風が、昼も間近な気配を乗せて吹きこむ。 「――おや」 古ぼけた寺の境内で、寺の主たる女性が、ふと顔をあげた。 その視線の先には、一際大ぶりな枝張りを見せる櫻の木。満開には、まだ早い。 「――誰だい、あんた?」 「すまない。邪魔をしたか」 す、と木の影から、一人の男が姿を現した。 すらりとした長身に、旅汚れの染みた藍染の服。半面を覆う、木の仮面。 「別に邪魔ではないよ。ここは寺だ。人が来てもおかしくないからね。…最も、こんな廃寺に来るのは、よほどの物好きか――だろうけどね?」 くつくつと笑う女性に、男もまた、静かに笑みを浮かべた。 「ここは心地よい場所だ」 「そう言ってくれるとは、嬉しいね。上がっていくかい? 今日はこれから客人の予定だから、お茶だけしか出せないけれど」 くすり、と微笑んだ女性に、しかし、男は首を横に振った。 「ありがたいが行く所がある」 「おや、そうかい。じゃあ、またの機会があったらね」 軽く頭を下げ、男が山門に向かって歩き出す。 (おや) さっきまでは気付かなかったが、男は荷物を背負っていた。少し大きめの、木箱だ。 (漂泊の民かい) そのまま見送っていると、男がふと振り返った。 「この寺の名は?」 「龍泉寺さ。――ふふ、名前負けしてるだろ?」 「いいや」 おや、と女主人は目を丸くした。珍しい事を、言われた。 「また寄らせてもらってもいいか?」 「構わないよ。…“邪魔”さえしなければね?」 「心得た」 そう言って、男は今度こそ姿を消した。 「変わった男だね」 ぽつりと主人が呟いた。 「ここの真の意味にも気付いていた…っていう風情だね」 いくつか、納得しかねる点はあるのだが。 「まぁ、いいさね。覚えておくよ、あんたの事は」 一人ごちると、主人は準備をする為に、寺の中へと戻っていった。 |