SNOW BLUE バハンナ高原にて
バハンナ高原はヴァレリア島の西部、ブリガンテス地方の標高3000〜4000バスの山々が連なるの南の端に位置し、コリタニ地方からブリガンテス城に行くためには必ず通らねばならない一年中雪に覆われた高原である。
デニムたちは今、ここバハンナ高原にいた。
ブリガンテス城を占拠したフィラーハ教団指導者と話し合いをするために、ここを通っていたのだ。
天候は珍しくここ数日穏やかで、鈍い銀色の太陽がどんよりとした灰色の空に微かにその存在を示していた。
「ぶぇっくしょ〜〜〜い!」
有翼人のカノープスが盛大なくしゃみをした。上半身裸なのはいつもの事だ。
「上着を着ろ! おまえのその格好を見てるだけでこっちが寒い」
と、鼻水を垂らしながら大声を出しているのはゼノビアの髭の騎士だ。ハイランドの上都ザナドュ出身のくせに寒さにからっきし弱い。ついでに暑さにも弱かった。ウェオブリ山では暑さのために鎧を外して敵ホークマンの矢の的になり皆のひんしゅくをかった過去を持つが、別に使えない男ではない。性格は豪快で酒と女で失敗するのもどこか愛嬌があった。
端正な顔立ちをしたゼノビアの若い方の騎士は、「髭!」「鳥!」といった低次元の言い合いに発展した仲間のやり取りを苦笑を浮かべて眺めていた。
ゼノビアからある目的の為にこの島にやって来たのは5人、うち3人がデニムたちと行動をともにしていた。
雪に足をとられながら今にも転びそうなおぼつかない足取りで歩いているのは魔法使いの爺さんとエクソシストの親父の2人だった。以前来た時、爺さんの方は転んで骨折していたので余計に慎重に歩いていた。
「フォルカス!」
元バグラムのエリート騎士のフォルカスが少し離れたところで恋人システィーナの姉に怒鳴られていたが、いつもの光景なので気に止める者はいない。ただ、システィーナだけが姉の怒りがはやく収まる事を祈っていたのだが。
セリエが怒った原因はこうだ。ドラゴンだらけのこの雪原を抜けるには、ドラグーンになっている方がはるかに有利なのに、フォルカスはクラスチェンジするのを忘れて騎士のままだったから、それをセリエに詰られていたのだ。もっとも、彼はドラグーンになるのは顔が蒸れるからとあまりなりたがらない。
少し離れた所をアーチャーのアロセールが周りに注意を払いながら黙々と歩いていた。
一行はわずかに十数名。
その中にクレリックの娘がいた。セリエら他の女性たちが戦いの中で洗いざらしのボロ服を着ていても、宮廷できらびやかに着飾っている貴婦人たちと何ら遜色のない美しさをしいるのに比べて、どうしても地味という感じは否めない。
が、気立てのいい娘で、名をミネルヴァといった。
毎回戦闘に参加して、ひたすらみんなの後ろの方で回復魔法を使うのが彼女の役割だった。
それが不満だと思ったことは一度もない。ただ・・・わたしはわたしと割り切っているつもりでも、男性の注目を集めるフォリナー家の娘達が少しうらやましかった。ここのところの度重なる戦闘に少し疲れ気味でもあったのだが・・・。
「ミネルヴァ、こっち来てごらんよ」
そう言って小川の横、むこうの岩陰から手招きしているのはもうアロセールの他にいるもう1人のアーチャーのエレナだった。彼女もミネルヴァと一緒にクリザローでウォルスタ解放軍に入ってきて以来ずっと一緒に戦ってきている。
ミネルヴァが呼ばれた方に行って、エレナの視線の先を見ると、そこにはひっそりと咲いている一本の小さな白い花があった。
スミレに似た小さな白い花。花弁の中心が微かに青い。
「これ・・・?」
「バハンナ・フィオリア・・・、別名スノーブルー。珍しいのよ、この花は。この時期たった1日だけ花を咲かせるの。見れるなんてラッキーだったわね。」
にこにこと鼻のあたまを真っ赤にしながらそう言うエレナに詳しいのねと言うと、自分は花屋の娘だからという答えが返ってきた。もっとも昔っからあんまり花は好きではないけどねと、肩をすくめて付け加えたが。
「寒い・・・こんな場所でも、ちゃんと花は咲くんだ・・・・」
ミネルヴァはしゃがんで、その花を見つめた。優しい気持ちが胸に広がる。
毎日が辛くないと言えば嘘になる。
でもこんな小さな命が頑張っているのだから、わたしも頑張れる気がする、そう思えた。
「きっと近くにこれが群生している場所があるわよ」
「見てみたいな・・・・・」
見回すと、デニムとゼノビア人たちが何か立ち止まって話をしていた。何か話し込んでいそうだ。しばらく続きそうだったので少しまわりを探してみようと思い、ジネの木が何本かまとめて立っている方に歩いていく。エレナがそれについて行ったその時、
「勝手に皆から離れると危険だというのがわからないのか?ここはドラゴンの巣窟だぞ。」
振り返ると、ミネルヴァたちがいた場所にセリエが立っていた。
あちゃーっというようにエレナが肩をすくめる。
ミネルヴァはセリエの足元を見た。
足元には踏みつけられたバハンナ・フィオリナの無残な姿があった。
「セリエさん!」
「何だ?」
ヴァレリア解放戦線という過激派組織の元リーダーだった彼女の眼光は鋭い。炎のセリエという名は彼女のエレメントからではなく、その瞳に宿る激しさに由来しているのではないかと思わせる鋭さだ。
「あっ・・・・、あの・・・・、あ、足・・・・」
消え入りそうなミネルヴァの声にセリエは足元を見下ろして、初めて花の存在に気がついたようだった。最後まで言いよどんでいるミネルヴァと自分の足元をしばらく交互に見くらべていたが、やがてつかつかと彼女のほうにやって来て言った。
「ふまれた花は可哀想だが、足元ばかり気にしていたら、前には進めないだろう?」
・・・そうだけど、それはそうだけど。
自分を見下ろすセリエの横をすり抜けるようにして花のところに駆け寄ると、ヒーリングをかけた。
・・・わたしは、足元の小さな命を愛しみたい。
ゆっくりと花が元の姿に戻っていく。
何かを言おうと口を動かしかけたセリエにシスティーナが小さく首を振る。姉が何を言ってミネルヴァが傷つくか察した。
セリエがため息をつきながらシスティーナの方に去っていこうとしたその時、アロセールが叫んだ。
「来るわ! ガルガスタンの敗残兵」
デニムたちは出来ることなら戦いは避けたいと思っていたが、実際は好むと好まざるとに関係なく戦闘を重ねているし、敵の多くの命を奪っているのが現実だった。
平和な世の中を作るために殺しあわねばならない矛盾。誰もがこのもどかしさを胸に抱えていた。
ガルガスタンの敗残兵だけでなくこの土地に生息するドラゴンたちまで襲ってきた。三つ巴の戦いは熾烈を極めた。
雪原が血に赤く染まる。
激しい敵の攻撃。前線で戦うゼノビア人やフォルカス、空中を移動して敵の背後をつくカノープス、魔法で攻撃する魔法使いやセイレーン。アーチャーたちの弓矢が空気を裂いて敵に命中する。その中でミネルヴァは必死で回復魔法を傷ついた仲間にかけ続けていた。
が、魔力は無限ではないのだ。あとT,2回で魔力が底を尽く・・・!ミネルヴァはそう思いながら、針葉樹の森に程近い所でドラゴンと格闘しているフォルカスにヒーリングをかけ、その先、森の中リザードマンの集団と剣を交えているゼノビアの騎士に駆け寄ったその瞬間、背中に熱い痛みを感じた。
「!?」
何が起こったのかわからなかった。
左手を痛みの場所にゆるりと動かす。指の先にぬるりと触れる物で・・・何が起きたのか認識した。
・・・ああ、わたし・・・・・・・。
振り返った視線の先にガルガスタンのアーチャーがいた。アーチャーが矢をつがえる。その時カノープスがミネルヴァの視界に飛び込んできた。
ゆっくりとミネルヴァの身体が崩れ落ちる。
崩れ落ちながら・・・あの花の群生したところが見たいと思った。
夢を見ていた。
故郷の町の夢だ。運河が張り巡らされた緑のない町。
人々はその日を暮らすだけで精一杯だった。
民族が違うというだけで、知らない者同士が憎みあっていた。
花屋の店先でエレナが呼んでる?
その花屋は今でも店をしているのだろうか・・・。
「ミネルヴァ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「ミネルヴァ、ほら、さっさと起きて」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ミネルヴァ!」
軽く頬を叩かれる。
「・・・・! わたし!?」
「・・・・・・・・・・・・」
身体を起こして周りを見回すとエレナやデニムたちが自分を見ていた
「気が付いたんだね。良かった。怪我も大した事無かったみたいだし」
そう言ったデニムの顔に安堵の色が浮かぶ。戦闘はすでに終わっていた。
雪を炎の魔法で溶かし、剥き出した土を乾燥させ、そこにほんのわずかではあるが休憩する場所を作っていた。各自が思い思いの様子でくつろいでいたが、ゆっくりもしていられない。
ブリガンテス城に一刻も早く行かねばならなかったのだ。
「みんなは・・・?」
「誰一人欠けたものはいない。君がヒーリングを仲間にかけ続けてくれたおかげだよ。」
デニムがそう答える。
「でも・・・わたし、戦いの最中に気を失って・・・・・、みんなに迷惑かけました。」
「気にするな。誰かが死んだわけではないのだから。リザレクションを使わねばならないとしたら、さらに戦闘は長引いて迷惑だったがな。」
セリエがぶっきらぼうに言った。ミルディンが笑った。
「ミネルヴァ、立てる?」
「ん、大丈夫。」
さし伸ばされたエレナの手を握り立ち上がる。
「後少ししたら出発しよう。夜が来る前にここを抜けるぞ」
カノープスがデニムに言い、デニムがうなずいた。風を読めるシスティーナが吹雪く事を告げる。
「吹雪の中でドラゴンと格闘するのは勘弁だな」
ギルダスがイセベルグを鞘に収めながら立ち上がった。
皆、敵の返り血を浴びていた。
「その前に・・・、ミネルヴァ。」
デニムが言った。あっちに泉があるからセリエさんとちょっと行っておいでと。
「なぜ、わたしだ?」
「姉さんが見つけたんでしょ?案内してらっしゃいな」
会話の意味が掴めずに訝しげな顔をするミネルヴァにセリエが告げる。
「行くぞ。」
答えも待たずにセリエがすたすたと歩いて行く。
「・・・・・あっ、」
彼女の後姿を追いかけてミネルヴァは雪原を小走りになった。
雪が少しずつ降り出してきていた。
戦いで命を落とした者たちの上にも雪は降る。
やがて雪が全てを覆い隠してしまうだろう。その上でドラゴンたちが暮らすのだ。
「ここだ、ほら。」
「・・・・・・・・・・」
小さな泉のほとりでミネルヴァが目にした光景は
見事なまでのスノーブルーの群生。
小さな白い花が集まってささやかに自己主張していた。
こんな所で、誰の目にも止まらない所で、ひっそりとしなやかに。
あと数時間の命を精一杯。
涙が出てきた。胸の熱さと同じくらい涙が熱いと感じた。
「・・・わたしの魔法も、わたしの力も、破壊のためのものだ。」
セリエが言う。
ミネルヴァはセリエの方を向いた。
セリエは目の前の白い花の群生を見つめて静かに言葉を続ける。
「わたしがもしクレリックにクラスチェンジして他人にヒーリングをかけても、おまえほどの効果はないだろう。わたしの方がおまえより強い魔力を持っているにもかかわらずだ。」
もっともセリエには、人を殺しすぎてクレリックの資格など最初からでも無いのだが。
「魔法は使う人間の本質がでる。おまえの回復魔法は心地よい・・・・・・・。おまえがいるから戦えるのだ・・・。」
「適当に見たら戻って来い。先に行っている。」
涙が止まらなかった。
これからも戦っていける、そう感じた。