『  自鳴琴(オルゴ−ル)  − 愛の夢 − 』

 

 

 

老人はその木箱を大事そうに両手で捧げ持ち、よいしょ・・・・と肘掛け椅子から 立ち上がった。

「 お老人は 関節の目立つ枯れた指でそっとその木箱をなでる。

マホガニ−製のそれは かっちりと造られた本体とはまるで逆の繊細な彫刻が表面を被っていた。

 

精緻は細工は、長いあいだ多くの持ち主たちに愛されてきたのだろう、とろり、とあめ色の照りを見せている。

 

「 ・・・ああ、やはり。 ゼンマイが切れてしまったのかな。中の仕掛け自体は大丈夫のようだ・・ 」

目の高さまで持ち上げ 細い隙間から箱の中を見詰めていた老人はちいさく溜め息を吐く。

「 R・・通りの裏に、たしか専門店があったはずだ。 」

前との付き合いも、随分と長くなってしまったなあ・・・ 」

馴染んだ重みに ふ・・っと頬をゆるめ老人はこころの中に響く声音に耳を傾ける、

手の中にある自鳴琴(オルゴ−ル)の音とともに いつもきこえてくる、その声に。

 

 

 

「 わあ・・・・すごい、すごいっ! どうして音が出るの、ねえねえ、どこから音が来るの? 」

両親から誕生日に オルゴ−ルを貰ってちいさな妹はおおはしゃぎだ。

兄にまつわりついて、どうして?どうして?を繰り返す。

機械好きな兄と一緒になって 精巧な木箱の中味に目を凝らしている。

 

「 これはね、ママンがお祖母ちゃまからいただいた大事なオルゴ−ルなのよ。

 おばあちゃまも、ママンもずうっと側において指輪を入れたりしていたわ。

 今日からは。 フランソワ−ズ、あなたの側においてあげてね? 」

淹れたてのカフェ・オ・レの香りの向こうで 母のやさしい微笑みがゆれている。

 

「 うん! ありがとう、ママン♪ 」

そ・・・っと まるで砂糖菓子を扱うように。 大事に丁寧に内蓋をあけて。

色あせたびろうど張りの内側に指を滑らせる。 

ゆるゆると 流れ出す 単純な音の組み合わせ。

そんなに多くはない音が奏でる ちょっといびつで 不思議なメロディ−。

 

「 この曲を創ったひとは はげしい恋や一途な思いに胸を焦したそうだ。

 さあ、お前は フランソワ−ズ。 いったいどんな 愛の夢 を結んでゆくのだろうね・・・」

母と並んで ゆったりとカフェ・オ・レを楽しむ父に 少女は不思議そうに首をかしげる、

愛も恋も。 まだまだの おとぎ話のお姫様のように・・・。

「 いい夢を。 いつも、いつまでも。 お兄ちゃんも、フランソワ−ズも。 」

両親は あたたかな愛情しかしらない兄妹に 目を細め微笑みを交わしあう。

 

そんな中で 妹はいつまでも、つまでも飽きることなくその単調な繰り返しに耳を傾けていた。

楽しげに・嬉しげに 頬をちょっと染めて。

 

思えば アレが両親からの最後のバ−スデイ・プレゼントになってしまった。

兄妹ふたりきりとなり、小さなアパルトマンに移ってからも 時に思い出したように

妹はその古びた音色に 耳を傾けていた。

じっと遠くに思いをはせ 思い出をたぐり 夢見る眼差しで この木箱をながめていたね、お前は。

俺は。 そんなお前を眺めていると不思議とこころが安らいだものだ。

 

 

 − あの日。

 

絶望と悲しみの果てに 涙も声もでないほど ぼろぼろになって。

這うようにしてあの部屋にたどり着いた俺の目に 真っ先に映ったのも、この木箱だった。

主の戻らぬ部屋の ベッドサイドにひっそりと<居た>この古びた木箱。

ひとりきりの夜 淋しさを紛らわそうと妹は懐かしいメロデイ-に耳を傾けていたのだろう.・・・

こぼれ落ちてくる単調な音の連なりを耳にしながら  俺は初めて声を上げて哭いたものだ。

 

俺は今でもはっきりと 思い浮かべることができるよ。

ちょっと 首をかしげて 

夢見る蒼いひとみの その優しいすがた

やわらかに纏わる 亜麻色の髪

いつも 浮かべていたあたたかな微笑み

あの古風なメロディ−は 薄絹となってそんなお前をふわりふわりとつつみ込む。

 

 − 俺は。 今でも、いつまでも、はっきりと思い浮かべることができる・・・

 

 

 

 

 − から---ん 

 

ドアベルを鳴らして 老人はシックなその店に入った。

修理を依頼し、店員にその木箱を手渡す。

 

「 ・・・これなら、すぐにお直しできます。 少しお時間をいただけますか?」

仕掛けの部分を開けて、店員は大きく頷いた。

「 よかった、壊れてしまったかと思って・・・。 お願いしましょう。 」

店員が蓋を何回か開け閉めすると 何かの具合できれぎれの音が流れ出した。

「 ・・・・あら? この曲 ・・・・ 」

「 今時、珍しいだろうね。 コレは自分の母方からずっと受け継がれきた年代モノです・・・。 」

「 ええ、わかりますわ。 みなさんが代々とても大切になさっていらしたご様子が。

 これは 少しも痛んでいませんもの。 今は奥様のお持ちものですか? 」

「 ・・・いや。 妹の、です。 ははは・・・妹といっても。

 こんな爺さんの妹ですから、いい婆さんのはずですがね・・・・ 」

 

若い店員は その老人の口調に滲む苦味には気付かなかった。

 

「 ステキな思い出が いっぱい詰まっているのですね。 この曲に相応しい・・・ 」

「 ・・・なにか・・? 」

「 いえ、ついさきほど、やはりこの曲のオルゴ−ルを捜しにいらしたお嬢さんが見えまして。

 そう、丁度こんな木彫りの作りで年代ものが欲しい、と。 

 残念ながら、御希望に沿うお品が当店には無くて・・。 亜麻色の髪の、綺麗なお嬢さんでしたわ。 」

「 そうですか。 妹も・・・・同じ髪でしたよ。 ・・・ ああ、そうだ、よかったら。 

その方にお譲りしようか・・。 

 老い先短かい老人が持っているよりも、オルゴ−ルが喜びますよ、きっと。 」

「 あら、残念ですわ、ムッシュ−。 そのお嬢さんは 今日その足でシャルル・ドゴ−ルへ向われましたの。

 ・・・ふふふ、多分ご結婚なさるのでしょうね、お連れの方もなかなかステキな青年でした。

 日本の方、とおっしゃっていましたが柔らかいくり色の髪とちょっとはにかみ屋さんなカンジが印象的で・・。

 もう、しばらくこちらには戻れないからって。 故郷の思い出に、とでも思われたんでしょう。 」

「 そうですか・・・ いや、ちょっと残念ですね。 不思議なご縁、とも思ったのですが。 」

「 これは。 やはりお客様のお手許にいたいと願っているのかもしれませんわ。 」

 

 

 

 

ふたたび 音を奏でるようになった木箱をかかえ

相変わらず ひとりだけのがらん・・・とした部屋に戻って

 

彼は、静かに木箱を取り出しテ−ブルに置く。

そっと、蓋をあげれば。

 

ちいさく かすかに はなやかに

ふるびた やさしい 音 が 流れだす

 

尽きぬ想いに老いたこころをゆだね、ジャンはそっと目を閉じた。

 

ゆるゆると ひそかに そして かろやかに

古びた木箱は まあるい 音色を紡いでゆく

 

 

  くりかえし くりかえし くりかえし

 

 

それは・・・・ 想いがえがく とおい幻

それは・・・・ こころをつなぐ 愛のゆめ

 

 

  くりかえし くりかえし くりかえす  愛のゆめ

 

 

 

 ♪♪ Fin. ♪♪    top         afterword

 

 Last updated : 11,21,2003.

 

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