『  その夜   − 誘惑 −  』   

 

 

 

 

誘ったのは あなた  魅せられたのは わたし。

 

 

 

一緒に懐かしい街にゆこう、とあなたは言った。

これからは 傍にいるよ、一緒に暮らそう・・・と。

あなたの笑顔は 相変わらず魅惑的で

わたしは思わず抱きついた。

 

  − ・・・ あ

 

わたし、かすかに震えていたのよ。

だって・・・怖かったから。

 

 

 

泣いて 泣いて 泣いて

・・・ 涙も 哀しみすらも枯れ果て

わたしは ようやく立ち上がっていた。

 

・・・ だって そうする他はなかったから。

そうやって、これまでも生きていたのだから。

だから ・・・ 今度も・・・

 

それなのに 

あなたは突然 現れた ・・・ わたしの前に 還ってきた。

それはあまりに唐突で あまりに不可思議で

わたしは 初めよく呑み込めなかったわ。

 

おそるおそる触れた あなたの身体は 温かくて

そうっと覗き込んだ瞳は やっぱりあのセピア色で 

無我夢中で抱きしめた身体からは あなたの匂いがしたわ。

 

 − ほんとうに。 ほんとうに このヒトは戻ってきた ・・・ !

 

吹き上げてくる歓喜の中で、わたしはちょっとだけ怖かった。

そうなの・・・ 怖かったのよ。

また ・・・ あなたに惹かれ 魅せられてゆくことが。

 

 

 

今日という日は・・・

なんだかいろいろなことが 津波みたいに一度に押し寄せて

− 全部嬉しいコトばっかりだったけど・・・

わたしは ほんとうに大波にもみくちゃにされた気分だった。

 

こんなにイイコトばかり起きてもいいのかしら、と思ったり

これは神様のご褒美かもしれないって微笑んでみたり。

でも ちょっと怖い気もしている。

<いいこと>のストックが切れてしまって

これからは ・・・ イヤなコトばかりだったらどうしよう・・・なんて。

<いいこと>は ちょっとづつでも良かったかも・・・なんて。

美味しいケ−キばかり食べていると 味がわからなくなるでしょう?

それだったら たまに味わうキャンディ−の方がいいかもしれないわ。

 

それに・・・・

わたしはやっぱり あなたが ・・・ 怖かったのよ。

あなたに ・・・ また 惹かれるのが 怖かったのよ。

 

 

パリに一緒に行こう、と言ってくれた。

思わず飛びついたわたしを しっかりと抱きとめてくれた。

あなたの温かな胸で あなたの強い腕の中で

わたしは 幸せの涙をながした・・・

 

これから。 なにもかも これから ・・・ 始まるんだわ。

新しい しあわせな 日々が。

・・・そんな風に 素直に思えたのだけど。

 

 

その夜は宿舎での簡素なディナ−だったが、

長期間 新鮮な食材を口にできなかった彼らには 十分豪華なご馳走だった。

みんなよく食べよく飲みよくしゃべって ・・・ よく笑った。

誰もが 長い仕事を終えた開放感に浸り、満足していた。

食後のお茶もそこそこに 皆それぞれの支度に

自室に散っていった。

 

旅立ちの時が ・・・ 別れのときがやってくる。

 

ジョ−は自室に引き上げるとき、さりげなくフランソワ−ズに合図をした。

フランソワ−ズは談話室にしていた部屋を ざっと片付けていたが

彼の仕草を眼の端で捕らえ 微かに頷いた。

 

ジョ−の後ろ姿を見送り、そっと部屋を振り返ったが

まだ居残っていたメンバ−は それぞれに自分のことに熱中していて、

彼と彼女に注意を払うものはいなかった。

 

 − ・・・ よかった ・・・

 

ほっと溜息までも胸の中に吐き、フランソワ−ズは部屋の整頓を続けていた。

ごく普通に振舞っているのに 心臓の音がだんだんと耳についてくる。

身体をひねった拍子に 自分自身の熱さを感じてどきりとする。

頬を上気させまいと 彼女は何度も首を振った。

 

・・・また、あの夜が あの日々が やってくる。

あのヒトに惹かれあのヒトに捕らわれあのヒトに呑み込まれる・・・

ぞくり、と背筋を這った震えは悦びなのか 懼れなのか ・・・ わからない。

 

でも。

・・・ わたしは

 

フランソワ−ズは俯いて唇を噛み締める。

のろのろと部屋を横切ってゆく。

こっそりと深呼吸して 熱い吐息をまぎらわせ動悸をなんとかなだめたくて・・・

そんな自分の身体を持て余し、また違った吐息が口に昇る。

 

そうよ、わたし・・・

こころはちっとも弾んでいないの。

勝手に身体が走りだしてしまっているの。

だって。

そうよ、 わたし・・・。

気がついてしまったの。

 

  − ・・・あなた、満足なんかしていない。

 

いつもいつも。 

わたしを弄り わたしを支配し わたしを味わい尽くし

束の間、身体を宥めて眠りに落ちてゆくあなた。

でもそれは仮初めの安息、 偽りの休息、

あなたの心は ・・・ 飢えて ( かつえて ) いるのよ。

そう ・・・ いつもいつも。

あなたは いつも求めている、 あなたはいつも追っている

あなたは ・・・ 永遠に満たされない、憐れな狩人( ハンタ− )

 

そんなあなたに わたしは。

 

 

自分の部屋への角を曲がったとき、フランソワ−ズは足を停めた。

細い光の帯がドアからもれている。

 

  − ・・・ わたし 待っている ・・・ ?

 

潜めた息をもっと静かに細く吐き出しく・・・っと唇を噛み締めて

フランソワ−ズは 足を踏み出した。

すぐにドアが開き 彼女は黙ったまま引きこまれた。

 

 

 

・・・ っと・・・

フランソワ−ズは身体に絡むジョ−の腕からなんとか抜け出した。

身体を離し、そろそろと身を起こす。

深く寝入っているのか、ジョ−は身じろぎもしない。

厚い胸板だけが規則正しく上下し、ついさっきまでとはうってかわった

穏やかな表情を浮かべていた。

こころもち、唇のあわせ目が開いているが、それは彼が安堵しきってまったくの

無防備な状態にいる、ということなのだろう。

 

  − ・・・ やっぱり、ね・・・

 

じっと寝顔を見下ろしていたフランソワ−ズはこころの中で呟き、

溜息を呑み込んだ。

ベッドを降りれば 夜明け前の冷気が襲ってくる。

素足に冷たい床から、散らばっている衣類を拾いあげる。

 

・・・ジョ−。

わたし、わかっていたけど。

そうよ、すぐにわかったの。 そう、あの時・・・あの女 ( ひと ) と向き合ったとき。

あのヒトの瞳も ・・・ おなじだった。

わたしと同じ眼をしていたもの。

わたしと同じ溜息を吐いていたもの。

 

あのひとも。 そうよ、わたしと同じ・・・

彼女は ・・・ 負けたのよ、あなたに。

 

誇り高い彼女はとてもそんなこと、認めたくはなかったでしょう。

得体の知れない風来坊に 黙ってその身を預ける、なんて出来るわけはない。

そんなの、彼女のプライドが許すわけないのよ。

 

でも ・・・ あの女 ( ひと ) は。 

負けたの。 あなたに ・・・ ううん、自分自身に。

 

きっといろいろ言い訳があったでしょ。

でも あなたは聞いてなんかいなかったわよね?

でも あなたは何も応えずに微笑んだのよね?

 

このひとは ・・・ 

 

身支度を整え、フランソワ−ズはもう一度ジョ−の傍に腰をおろした。

温かさと ・・・ 彼の匂いがふわり、と纏わりついてくる。

手を差し伸べて その波打っているセピアの髪に触れる。

 

あなた、彼女を抱いたわ。

あなた、彼女に溺れたわ。

・・・ あなた、 彼女を捨てたのね。

 

・・・ あなたはまた、満足できなかったのよ。

 

そう、いつもいつも。

ほんの一時翼を休め、そうしてまたすぐに飛んで行くの。

ほんの束の間満たされて、そうしてまたじきに飢え( かつえ )るの。

 

彼女はほっとしていたわ、そうよ安らかだったわよ。

あなたの腕の中で あなたに見つめられて 永遠に目を瞑るとき

彼女は嬉しかったのよ、そうよ微笑んでいたわよ。

あなたの腕から あなたの瞳から あなた自身から  逃れられたとき

もう あなたに惑わされることも、惹かれることも、ないのですもの。

そうよ

永遠に 解放されたのですもの ・・・ あなた、から。

 

 

誘ったのは あなた   魅せられたのは 彼女。

 

 

髪を愛撫していた白い指は やがて彼の頬をなで唇を這い

首筋から鎖骨のくぼみへ そしてすべすべと固い胸板を辿る。

 

 ・・・ はあ ・・・

 

フランソワ−ズは思わず脚を組み替え、知らないうちに吐息がこぼれる。

引き締まったわき腹と形のよいがっしりした腰へと

彼女の指は 持ち主の意志に反してどんどんと進んでゆく。

 

ああ・・・ ああ。

わかっているのに。 

わたし・・・ わたし・・・ 逃げられない・・・わ

 

 

留めたばかりのブラウスのボタンを外す手ももどかしく

彼女は乱暴にその身体を 彼の上へと投げかけた・・・

そう・・・ 永遠にわたしは あなたの虜 ・・・

 

 

誘ったのは あなた  魅せられたのは わたし。

 

 

******   ( 了 )  ******

Last updated: 11,22,2005.                             index

 

 

***  ひと言 ***

<超銀>ですとも、はい。 あのラストシ−ンの夜であります。