魔法少女リリカルなのは if
第一話〜ある魔道師と使い魔の生態〜
風が吹いている。
その風は、まるでその場にあるもの全てをなぎ倒さんとせんばかりに吹き荒れていた。
形容するならば、刃を持った台風とでもいえばいいだろうか。
そしてそんな強風の中、一人の男が走っていた。
「……はっ、はっ、はっ……」
もうかなり長時間走っているのか、それとも元々体力がないのか、全身に大量の汗をかき、息もかなり荒い。
――くそっ……一体何が……!
男は内心ではき捨てるようにそう思いながら、走り続ける。
止まったら終わりだ。
男にはそのことが痛いくらい分かっていた。
ただ、どうしてそうなるのかは分かっていなかったが。
男が走り始めて、そろそろ三十分が経とうとしていた。
それは一日の仕事を終え、懐も暖かかったので、酒 の一つも飲んでいこうと時々行く店へ入り、倒れない程度に飲み食いした後のことだった。
いい気分で歩いていると、いきなり何かを感じた。
それが何なのか分からないままに男は転がることで、『それ』を避けた。
足元の地面が割れた。
そのいきなり――恐らく上から――現れたものは強固であるはずの石で出来た地面を破壊した。
それを見た途端、男は恥も外見もなく逃げ出した。
誰かに助けを求めるとか、警察などに保護を求めるとかそんなことは発想すら出来ないままに。
恐ろしかった。
相手が見えない。
何をされているのか、どうしてこんな目にあうのか、漠然とは分かるものの、はっきりとは分からない。
そして何より、この感情のなさが恐ろしかった。
今までの経験状、闘う人間というものはそれなりに感情を表に出してきていた。そこには理由があったから。
闘わねばならないという想い、闘いたいという想い、倒さねばならぬという想い。
そういった想いのようなものが何一つ感じられない。
あるのは、事実だけ。
自分がこの相手に殺されようとしているという事実だけ。
そのことが何より恐ろしかった。
男の体力は精神的にもかなり削られていた。
「くそっ……!」
あれは一体何だ。
走っている三十分の間に、男は人のいない場所へと追い込まれていた。
冷静さを完全に失っていたのは最初の数分間だけで、残りの二十分ほどはそれなりに考えて走っていた。
しかし相手も考えていたのかこちらが助けを求める、もしくは人通りの多い場所へ行こうとすると、『それ』を使って、その行動を阻んだ。そうしているうちにいつの間にか、街の外へ出てしまっていた。
一体、何が起きているのか。
自分はただ酒を飲んで、気持ちよく家に帰ろうとしただけなのに。
――タイミングが悪すぎる……!
何が起きているか分からないながらも、どうしてこうなっているのかは何となく分かる。
今まで清廉潔白どころか後ろ指指されるような生き方ばかりしてきたのだ。
いずれこんな日がくるのではないかと何となく漠然と思っていた。だが、よりにもよってこんなタイミングでこなくても。
「くっ!」
また、『それ』は上から降ってくる。男はまた転がって避ける。
しかし完全には避けきれず背中に鋭い、焼けるような痛みが走った。
「どこだっ!出て来い!」
「……」
そう叫んでも返ってくるのは沈黙だけだった。代わりに何か硬いものが降ってくる。
「……がっ!」
先ほど自分の背中を焼いたものとは違う。だが、痛みを与えるという意味では同じものだった。
「硬貨……?」
そう、降ってきたのは硬貨だった。
硬貨というものは、基本的に金属で出来ており、意外に頑丈なものだ。常人では曲げることすら困難である。
そんなものが高速で降ってきているのだ。
ある世界には、指弾という技がある。
要するに、指で金属の丸い球を弾いて攻撃するというものなのだがその実、奥は深く、相手の骨を一撃で粉砕、もしくは絶命出来るような技がいくつもある。
まさに、今降ってきている硬貨の雨はまさにそう呼ぶに相応しいものだった。
もっとも、本当に達人のものであったら、降られた瞬間に全身の骨が砕かれ、戦闘不能にされているのだろうが。
相手を確かめなくては、という考えは一瞬で消え去った。
何はともあれ、この場から逃げなくては。このままでは、殺される。
改めてそう感じ、男はその場からまた、走り出そうとした。
しかし、それはまた『それ』に阻まれた。
「ぐっ!」
全身の痛みのためか、体が上手く動かない。
『Plasma Smasher』
そんな流暢な発音の英語が聞こえて、男は意識を失った。
最後に見えたのは、今まで自分の行動をコントロールしていた金色の光だった。
「――終わったよ」
男――確か名前はシャウゼンとかいったか――の死体を見下ろして少女が呟く。
そう、少女だ。人殺しという、生物としての最大の罪を犯した存在はまだ幼い少女だった。
その少女は黒いマントを羽織って、少女の手には不釣合いの黒い斧のようなものを持っていた。
確かにそれは斧の形をしているが、斧でいうところの刃の部分に金色の刃が生えている。
鎌と斧の違いこそあれど、その姿はまさに死神と呼ぶに相応しいものだった。
「そうだね」
少女のそんな呟きに答えたのは、一人の女だ。
タンクトップを始め、かなり露出度の高い格好をし、また少女と同じように黒いマントを羽織っている。
しかしその女、女というには少し変わった外見をしていた。
体はまさにスタイル抜群といえるものなのだが、耳の部分に狼のような耳が生えており、下半身の方には尻尾まで生えていたりする。
「帰ろっか」
「うん」
そう言うと、二人の姿はその場から消えた。わずかな光と共に。
そんな一つの死を生み出した金髪の少女の名はフェイト・テスタロッサ、そして女の名前はアルフといった。
海鳴第三マンション。
名前のセンスとしてはあまりいいものとはいえなかったが、部屋としては中々のものだ。
少なくとも、女二人で暮らすには十分すぎるほどの広さがあった。
事実、このマンションに住むことを決めて大家の元へ契約に行ったら変な顔をされた。
女二人、しかも片方は子供でここの家賃を払えるのかという。
ちなみに第三、という名前がついているが第一や第二の所在は不明である。
「フェイト、終わったの?」
「……うん、あと少し」
「ふーん、じゃ、あたし寝るね」
「おやすみ」
「おやすみ、フェイト」
風呂に入って来たアルフが頭を拭きながらフェイトにそう言う。
言われたフェイトはパソコンの画面から目を離すことなく答える。
フェイトは何となく横目で寝室へと向かうアルフの後ろ姿を眺める。
アルフはフェイトが二年前に、契約を行った使い魔だ。
故郷であるミッドチルダで、死に掛けていたのを見つけ、助けるために契約を結んだのである。
今では公私共に大切なパートナーだ。
それはいい。アルフに不満があるわけではないし、問題が発生したわけでもない。
――いいな、スタイルよくて。二歳だけど。
アルフは実年齢二歳、外見年齢十六歳のはずだ。しかしどちらにせよ、あのスタイルのよさは反則だと思う。
もっともまだフェイトは十歳に満たないのだから、スタイルがどうとか考える必要はない。
まだまだこれからである。アルフを超える可能性も十分にある。
そんなことは分かっていたが、それでもやはり羨ましいと思う。
フェイトは寝室に行ったアルフを見送ると、また目の前のパソコンに集中する。
今、フェイトがやっているのはある報告書の作成だった。
――こんな生活がもう二年、いや一年半ほど近く続
いているんだなあ……
そんなことを思いながら、キーボードを叩く。
フェイト・テスタロッサという少女はいわゆる魔道師である。
魔道師というのは早い話、魔法を使う人間の総称であり、彼女は戦闘用の魔法に長けていた。
その戦闘能力はまだ幼い少女とは思えないほどに高い。
彼女にとって母であるプレシア・テスタロッサが肺の病気で亡くなってもう二年ほどになる。
その間、フェイトはアルフと二人で生きてきた。フェイトは父親の顔を知らない。
プレシアはかなり前に離婚しており、またプレシアが時の庭園で他者との接触を断って暮らしていたということもあってか、この数年の間父親や親戚が会いにくるなんてことはなかった。
まあ、ある意味彼女にはそんなものは存在しないともいえるのだが。
時の庭園は異空間に閉じ込めたままだ。
フェイトには優秀な魔道師であり、研究者でもあったプレシアのようにあそこを管理することは出来ない。
ならば、誰の目にも触れられないように、そっとしておきたい。
もしかしたら、単に見たくなかっただけかもしれない。あそこにある、あれを。
とにかく、生きていくには当然ながら金が必要である。
当初は外見だけは大人なアルフがアルバイトをして何とか生活していた。
だが、毎日疲れて帰ってくるアルフを見て、自分にも何か出来ないかと思ってフェイトはあることを始めた。
魔法を使った何でも屋。
名前の通り、魔法を使って何か仕事をして、それでお金を貰う職業だ。
やってみると、世の中案外魔法を使ってどうにかして欲しいということは多いらしく、いつの間にかアルフのアルバイトよりも稼げるようになっていた。
ただ、二人は気づけなかった。
世の中からほとんど隔離されて育ったために、自分達が知らず知らずのうちにアンダーグラウンドの世界に片足どころか、体全体を突っ込んでしまっていたことに。
そして気づいた時には、もう手遅れになっていた。
フェイトが書いているのは今回の仕事の報告書だった。
依頼をどうやって、どのくらいの時間をかけて達成したかを明確に記しておくためのものである。
そうしなければ、依頼者は信用せず、金を渡さない。無論、出来ることなら証拠も欲しいが、それは状況次第だ。
それにそういった記録を残しておくことは、後々いつか役に立つ。
基本的にフェイトは依頼者に渡す報告書と自分の手元に置いておくものは別にしている。
仕事をする過程で依頼者も知らなかったこと、知りたくなかったであろうことを知ってしまうことがある。
わざわざ余計なこと、辛いこと、哀しいことを知らせることはない。
フェイトはそう考えていた。
まあ今回の場合、例え何も知らなくても別にしなければならなかったが。
そう、今回の依頼者は子供だった。フェイトと同じくらいの年頃の男の子だったのである。
報告書といった公的な資料に使われるものは文体が難しい。
子供では理解することは出来まい。
そんな男の子がどうやって依頼を――基本的に依頼は全て隠密に行われる――したのかは分からないが、その男の子はこう言った。
『お父さんを殺した人を殺して』
いきなりのそんな依頼にフェイトは驚かされた。
とりあえず、フェイトは魔法で外見を変えて、その子に会いに行ってみた。
こういった商売はまず信頼が大事だ。いかに実力があろうとも、子供では信頼されない。
まあ、切羽詰っているのにそれを解決するのが子供となれば信頼云々の前に嫌ということもあるかもしれないが。
それに、こういった色々な仕事をする以上、あまり顔が売れてない方がいい。
特に子供であるという事実は結構利用できる。
そういったことは、何でも屋をやっていく過程で知った。
その男の子の憎悪は本物だった。会ってすぐに分かった。
この男の子は凄まじい憎悪を抱いている、と。
話はすでにある程度聞いていたが、改めて話を聞く。
大体、聞いていた話と矛盾はなかった。
フェイトは問うた。
本当に、それでいいのかと。本当に殺してしまっていいのかと。
貴方一人の意向で、人一人の人生を、未来を奪うことになるが、その覚悟はあるのかと。
人の命を奪うということは取り返しのつかないことだ。
フェイトでも、いや世界中の魔法使い全員の力を使っても現時点では取り返しをつかせることは不可能だ。
だからというわけでもないが、人の命はとても大切で、かけがえのないものだ。
では、何故かそうなのかと言われると明確な答えは出せないのだけれども。
そう言っても男の子の目は、考えは変わらなかった。
それどころかまるで自分がその敵であるかのように睨みつけてきた。
フェイト自身、自らの言い分に説得力がないことは自覚している。
あちらだって人殺しにそんなことを言われたくはあるまい。
しかし逆に人殺しだからこそ言えること、分かることがある。
もしここで彼が手を下せば、どうなってしまうのかということが。
その一方でこの男の子に何を言っても止まらないだろうということも。
フェイトは今までの経験上、何度かこの男の子と同じ目の人間を見たことがあった。
復讐者。
この男の子の目は、そんな人間の目だった。
ならば、せめてここで止めよう。
彼自身ではなく、私の手でやろう。
そうすれば、彼は止まることが出来る。止まって、復讐者であることを止めることができる。
もし、自分で殺したら恐らく彼は完全に止まれなくなる。仮に復讐を成し遂げたとしても。
フェイトはそう思い、その男の子の依頼を受けた。
ただし、その復讐が見当違いのものだったら殺さないし、そちらにも報告する、ということだけは告げて。
それから二週間。色々な伝手を使って、調べた。
男の子の話は本当だった。
彼の父親は一人の魔道師に殺されていた。殺した動機は、金だった。
ただ、金が欲しいという欲望としては最下層といえるものから彼の家に押し入った。
そして殺した。大方、彼は父が殺されるところを見たのだろう。だからここまでの憎しみに駆られているのだ。
それを知った時、フェイトは自分が複雑な感情を抱いていたことに気づいた。
仮に男の子の言うことが間違っていれば、彼はずっと復讐者としての念を抱え続けることになる。
逆に正しければ、こっちが人を殺さねばならなくなる。
あっちを立てればこっちが立たず。
結局のところ、自分には選択肢などないことは分かっていたが、それでも複雑な心境になる。
男の子にそのことを告げると、男の子は目を輝かせていた。これから、自分の言葉一つで人が死ぬというのに。
彼は、金はないと言った。
フェイトの仕事は慈善事業ではない。金は貰う。
けれど男の子は貯金箱を出して、これを取れ、残りは一生かけて払うと言った。
憎しみの中に真っ直ぐな真摯な輝きを瞳の中に宿らせて。
こんな目をされたのでは、やらないわけにはいかない。
フェイトはその貯金箱を受け取り、残りはいいと言って男の子の前から姿を消した。
もう会うことはないと告げて。
それから三日、フェイトは男の後をアルフと一緒に尾行した。
確実に彼を殺せるその時を待つために。
ターゲットは、魔道師だ。
フェイトとアルフの実力なら真正面からいっても十分に勝てるものであったが、それでも余計な危険を犯すようなことはしない。
ターゲットの持つ魔法のデバイスはストレージデバイス、良くも悪くも一般的なもので、フェイトのものとは違い人工知能の類は積んでいない。
簡単に言うと魔法を詰め込んでおく記憶媒体だ。
彼を調べる過程でフェイトは彼が近いうちに、そのデバイスを換装に出すことを知っていた。
魔法使いといっても、使っているものは機械だ。使いすぎれば壊れもするし、上手く作動しないことだってある。
だから、時々メンテナンスが必要になる。
換装に出した時を狙う。それなら、確実だろう。
デバイスのない魔道師に負けることはあるまい。
そして今日、実行した。
何故、自分はそんな目にあわされるのか説明して、少しでも罪を悔いてもらうべきかとも思ったが、そんなことをする資格などあるまい。
ただ、依頼者の想いに少しだけ報いたかった。
だから硬貨の雨を降らせた。あの硬貨の雨は男の子がフェイトに渡した貯金箱の中身だったのだ。
魔法を使って、大量の硬貨を高速で飛来させる。それがあの雨の正体だった。
あの硬貨にはいくつか赤いもの、血がついているものがあった。
あの男の子の家は父子家庭で、父が死んだ今、フェイトと同じように生きていくための金は彼自身で稼がねばならない。
どうやって稼いだかは分からないが、血がついているということは真っ当な手段ではないだろう。
そうまでして稼いだ金を自分に渡した。
そんな想いに少しでも答えてやりたかった。目に見える形で。その位のことはあってもよいような気がする。
今回の仕事は、かなりの赤字だった。唯一、もらえた依頼料も使ってしまったのだから。
だけど、それはそれでいいかとも思えた。
甘いかもしれない、そんなことをすべきではないかもしれない、あの硬貨から依頼者のことが知られてしまうかもしれない。
そう思わないでもなかったが、それでもこれが自分のやり方だ。
「これで、終わり……と」
報告書を製作し終えたフェイトは、それをパソコンの中に保存して目と目の間の皮膚をもむ。
少し目が疲れた。あとはあの男の子が教えてくれたアドレスに送るだけである。
ちなみに今、使っているパソコンも実のところ外見がそうなだけで、中身は違う。
この海鳴、魔法のない世界に住むに当たって万が一にも部屋に無関係な人間を入れることを考え、外見だけはこの世界のものにしている。
「私も寝よ」
報告書を送るのは明日でもいい。
むしろ、明日あのターゲットの死体が発見されてから出ないと意味がない。
フェイトは、小さくあくびをするとアルフと同じように寝室へ行こうとした。すると、わずかな電子音。
「……?メール?」
フェイトはこんな時間になんだろう、と思いながらそれを開く。
「……あいつらか」
メールの送信者の名前を見た途端、フェイトの端整な顔が歪んでいく。
よりにもよってあいつらか。
そんな思いがフェイトの胸に渦巻いていく。
「はあ……」
フェイトの口からため息が漏れる。
どうやら、寝るのはもう少し遅くなりそうだ。しかも快適な眠りは訪れそうにない。