こつん。ぱりん。 ちょっとした不注意だった。横着と言ってもよかったかもしれない。 それで、砂時計は壊れてしまった。 私がいつから砂時計を好きになったのかは覚えていない。少なくとも、小学校の頃には好きだったのは確かだ。 虫歯を作ってしまい、歯医者さんから3分以上の歯磨きを、と言われた時、母に「じゃあ、ちゃんとみがくから。時間がしりたいから砂時計がほしい」とねだって買ってもらった、赤いペイントの木枠の砂時計が最初に手に入れた砂時計だった。これは今も、実家にある。 それ以前も以来も、どこかへ出かけた時、砂時計のコーナーがあるならそこを見に行く。そんな子供だった。けれど、色つきの砂や冷たい印象のステンレス枠は嫌いで、ついでに時間の違う砂時計がセットになったものも嫌いだった。 いろいろあって、中学・高校は砂時計には触れずに、大学に入ってからしばらくして北野異人館を歩いている時、ふと曲がった角にあった雑貨屋で、それを見つけた。 真鍮製で小ぶり。冷たいけれども、しっかりとある重み。器と枠の間に遊びの空間があって、振るとちりちりと涼やかな音がした。 一目で気に入った。店主さんの、「真鍮製だから、ちゃんと磨くとさびないよ」と言う言葉にわくわくした。 ずっと付き合っていけるものだ、と。 帰り道で磨くためのセーム布を買い、それから3年間付き合ってきた。 本当に、さびなかった。 真鍮が本当にさびないのかどうかは知らない。とにかく、嬉しかったのだ。 それを、壊してしまった。 本棚に置いてあって、ノートを出そうとした時に、そのノートの角を当ててしまって。 しばらく放心したのを覚えている。けれど、その後はあやふやだ。 拾って、こぼれた砂も集めて。それからどうしたのだろう。袋に(この袋も、何だったのか覚えていない)入れたはずだが、その後は? 捨てたのか、それともしまいこんだのか。 確かなのは、今でもこうして引きずっていると言う事だ。ふとした拍子に思い出して、ずんと沈んでしまう。 こうして書けるということは、落ち着いてきたのだと、思うが。 明日は祝日だ。北野にもう一度行って、あの砂時計を探してこよう。 また、あの形と音と色に、出会えるだろうか。 |