世界は静かにその時を待つ





 デニムが雪を払いながら部屋に帰るとオリビアがベッドの上で規則正しい寝息をたてていた。抱えていた食料をそっとテーブルに置きオリビアの寝顔を覗き込む。熱が少しある所為か頬が赤い。オリビアの白い肌はこのところますます白く透明さを増してきていた。

じっと寝顔を見つめる。見る者に酷薄な印象を与えるアイスブルーの瞳が閉じられているせいかオリビアは寝顔の方が幼く見えた。まだ・・・二十を過ぎたばかりなのだ。オリビアも、デニムも・・・。



 強大な魔力を持った娘はその力で祖国を戦乱から解放した。数多の敵の命を奪って。その代償に神が望んだのはオリビアの生命だった。否、魔力を使いすぎたために、彼女自身の命を縮めたことになったのか・・・・。

デニムは思う。自分がそれを望んだのだと。
プリーストだった彼女をセイレーンに変えた。その手の中の癒しの力は人の命を殺める破滅の力となった。

自分と再会しなければ・・・、と思う。彼女はフィラーハ教団の癒し手として皆の尊敬と敬愛を受け続けていただろうに・・・。再会したばかりに、幼い頃持て余して封印された魔力を再び解き放ったフィラーハの水の乙女は、その力でヴァレリアの氷の魔法使いと恐れられる存在となった。

氷の精霊・フェンリルを召還して、
アイスブラストであたり一面を凍らせて、
アイスレクイエムで生きる者全てを死に至らしめる・・・



 笑顔の可愛かった小さな女の子。魔力をコントロール出来なくて泣いていた女の子。
目を閉じれば鮮やかに甦る遠い日々・・・。



 世界は白く静かだった。じっと寒さに耐えて春を待っていた。春になれば新しい命が芽生え緑豊かな世界になる。

なのにオリビアは静かにその命を閉じようとしていた。
ヴァレリアに帰りたいだろうに、オリビアは何も言わない。



 デニムがオリビアの寝顔をじっと見つめている時、バタンと戸が開いて懐かしい顔が現れた。

「カノープスさん!」

カノープスがたった今まで飛んでいたといった様子で荒い息をつきながら部屋に入ってきた。背中の羽根にまだ雪がついている。

「この天気の中を?」

「オリビアの調子はどうだ?」

デニムの問いに答えず、カノープスは声をおとして言った。彼女の目が覚めないように。デニムは静かに首を振る。

「そう・・・か。ギルダスたちがヴァレリアに向かった。セリエたちを呼びに行った。」
 
「けれどここまでは・・・、ザナドュまでは何とか来れてもそこからは海も凍っているし、道も雪と氷に閉ざされている。」
 
「セリエがいる。炎の魔法を使って根性でやって来るだろう? システィーナとシェリーだっている。」

デニムの脳裏にセリエの顔が浮んだ。彼女なら・・・あるいはと思った。だが、それまでオリビアがもつのか・・・?

「何故、もっと早く知らせなかったんだ。そうすれば打つ手もあっただろうに・・・。」

「いつもすぐに良くなっていたから今度もそうだろうと思って・・・、軽く考えていました。オリビアも大丈夫だと言っていたし・・・、だからまさかこうなるなんて思ってもみなかった。」

「・・・・・・。」

今更あれこれ言っても仕方ないのはカノープスもわかっていた。だが、もう少し彼らに気を配っていたらと思わずにいられなかった。デニムから視線を眠る娘に向ける。

カノープスの記憶の中のオリビアはいつだってデニムを見ていた。年のわりに苦労してきたしっかり者のフォリナー家の末娘はデニムの前では恋する乙女だった。ゼノビアまでデニムを追いかけてきたオリビアを前に戸惑うデニムの背中を押してやった。その時のオリビアの輝いていた笑顔が忘れられない。こんな未来が用意されていたとは知る由も無かった。

「・・・間に合うといいがな・・・。」
何にとは言わずカノープスが呟いた。デニムは目を伏せる。

 オリビアが小さく身じろいだ。こうしている間にもオリビアの魔力が彼女の命を蝕んでいるのか。デニムはオリビアの髪にそっと触れた。彼女の眠りを妨げないように細心の注意を払って。



「・・・オリビアが言っていました。ここはブリガンテスに似ていると。」

カノープスは視線を窓の外にやる。白い氷と雪の古い町だ。ブリガンテスも雪と氷の城だった。ブリガンテス城の城壁からバハンナ高原の方を見て、彼女はデニムが来るのを待っていたのだ。

「雪の中で再会して、彼女はセイレーンに戻った。僕がそれを望んだから。」

彼女の魔力が必要だった。ヴァレリアに平和を取り戻すためには。
けれど考えはいつでもここにいきつく。
僕とかかわってオリビアは幸せだったのだろうか?
もっと別の人生があっただろうにと。

「オリビアは後悔なんてこれっぽっちもしていないと思うぜ・・・。」
カノープスはそう断言した。

あの時のオリビアの笑顔が彼の脳裏に浮んだ。



 窓の外の世界。雪が降る。
デニムとカノープスは無言でそれを見ていた。



世界は今静かに彼らの前に横たわっていた。





<後書き>
オリビアを最強のセイレーンにした時点で彼女の最後はこうだろうな〜と勝手に思っていました。強すぎた魔力がオリビアの命を蝕んでいく。で、乳飲み子を抱えたデニム(オリビアいつ生んだんだ〜?)はヴァレリアに帰り、姉に娘を預けまた旅に出るのです。んでその娘はヴァイスとカチュアの息子(父親そっくりの目つきの悪いクソガキ王子様)と幼い恋を育んでいくのです・・・ってね。 (2004,1,21)

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