『 006 ・ 基本 』
− え・・・? なに。
ジョ−は少しばかり頓狂な声をだして問い返した。
蒼い瞳が熱心に彼を見上げている。
「 だから、ね。 日本語を教えてほしいの。 」
「 なんで・・・・? きみ、ちゃんと話せてるよ。 買い物だって一人で行くじゃないか。」
「 だって・・・・。 ソレは翻訳機があるからでしょう。 おしゃべりはできるわ、聞く事もね。 でも。 」
文字が読めないからこまるのだ、とフランソワ−ズは少し口を尖らせた。
「 お買い物に行っても、困る事が多いの。 いちいちあなたに付いて来てもらって読んでもらう
わけにも行かないでしょ。 」
「 別に・・・僕はかまわない・・・ケド。 」
−ほんとは いつでも傍にいたいんだけど。
垂れた前髪の陰で やたらに赤くなっているジョ−に気付くようすもなく。
フランソワ−ズは いそいそと大判のノ−トを持ち出してきた。
「 ここにね。 みんなの名前を書いてちょうだい。 日本語で、おおきく、ね。」
「 名前? 」
「 そうよ、みんなの名前。 なにごともまずは基本からゆかなくちゃ。 」
「 はいはい・・・。 」
ジョ−はちょっと苦笑して。 ノ−トを受け取りペンを動かし始めた。
− 仲間たち、か。
おそらくこれから途方もなく長い時間(とき)を 分かち合ってゆく人々の名前を、
ひともじ、ひともじ しっかりと書く。
それぞれの 面影を思い浮かべ、こころを込めて、ゆっくりと ていねいに。
平かなで カタカナで。 ・・・書ける者は漢字で。
「 はい、 コレでいいかな? 」
「 ありがとう、ジョ−! 素適なお手本だわ。 」
じっと彼の手許を覗き込んでいたフランソワ−ズは す・・・っと彼の頬にキスをした。
「 ( うわっ・・・!) ・・・あ、ああ・・あの、お手本なんて。 そんなたいしたモノじゃ・・・ (あれ・・?) 」
どぎまぎして 顔を上げれば。 すでに彼女は<お手本>を夢中になって眺めてた。
それからというもの、 ちょっとでも時間があると熱心にノ−トを拡げるフランソワ−ズの姿がギルモア邸の
そこかしこで見られるようになった。
「 ・・・ ずいぶん 熱心なんだね。 」
「 早く覚えたいの。 いつまでもあなたに迷惑はかけたくないもの。 」
「 そんな、 迷惑だなんて。 僕はちっとも・・・ 」
「 そうなの? ・・・・ああ、日本語ってむずかしいわ! どうしてこんなにいっぱい文字があるの〜 」
口では嘆きながらも、ノ−トの表面をたどってみせる指は案外たのしげに動いていて。
ジョ−はちょっぴりその<お手本>がうらやましい気がしないでもなかった。
夕食後。
リビングのソファで 相変わらずノ−トを抱えている彼女の手元を ジョ−が笑ってのぞきこむ。
「 どう・・・? 上手に書けるようになったかい。 」
− あっ!イヤよ、見ちゃあイヤっ!
大慌てで手でノ−トを押さえ胸に抱え込むその恰好が可愛くて。
「 ? なんで隠すの? 」
あまりの真剣さに かえっおかしさがこみ上げてきて ジョ−はなおさら熱心に目をこらした。
そして。 そこにみつけたモノは。
白いしなやかな その指のあいだからのぞいた文字は。
− しまむら ・ 島村 ・ シマムラ ・・・・ し・ま・む・ら、のくりかえし。
「 ・・・・あ・・れ。 僕、の・・? 」
「 あ・・・あのね、 あの・・・」
耳の付け根まで真っ赤になって。 うつむいたまま彼女にしては 珍しくもごもごと呟く。
− だって・・・・ あなたの名前がイチバンむずかしいんですもの・・・・か、漢字とかが・・・・
「 ・・・・そ、そうだね・・・? 」
ジョ−も どぎまぎ 赤くなってソッポを向く。
− だって。 僕の苗字のあとに。 きみの名前がコッソリ続けて書いてあるのを・・・発見したから!
お互いの名前以上のことが すこしづつ気になってきた、そんな穏やかな日々での出来事。
( 了 )
Last updated
: 8,16,2003. top