君の笑顔が迎えてくれると思うと、さ。

 

ピュンマにとって、フランソワ−ズはやっぱり離れて住む妹なのだ。

仲間たちには それぞれに彼女は<特別な>存在でこころの拠り所になっている。

 

・・・きみは。 ジョ−、いちばん肝心の君は。 どう思ってる・・・?

 

彼と顔を合わせるたびに この邸を訪れるたびに 口元まで昇ってきたこの問いを

ピュンマは幾度のみこんだことだろう。

・・まあ、いいか。

二人の間に流れる穏やかな空気をながめ、まあこんなものか、お節介はよそうと胸をさすっていた。

 

 

 

「 ・・・だから、迎えに来てって。 駅で待ってるからって。 」

「 バスだってタクシ−だってあるだろ? 歩いたってそんな距離じゃないよね。 」

「 ええ、そうなんだけど。 ・・・傘がね、ないからって。 」

「 ・・・傘ぁ??? 」

ため息まじりのフランソワ−ズに 思わずピュンマは頓狂な声を上げてしまった。

 

雨といっても 梅雨時の霧雨、 傘ナシでもたいして濡れることもない。

それに、たとえもっと激しい雨脚だとしても 濡れてどうこう・・・という自分達ではないのだ。

 

「 どうしてだかわからないんだけど・・・。 雨の日って必ず、こうなの。

 朝から降っていない限り、絶対に傘を持ってゆかないし・・・。 」

「 それで、<迎えに来て・コ−ル>があるわけ? 」

「 ・・・・ 」

しょうがない・・・という目つきで フランソワ−ズは頷いた。

 

「 ちょっと行って来るわね。 ついでにお買い物もしてくるから・・・なにかご用がある? 」

「 うん ・・・ 今日はいいよ。 」

「 そう? ああ、お腹が空いたらね、昨日の塩味のクッキ−がキッチンにあるからどうぞ。 」

「 わ、嬉しいな。 あれって凄く美味しかった! チ−ズのもガーリックのも、最高〜 」

目を輝かせるピュンマに フランソワ−ズも嬉しそうに笑った。

「 まあ、わたしも嬉しいわ。 ジョ−ってなんにも言ってくれないんですもの。

 美味しい?って聞くと うん、美味しいよ・・・って言うっきり。 ・・・もう慣れちゃったけど。 」

「 あんなに美味しいものを食べられてさ、それは信じられないな。 うん、ちょっと今晩

 言っといてやるよ。 」

ありがとう、と微笑みと軽いキスを残して、フランソワ−ズは雨の中でかけていった。

 

 

  ー ふうん。 雨の日にかぎって、ねえ。

 

庭を横切ってゆく白いレインコ−ト姿を見送って ピュンマはぼそりと呟いた。

ジョ−はいったい普段から あまりはっきりと自分の希望を口にはしない。

強いて尋ねられれば みんなとおなじでいいよ、と穏やかに言う。

そんなジョ−が わざわざフランソワ-ズを呼び立てるのは不思議な気分だった。

しかも、雨の日に限って・・・。

 

なんとなくオモシロクナイ気分だったが、いやいや、コレは当事者同士のコト、口出しは無用かな、と

<馬に蹴られたくない>ピュンマは 大きなため息で堂々巡りを終わらせた。

 

 

 

「 ジョ−、こっちのお皿にね、クレソンを添えてテ−ブルに運んで・・・ 」

「 うん。 え・・・ クレソンってなに? 」

「 あ・・ん。 ほら、そこ、流しの横のボウルに入ってるでしょ。 それ、水を切ってから、ね。 」

「 うん、わかった。 これだね? 」

「 僕はなにを手伝おうか? 」

「 あら。 いいのよ、どうぞリビングで待ってて? 」

賑やかなキッチンに顔をのぞかせたピュンマに フランソワ−ズは微笑んで首を振る。

「 そんな、お客じゃないんだし。 僕にもなにかやらせてよ。 」

「 フラン、これでいい? 」

「 え〜と・・・ うん、おっけ−。 じゃあテ−ブルにお願いね、ジョ−。 」

「 は〜い。」

「 じゃあ、僕もお皿を運ぼうかな・・・ 」

「 ああ、それじゃ・・・お願いしてもいい? 」

楽しそうな二人の間に割り込むのもな・・とピュンマはちら、と思ったがそれ以上に

彼自身が仲間いりがしたかった。

家族と食事の用意をする・・・

そんな当たり前のことを最後に自分がやったのは・・・ いったいいつのことだったろう。

ふとこころを過ぎる暗い想いを打ち消したくて、ピュンマは賑やかなキッチンに踏み込んだ。

 

「 それじゃね、これをお願い。 」

「 ・・・・これ・・・? 」

押し付けられたボウルを手に ピュンマはぽかんとしていた。

「 そう。 あのね、その金属のイガイガがついた板で・・・こっちの大根を下ろしてちょうだい。 」

「 ・・・ おろす ・・・ ? 」

ああ、と小さく声を上げてからフランソワ−ズはくすくすと笑った。

「 摩り下ろすの。 こうやって・・・ね? 」

「 ・・・ふうん・・・。 ずいぶん水気の多い野菜だね。」

「 これ、ラディッシュの一種よ。 味、ちょっと似ているわ。 」

「 へえ・・・! これが、ねえ・・・。 」

フランソワ−ズに教わってピュンマはぎこちなく下ろし金を使い始めた。

 

「 フラン〜 全部並べたよ、あとは? 」

「 う〜ん・・・と。 オッケ−、冷蔵庫のヴィシ・ソワ−ズを運んでくれる?それで・・・博士をお呼びしましょ。」

「 わい♪ ・・・わ〜・・・美味しそ〜う。 」

「 気をつけて! 外側のボウルに氷水がはいってるのよ。 」

「 うん・・・っととと。 」

 

「 ふうん・・・ 」

「 え? 」

大根おろしのボウルを抱えたピュンマを フランソワ−ズが振り返った。

どうかした?という彼女の視線に ピュンマは白い歯をみせてわらった。

「 いや・・・。 なんか、さ。 こういうの、久し振りだなって思って。 」

「 こういうの? 」

「 うん・・・。 なんて言うのかな、こう・・・みんなで食事の用意して楽しみに食卓を

 囲む・・・って言う雰囲気がさ、本当に久々なんだ。 」

「 ・・・ ピュンマ。 」

「 いや〜 国ではさ、一人暮らしだろ? 面倒くさくて・・・どうしても外食とか

 簡単なレトルト系のレシピとかがほとんどだからね。 」

「 ここは・・・ みんなの家( ホ−ム )だから。 ウチに帰って来たときには

 家族がみんなでわいわい言って・・・食事を楽しみたいなって思うの。 」

「 うん・・・ 」

「 博士も賑やかなの、お好きよ。 ジョ−だってね、普段よりずっといろいろおしゃべりするし。」

・・・ふだんより、ねえ。

じゃあ、いつもは。 博士とイワンと君らだけの時って・・・・

アイツはこんな羨ましい・贅沢な環境にいて、彼女の美味しい料理を毎日食べて

それを当たり前みたいな顔して・・・淡々と受け流しているってのかい?

「 ・・・ふうん・・? 」

思わずあまり穏やかではない吐息が漏れてしまった。

「 なあに? ・・・・あら、さすがだわ、上手ねえ。 ありがとう、手を洗って食堂にどうぞ? 」

最後まできっちりと下ろした大根おろしのボウルを受け取ると フランソワ−ズは軽く会釈した。

「 ・・・うん。 ・・・君は? 」

「 これを器に盛ってからゆくわ。 ああ、美味しそうね〜 」

エプロンの結び目が ひらひらとホンモノの蝶みたいに揺れている。 

 

きみ・・・しあわせ? こころから微笑んで日々を過ごしている?

 

すんなりとした後ろ姿にピュンマは 目で真剣に問いかけていた。

 

 

 

 

「 ただいま〜  あ〜あ・・・やっぱり降ってきちゃったよ。 」

「 お帰り、ジョ−・・。 え? 気がつかなかった! いけない、フランソワ−ズに

 洗濯物お願いねって頼まれてた! 」

「 ああ、大丈夫。 今、ぼくが取り込んできたよ。 」

タオルでごしごし髪をぬぐって ジョ−がこともなげに言った。

「 え・・・君って今朝は。 学校の日だから一番早くウチを出たろ? 」

「 うん。 お互いの行動パタ−ンはわかっているもの。 

 あ、お茶にしない? 挽きたての豆を買ってきたんだ。 」

「 ああ・・・いいね。 」

タオルを首にかけたまま、ジョ−はキッチンへ入っていった。

 

フランソワ−ズもたいてい毎朝レッスンに通っているが ジョ−よりは時間が遅い。

・・・そうだよ、今朝は。

なぜだか 上機嫌でコ−ヒ−を淹れだしたジョ−をながめて ピュンマは口の中でぶつぶつと言った。

今日は 多分帰りも遅くなるとおもうわ、と彼女は出掛けにピュンマに言った。

オッケ−と頷いてから、彼はどんよりとした空を見上げた。

「 ああ・・・ 今日も降りそうだね。 ねえ、ジョ−から例の<迎えに来て・コール>があったら

 ひとこと 言っておいてやるよ。 どうせ今日も傘ナシなんだろ? 」

「 ええ、でも。 大丈夫よ、わたしが出かけているのをしっているから。 」

 

・・・へえ?

ふうん・・・ 彼女がいなければ平気で濡れて帰ってくるのか・・・

なんだ。 ようするに・・・

 

そこまで考えて・・・ ピュンマはなんだか真剣に心配していたのがアホらしくなってきた!

 

そうだよ。 ソレだけのことなのさ。

 

「 ジョ−。 冷蔵庫の上の棚にクッキ−があるよ。 」

ぱたり、と本を閉じ ピュンマはソファから腰を上げた。

 

 

「 ・・・いい匂いだね。 うん・・・ジョ−、コ−ヒ−の淹れ方、上手くなったよ。」

「 そうかな。 アルベルトや君にたっぷり教わったし。 」

クッキ−をぽりり・・・と齧って ジョ−が嬉しそうに笑った。

「 なあ。 こんな風に・・・美味しいよっていわれたら 嬉しいだろ。」

「 うん。 」

「 だから、さ。 君もちゃんと言えよ? いい味だね、とか歯ざわりがいいね、とか。

 そりゃ、たまには君の好みの味じゃないかもしれないけど。 でも。 」

「 ・・・ ピュンマ 」

「 やっぱりさ、言葉にしなくちゃ伝わらないと思うよ、僕は。 ・・・そのために言葉が

 あるんだと思うし。 」

「 ・・・ぼくってさ。 」

ジョ−はお気に入りの塩味のクッキ−をひとつ、そっと手の平に乗せた。

「 何か言わなくちゃ・・・って思うんだけど。 気の利いたコトって全然思いつかないし。

 いろいろ言えば言うほど・・・言い訳みたいになっちゃって。 」

だから、つい、ね。 ・・・言葉を濁してジョ−は小さな焼き菓子をじっと見つめる。

「 いいじゃないか、それでも。 ジョ−らしくて。 君がぺらぺら立て板に水・・・って

 しゃべったら、それこそウソ臭くて<言い訳>になるよ。 」

「 ・・・そうかな。 」

「 それに。 一緒に傘に入りたいなら、ちゃんとデ−トに誘いなよ。 」

「 ・・・え。 」

急に話題を振られて 目をぱちくりしてるジョ−の肩をピュンマはつん、と突いた。

「 聞いたよ。 <お迎えコ−ル> 」

 

 

 

相変わらず同じ調子で 生暖かい雨が緩やかに煙っている。

海も空も・・・その境界すらしっとりと滲んできそうな空模様だ。

 

結局 またひとりの留守番になったピュンマはリビングから 眼下に広がる海を眺めていた。

洗濯物がぱりっと乾かない。 どこもかしこもじっとり。 油断するとすぐに黴が生えてしまう。

そんなグチばかり聞こるこの国のこの季節が 自分も苦手なはずだったのに。

気がつけば 結構好んで長居している。

 

・・・やはり、海のせいかな。 海に雨がおちてゆく風景って。 そう・・・引き寄せられる・・・なあ

 

海は自分にとっての<ホ−ム>なのかもしれない・・・。

 

 

「 雨の日に・・・ 誰かが迎えにきてくれる・・・って。 わかるかな・・・ 」

<お迎え・コ−ル>について問い詰められたジョ−は とつとつと話し始めた。

クッキ−ばかりじっと眺めている彼の頬は ちょっぴり赤らんでいた。

「 傘は、いつもちゃんと持っていたよ。 っていうか・・・誰も迎えになんか来ないから

 自分で持ってゆくしかないんだ。 」

わかるかな・・・とジョ−はもう一度ひくく呟いた。

「 ぼくだけのために・・・ 誰かがって。 ぼくにとっては最高のことで、いまでも

 そのことを考えると胸がどきどきするくらい嬉しいんだ。 」

「 <誰か>じゃなくて。 ちゃんと言えよ、って言ったろ? 」

「 ・・・ ピュンマ。 」

「 さ。 今日はきみが迎えに行ってあげなよ。 ・・・もうそろそろ帰ってくる頃だろ? 」

「 あ、でも。 彼女はちゃんと傘を持って行ってるし・・・ 」

「 いいって。 ・・・それで たまには二人っきりでゆっくり雨宿りして来るんだね。 」

「 ・・・ う・・・ん・・・ 」

「 きみを迎えに来たんだって。 ちゃんと言えよ?

 買い物のついで・・・なんて言ったら承知しないからね。 」

「 ・・・ ウン・・・ 」

「 ほら。 雨が降っているうちに・・・ 早く! 」

「 ・・・うん! 」

 

 

たったの今までと、そのままの格好で。 

ジョ−が庭を駆けてゆく。 

・・・ああ、あれじゃあ。 びしょ濡れだな。

 

フランソワ−ズの呆れ顔が目に浮かぶ。

ふふふ・・・そりゃそうだろう。 髪から滴をたらせて息せき切って。

でも。

そんな、彼がいいんだろ?

 

 

家族がいて。 一緒にわいわい御飯を食べて。

それで・・・たまにはいろいろワケありだったりして。

やっぱり ココは僕にとってのホ−ム。 時に還って来たくなる・・・<雨宿り>の地。

 

・・・そう、しばらく ちょっとだけ。 ひっそりと身を潜めていよう。 

 

絹びろうどにも似たしっとりとした空気が ピュンマの精悍な黒い肌に優しくまつわった。

 

 

*****   Fin.    *****

Last updated: 06,01,2005.                     index

 

 

****   ひと言   ****

ちょっと季節先取りかな? 珍しくも8さんが語っていますね〜。

これは平ゼロ・8さんでしょう♪ ジョ−の<幼時とらうま>は

<雨、あめ 降れ ふれ  かあさんが〜 ♪> であります。