『 キッチン 』
眼が覚めたら 隣はとっくにもぬけのカラだった。
遠慮なくのばした腕が かさり、となにかに触れた。
・・・?
さぐった指が引き当てたのは一枚のメモ。
よかったら連絡してほしい、の一言と電話番号が結構端正な筆跡で書かれていた。
・・・ ふうん ・・・?
モニク、というその女の名をしげしげと見つめ・・・
ぱたり、と腕を放った拍子に紙切れも飛んでいった。
まだ・・・こんな時間か・・・
ひくく呟くと ジャンは寝返りを打ち毛布を引き上げた。
のろのろとキッチンを横切り、冷蔵庫を開ける。
飲料がほとんどの中味に手をつっこみ、適当にあたったペットボトルを取り出す。
きしり、とねじきったキャップをはじき、そのままぐい、と天井に向かって呷った。
・・・ ふう ・・・
咽越しもやわらかく落ちて行く水が いくぶんか頭の中をすっきりとさせた。
ああ。
こんな時間か・・・。 せっかくの休日も半分過ぎちまった・・・。
とにかく、カフェでも淹れようとシンクの脇の棚に手を伸ばした。
水周りは綺麗に片付いていた。
きちんと水気はふき取られ、生乾きのキッチン・タオルがシンク脇にかけてある。
食器類は ちゃんと食器棚に収まっていた。
・・・ なんていったか? あのカノジョ
ジャンはドリッパ−を手にしたまま、ぼんやりとキッチンを見回した。
昨夜 なりゆきで一夜を共にしたあの女性は
案外手まめであったらしく、自身の痕跡をきれい拭い去っていた。
あまりの完璧さが かえってカノジョの存在を感じさせる。
ま、・・・ いいか。
ガウンのポケットをさぐり、ぐしゃぐしゃのタバコをとりだす。
つぶれたパッケ−ジから これまたひしゃげた一本を銜えだした。
・・・ 紫煙がゆるゆると 片付けられ取り澄ました顔のキッチンに流れる。
たまには・・・女手が必要、かな。
こぽこぽと小さな音とともにいい匂いが漂いだした。
ジャンはその香りを空中に目で追っていたが、ふと気づき立ち上がる。
ああ。 ・・・ ちがうんだよ。
シンクの前にゆき、ミルク・パンの置き場所を 布巾の掛け方をさりげなく 変える。
食器棚にも歩み寄り、 カップの位置を ソ−サ−の順番を 変える。
・・・ これでもいいけど。
でも。 ちがうんだ・・・
いつもの通りに。 ずっと・・・そうやってきた風に。
その方が 使いやすいから。
その方が 見慣れているから。
その方が ・・・ お前が 喜ぶから。
ジャンは 腰を屈めて食器棚の一番奥をのぞきこむ。
・・・ 大丈夫。 ちゃんと ・・・ ある。
多くもない食器の奥、その棚の一番おくに丁寧にしまってある マグカップ。
誰にも使わせない・ 触れさせない。
今日も ・・・ ここにいてくれよな。
・・・ せめて、お前だけでもオレを待っていてくれ・・・
ただよう香りは しだいにその濃さを増してきた。
手前にあったグラスを置きなおし 引き出しのスプ−ンの向きを変える。
ふ・・・と 手が止まる。
なあ。 ココに置くから。
お前がやっていた通りにしてあるから。
・・・なあ。
帰っておいで ・・・ フランソワ−ズ ・・・ !
********
「 ゴチソウサマ〜 ああ・・・美味しかったぁ。 」
「 あら、ジョ−。 ありがと ・・・ えっと そこ、お茶碗の横に置いてくれる? 」
ジョ−が 多少あぶなっかしい手つきでお皿を重ねてもってきた。
洗剤だらけの手で フランソワ−ズはシンクの隣を指差す。
「 うん。 ・・・ ココでいい? 」
「 ええ・・・ ありがとう。 助かるわ。 」
「 なにか・・・手伝えるコト、ない? あ、ぼくが拭くね。 」
なんだか嬉しそうに ジョ−はフランソワ−ズの頭の上に手を伸ばし布巾を取った。
「 ゆっくりしてていいのよ。 すぐに洗ってしまいたいのはわたしの習慣なんだから・・・ 」
「 うん・・・ あの。 手伝っちゃ・・・ダメ? ぼく、邪魔かな。 」
「 ・・・え?? 」
ジョ−の真剣な調子に フランソワ−ズはおもわず吹きだしてしまった。
「 ・・・あ、そ、そんなに ・・・ なにか 変かな・・・ 」
「 ううん、ううん・・・。 全然。 ありがと、ジョ−。 嬉しいわ。 」
ひとりおろおろしている彼が 可笑しくてフランソワ−ズはくつくつと笑い続けた。
「 じゃ。 お願い。 この・・・水切り籠の中のから拭いてちょうだい。 」
「 オッケ−。 」
手にした布巾を くる・・・っと捻るとジョ−は案外器用にお皿を拭き始めた。
「 ・・・ こういうのってさ。 憧れだったんだ。 」
「 え? こういうの・・・? 」
うん、と拭いているお皿を見つめて ジョ−がぽつり、と言った。
「 こういうのって・・・ お皿拭きのこと? 」
「 お皿拭き・・・っていうか。 晩御飯を食べて・・・一緒に後片付けして。
なんだか・・・家族って こんなんじゃないかなって・・・ 」
「 ・・・ 家族 ・・・ 」
「 ・・・ぁ! あの、その・・・別に、その。 きみがどうのとか、ぼくときみがとか・・・
そんなんじゃなくて。 え〜と・・・・ 」
「 そんなんじゃなくて? 」
「 ・・・う ・・・ あの ・・・ 」
ジョ−はまたまたひとりで赤くなり、そして、そのことに気づいて大いにうろたえている。
「 ふふふ・・・ いいのよ、ジョ−。
ここは わたし達の家で、わたし達は ・・・ 家族、でしょう? 」
「 え・・・う、うん・・・ 」
「 わたしも・・・ 楽しいわ。 夢のようだもの。
・・・また、こういうコトが出来る日が巡って来
「 フランソワ−ズ ・・・ 」
「 ・・・さ。 さっさと終わらせてしまいましょ。 そしたら・・・ お茶でも淹れ直しましょうか。」
「 うん、 そうだね。 」
「 ・・・あ、ジョ−。 そのお皿は・・・こっちにしまって? 」
「 え? ああ・・・ ごめん。 」
・・・ あ。
「 どうかした? 」
「 ・・・ ううん。 なんでも・・・ないわ。 」
いつか・・・ 同じコトを言った・・・わ? そう、口癖みたいに・・・
食器の仕舞い方。 お鍋を置く場所。 布巾の干し方・・・
こうやって。 あそこに置いて。 ・・・ こっちにしまって。
・・・もう。 何回言えば覚えてくれるの?
そう、本当にいつもいつも 同じコト・・・
「 きみってさ。 何でもきちんとしていて・・・すごいね〜。
この家のキッチンはいつもぴかぴかだ。 慣れてるのかな。 」
「 ・・・ そうね。 ずっと・・・こうやっていたから。 」
「 そうなんだ。 」
「 ・・・ うん・・・。 」
ずっと こんな風に暮らしてた。
そして それは。 そのまま・・・ ずっとずっと続くと思ってた
当たり前の日々が 繰り返し訪れると信じてた・・・
懐かしい面影が 眼の前に浮かぶ。
・・・ お兄ちゃん ・・・
「 ・・・ごめん。 」
セピアの瞳が 心配そうに覗き込む。
「 ・・・え・・・ あ。 」
「 ごめんね。 ぼく、なにか・・・ 気に障るコト、言った? 」
「 ・・・あ、 ううん、 何でも・・・ないわ。 ごめんなさい、わたしこそ・・・
なんでもないの、ほんとうに。」
フランソワーズは あわてて目尻をはらった。
「 ・・・そう? それなら・・・いいけど。 」
「 ふふ・・・。ごめんなさいね。 ・・・さあ これでおしまいね。 」
明るく言って彼女は洗い上げた大きなお皿をジョーに渡した。
・・・ 帰りたい? ううん・・・ わからない。
でも。
普通の日々は どうしてもあの頃を、当たり前の日々の細々とした思い出をたぐりよせる。
モザイクの細片は 寄り集まって過ぎた日への想いを織り上げる。
なんでもないの、ごめんね・・・と繰り返し呟くフランソワーズの傍で
ジョーは成す術もなく、ただ 黙って座っていた。
******* ( 了 ) *******
Last updated:
10,18,2005. index
**** ひとこと ****
平ゼロ設定です。 まだ、あんまり気持ちが通じ合っていません。
どうも好意は持っているようなのですが。
<友人以上恋人未満>の一歩手前・・・ってところ???