薔薇の記憶




 覇王と呼ばれた男には美しい妻がいた。名門エルテナハ家のベルナータ・エルテナハである。
 生前、彼女がこよなく愛した薔薇の庭園は支配者が変わった今でも当時のままだった。ハイムからほど近い土地に造られた離宮の庭、この離宮に王妃は幼い王子とよく滞在していた。

 統一戦争が終わり、ヴァレリアがつかぬ間の平和だった時代・・・。





 バグラムの魔術師、シェリー・フォリナーは一人ここにいた。風が彼女の髪を乱す。華やかな美貌の持ち主だった王妃に相応しく大輪の薔薇が咲き誇っていた。

 シェリーに王妃の記憶はない。彼女がまだ4つか5つの頃、王妃は30歳の若さでこの世を去った。ただ、何年か後に王妃をしのんでエルテナハ家の当主が主催した夜会に母に連れられてここに来た記憶はあった。その時幼心に刻まれた胸の痛みとある光景は今でも忘れることは出来ない。



 薔薇はあの時と同じように咲き誇っているのに、自分の手を握りしめてくれた母はいない・・・。



 「・・・らしくないわ。感傷的になって・・・・・・。」
 この薔薇の所為だと独り言を呟くとシェリーは城に帰ろうとする。その時風にのって薔薇の甘い香の中に血の匂いを感じた。そして・・・、微かな魔力。

 シェリーは身を強張らせると魔力を感じた方に走り出した。いくつかの薔薇のアーチをくぐりぬける。

 「間違いないわ、この感じは・・・!」

 敵対する反政府過激派組織のリーダー・・・

 かつてヴァレリアの戦いの乙女としてドルガリア王の横に立つことを許されていた美貌の姉だった。



 「シェリー・・・。」

 薔薇の繁みの前に横たわる男の死体から剣を抜き取ろうとしていたセリエは突然目の前に現れた妹の姿を認めると少しだけ驚いた顔をした。がそのまま男の身体から剣を抜き取ると鞘に収めゆっくりと妹に向かって言葉を発した。

 「元気だったか?」

 少しだけ姉は痩せただろうか?相変わらず化粧気のない顔だったがその美しさは何ら遜色はなかった。シェリーは一瞬の気後れの後、化粧していることを思い出し、きっと顔を上げあえて慇懃無礼な口調で姉に返答した。

 「おかげ様で。お姉様こそお元気そうで何よりですわ。相変わらず人殺しがお好きなようで・・・。」

 そう言いながら姉が手にかけた男を見る。男には見覚えがあった。実力もないくせに名門貴族の子息という事だけでバグラム軍で大きな顔をしている男だった。哀れみの情などわくはずもなかった。

 「人殺しが好きなのはお互い様だろう?」
 おまえに言われるとは意外だとばかりにセリエが言った。
 「ウェアラムでわたしの部下を何人葬った?」
 「覚えていないわ、そんなこと。」
 「11人だ。・・・バイアンも重傷を負った。」
 「あの老いぼれもいたの?・・・年を考えずに過激派なんかに身を投じるからよ。」
 「ブランタの手先に成り下がるよりも賢い選択だと思うがな。」
 「僅かな戦力でブランタ様にたてつく姉さんよりマシよ・・・・・・。」

 久しぶりに交わした会話はお互いを懐かしむものではなかった。冷ややかな空気が2人の間に流れる。

 「いつまでつまらぬ意地を張るつもりだ?」
 「・・・何の事かしら?」
 「おまえがブランタに寝返った理由だ。」
 「強い方についただけよ。」

 セリエは父がブランタとの権力争いに負けて王都を追放された時シェリーとブランタとの間に何があったのかは知らない。だが、誰よりも母親を愛していた妹が父との確執からブランタ側についたのだとは察していた。妹が負った心の傷を癒すのは姉の役目だと思い努力はしてみたが無駄だった。だから・・・シェリーの自由にさせた。仲間を殺されてもシェリーを始末しようとしなかったのは肉親の情だ。リーダーとしては失格だと自嘲する。

 「一緒に来る気がないのならわたしは行くぞ。」
 そう言うとセリエはシェリーに背を向ける。姉妹とはいえ今は敵対する相手に対しあまりに無防備な姉の背中だった。
 「あたしが賞金首を逃すと思うの?」
 魔力を溜めながら妹が言った。姉は余裕で笑った。
 「ここでは戦えないだろう? 花が燃える。」
 背中を妹に向けたまま言うとセリエはゆっくりと歩き出した。
 「大切な庭なのだろう? お母様との思い出がある・・・・・・。」
 「・・・・・・!」
 
 その姉の口調が気に入らなかった。馬鹿にされたと思った瞬間、思わず姉の立つ地面から酸性ガスを呼び出していた。咄嗟にセリエが飛び上がり範囲の外に出る。セリエのブーツが変色していた。

 「今度わたしに魔法をぶつけてみろ、この薔薇の庭を燃やす!」
 姉の掌の上に炎が燃えていた。姉は平然とやってのけるだろう。母との思い出。あの夜母と眺めた薔薇・・・。ふいに思い出した。あの薔薇はどこに植わっていたのだろうか?

 「シェリー、おまえがお母様から離れられなかったのはお母様から愛されている自信がなかったからだろう?」

 ・・・姉は触れてはならない妹の心の闇に土足で乗り込んだ。シェリーの顔が青ざめた。震える声をやっとの思いで搾り出す。

 「・・・・・・殺す・・・わ・・・。」
 憎い姉・・・、美しい姉・・・、皆が賞賛していたフォリナー家の長女。あの時も誰かが言っていた。



 “セリエは来ていないのか? 楽しみにしていたのに”
 “残念だな”



 姉が言う。
 「おまえには無理だ。…わたしを殺せるのはオリビアだけだ。」
 「・・・!」
 ふとシェリーの殺気が削がれた。ずっと会っていない末妹の顔を思い浮かべる。噂では失踪した父のかわりにフィラーハ教団をまとめているという。あの男について行ったばっかりに苦労しているのだ。父への憎しみが募る気がした。

 可愛いあたしたちの小さな妹・・・。

 もう一人の妹システィーナはセリエと共に行動をしていた。心優しい、他人の痛みを自分のことのように感じることが出来る娘だった。

 シェリーの緊張が途切れたのを感じたセリエは再び歩き出した。

 妹達は愛している。だけど・・・だけど、あれほどの美貌を持ちながらその美貌に無頓着で、がさつで無神経な姉は・・・許せないと思った。父からも母からも愛されていた姉・・・。

 殺気がまたシェリーの身体から発せられる。セリエは目を閉じると無言で薔薇の繁みめがけて炎を飛ばした・・・。

 瞬時に燃え出す薔薇の木を前に動けないシェリーを肩越しに一瞥するとセリエは駆け出していった。シェリーではない。母に愛されていなかったのは自分だと思う。フォリナー家の長女なのに魔力は妹たちの方が上だった。ため息をつく母を見るのが辛くて母親のそばにいることが少なかった。いつも母にくっついているシェリーが羨ましかった・・・。

 さっきシェリーの魔法で受けた足先のチリリとした痛み・・・。母に甘えることが出来なかった小さなわたしの・・・心の痛みだとセリエは思った。





 あれから燃える薔薇の木々に水をかけてなんとか被害を最低限に抑えたシェリーはそのまま庭園の中のベンチに足を抱えて座っていた。薔薇の甘い香は何ら彼女の慰めにはならなかった。涙が膝頭に広がっていくのにも構わずシェリーはいつまでもそのままの状態でじっとしていた・・・。

 シェリー・・・
 シェリー・・・・・・

 シェリーは遠くで自分を呼ぶ声を聞いてゆっくりと顔を上げる。いつの間にかあたりは暗くなっていた。目の前を少女がパタパタと走って通り過ぎていった。どこかで見た顔だと思ったシェリーは少女の走っていく方を見て息を呑んだ。

 「お母様・・・!?」

 病に伏せる前、若い頃の母が笑ってシェリーの名前を呼んでいた。慌てて周りを見回す。人々が綺麗に着飾って薔薇の庭園を歩いていた。

 あの時の夜会だ!
 ではあの少女は・・・あたし?
 
 素顔のわたしだった。精一杯おしゃれしてフォリナー家の娘らしく誇らしげにしている。母に手をひかれて人々に挨拶をしているわ・・・。でも楽しいのはここまでだわ。ほら、エルテナハ家の当主が言うわ。姉さんが来ていなくて残念だと。姉さんの着飾った姿が見たかったのにと。そしてあたしはそれまでの楽しかった気分が一瞬で萎んでしまったのだ。

 誰も大人のシェリーに気づく者はいない。母も彼女に気がつかなかった。

 母はシェリーの手を引いて夜の庭を歩いて行った。その後をシェリーはついて行く。松明の明りが向こうに人影を浮ばせていた。ドルガリア王だった。愛する家族を失った孤独な覇王が一人佇んでじっと薔薇を見つめていた。

 母に気づいた王がこちらを見る。母と小さなシェリーが頭を下げる。王はその前を無言で通り過ぎて行った。

 「お母様?」
 小さなシェリーが母に甘えた声を出す。
 「シェリー、ほら・・・綺麗でしょ。ベルナータ王妃の薔薇よ。」
 
 満月の明るい光に浮ぶのは真っ白い薔薇の花だった。王が見ていた薔薇・・・。王妃が生まれてきた息子のために自ら手を汚して植えた苗がいくつもの大輪の白い花を咲かせていた。

 「・・・綺麗・・・・・・。」
 「綺麗なのは王妃様の心がこの花にあふれているからよ。子供の幸せを願う母親の想い・・・。」
 「お母様も?」
 「そうよ。シェリー・・・、あなたもセリエもシスティーナもオリビアも・・・、みんな幸せになって欲しいわ。」
 「誰が一番?」
 「みんなよ。誰が一番でもないわ。」

 でもあたしは・・・、お母様の一番になりたかったのだ・・・・・・。

 遠い日の母と自分の会話を聞きながらシェリーはそう思った。その場からそっと去ろうとして母に背を向ける。その時、

 「シェリー・・・。」

 母が呼んだ。思わず振り返ると姿が見えないはずの自分を母が見つめていた。小さなシェリーの手を握りしめたままで。目があったような気がした。母がシェリーの大好きだった笑顔を浮かべた。

 幸せになるのよ、シェリー・・・・・・

 涙が出て止まらなかった・・・。涙で白い薔薇と小さなあたしと大好きな母が揺れていた。





 シェリーはベルナータ王妃の白い薔薇の前に一人佇んでじっと見ていた。王妃の薔薇はあの時と同じように大輪の花を咲かせていた。シェリーは固い表情でいつまでもその薔薇の前で立ち続けていた・・・・・・。



 
<後書き>
こっそり後で書き直すかもしれませんが、アホなのばかり書いてないでたまには真面目な話もね。最後の方は力尽きてしまいましたが・・・。(2004.1.15)



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