7.パンノニアの轟
アヴァール人はトルコ・モンゴル系の遊牧民で、5世紀から中央アジアから東ヨーロッパにまで勢力を広げていた。小さな足の速い馬を操り、辺境の修道院を襲って財宝を蓄えていた。
 7世紀以来パンノニア平原(ハンガリー、セルビア)に定住していたアヴァール人のこれ以上の進出を阻止しようと、カールは彼らをドナウ川の向こうに限定しようと協定を図ったが、アヴァール人から拒否された。

 788年、アヴァール人はバイエルンとフリーウリに侵攻してきた。
 791年、カールはレーゲンスブルグで指揮をとり、カールが組織した最初の遠征隊は失敗した。
 795年、息子ピピンとフリーウリ辺境伯エリックとの共同作戦により、アヴァール人をドナウ川にまで押し返した。
 796年、再度アヴァール人と戦い、エリックは戦死したが、パンノニアをフランクの辺境領とすることに成功した。 また、アヴァールの指導者達はキリスト教を受け入れ、洗礼を受けることとなった。