地名は「新詳世界史図表」を参考にしました。






幼馴染




メリダは紀元前25年、時のローマ皇帝アウグストゥスによって建設された、ローマ帝国の属州ルシタニアの首都である。
銀の道と言われた、イベリア半島北部のカンタブリカ山脈で産出された金や銀をローマへ運ぶ街道、その途中にあるこの都市は、またトレドとリスボンを結ぶ軍事上重要な街道の交差点にあたり、ローマ帝国11大都市の9番目の「小ローマ」として、繁栄を極めていた。







何をするわけでも無く、セバスチャンはグアディアナ川の岸辺に腰を落して川の流れをじっと見ていた。
光の角度によって、淡い緑にも、水色にも見えるその目に感情は現れていない。
ただ、じっと川面を見ていた。
短く刈ったダークブラウンの髪が微かに風に揺れる。
風はルシタニアの赤茶けた大地同様、乾いていた。

グアディアナ川は西に流れ大西洋に注ぐ。
大西洋からジブラルタルを経て地中海へ・・・・・・。

その先にある永遠の都、ローマ―――





ふいに彼の目に感情が戻った。
グアディアナ川にかかるローマ橋を渡る人物の中に見知った男の姿を見つけて。

「ウルス!!」

あわてて立ち上がり斜面を駆け上がる。
枯れた草が乾いた音をたてた。

「ウルス・ブーラー!!」

大きな声を上げて走る、トゥニカを2枚重ねるだけの簡素な服装の青年がメリダ一の名家・イザンバール家の跡取息子だとわかり橋を渡っていた人間たちの間には軽く会釈をする者もいたが、彼は会釈を返すこともなく、お構いなしに目標となる人物に向かって走っていた。

相手の男は進行方向から手を振りながら走ってくる彼に気がついたようだったが、別に急ぐ様子も無く歩調は変わらなかった。

ぜーぜーと荒い息を吐きながらセバスチャンは聞いた。
「・・・仕事・・・・・・?」
面倒なのにつかまったとウルスは思った。
「そうだ、俺はおまえと違って忙しい。」
メリダ総督府の書記であるその男は冷ややかに彼に告げた。トーガをきっちり纏い、手にはパピルスを抱えていた。
「じゃあな。」
そっけなくそう言うと彼を置いて歩き出した幼馴染を慌てて押し止める。
「せっかく久しぶりに会ったんだ。もう少し話そう。」
荒い息を吐きながらそれでもにこにこと笑っているセバスチャンを見てウルスはため息をついた。

久しぶりだと?昨日の朝会ったではないか?俺の家に勝手に上がりこんで、不味いと言いながら俺の朝飯を食って、俺のベッドを占領して、留守番しているから安心して仕事に行って来いと言い、眠りこけたのはこいつではなかったか?一晩中何処かで遊び呆けた挙句にだ。俺が黙々と働いている間中、こいつは俺の家で眠りこけ、夕方帰宅した俺が粗末なパンとそら豆のスープのささやかなな食事をしている時に公衆浴場で汗を流し、どこぞの屋敷でロブスターのアスパラガス添えやら、無花果と蜂蜜を塗ったゆでハムのパイ包み焼きやら、ご馳走をたらふく食ってそれからそれからきっと・・・・。

セバスチャンの身体からかすかに香水と白粉の臭いがする。それが何を意味するのかわからぬ年ではない。

「あのな、俺は今からこの橋を渡ってヒスパニア人たちの集落に行かねばならん。村で揉め事が起こってその調査だ。わかるか?おまえは暇だ。だが、おれは仕事。だからおまえと話している時間はない。」

「じゃ、俺も行くよ。一緒に行こう?」
「断わる。」
「何故?」
「おまえと一緒にちんたら歩いたら約束の時間に着かない。」
「・・・・・・・・・・・・。」

ヒスパニア人との約束など待たせておけばいいのに、律儀なウルスは守ろうとする。どこまでも堅物な奴だと思いながら、それがウルスのウルスたる所以だった。セバスチャンは内心嬉しくなる。

セバスチャンは懇願から作戦を変えることにした。

「あ、そう・・・・・・。だったらせっかくいい事を教えてあげようと思ったのに、それも無しだな。」
「いいこと?」
「そ、今度の市にパルティアから・・・・・・・・・。」
「パルティアから品が来るのか?」
ウルスの大きな目が輝くのがわかり、しめたとセバスチャンは思った。

ウルスは今は無き親の借金を抱えた貧乏青年だったが、オリエントの香りただようパルティアの工芸品を見るのが大好きだったのだ。

セバスチャンはさっぱり興味は無かったが、ウルスにつきあって一緒にいつも見てまわった。
装飾性が強く、金属器、ガラス器、織物など、目玉が飛び出るほどの値がついたそれらのものを貧乏ウルスが買えるはずも無く、彼はただ幸せそうに眺めるだけだったのだが、セバスチャンはそんな彼の表情を見るのが楽しかったのだ。一度、セバスチャンが彼がじっと見ていた銀の水差しを買って彼に渡そうとしたらウルスが激怒したので、それ以来セバスチャンはただウルスの横で一緒に眺めるだけになった。

「・・・・・・教えない。」
あっさり彼が拒否した。
「セバスチャン!」
「俺も行っていいなら。」
ウルスは暫く考えて親友に言った。
「・・・邪魔はするなよ。」

セバスチャンが破顔した。



ウルスとセバスチャンがメリダで一緒に歩いていたら、町中の女たちが振り返るっといっても過言ではない。
もっとも今は「銀の道」と言われる街道からそれた小さな脇道を歩いていたので、振り返る者はいなかったが。
どんなに大勢の市民の中にいても彼らは目立った。均整の取れた体格に端正な顔立ち。甘いハンサムなセバスチャンとどこかエキゾチックな顔立ちのウルス。
特にセバスチャンはメリダの名家、イザンバール家の跡取だった。誰もが彼と『お知りあい』になりたがった。セバスチャンの父親にとって、いつまでたっても真面目にならない彼は頭痛の種でもあった。

「おまえのお父上が嘆いておられたぞ、おまえがいつまでたっても遊んでばかりだと。」

ウルスが諌めるような口調で親友に言った。
「父はおまえみたいな息子が欲しかったんだよ。真面目で頭がよくて誠実で・・・、俺には無いものばかりだ。」
だが、セバスチャンには人を惹きつける天性の魅力があった。男も女も誰もが彼に好意を抱く。ウルスはそう思ったが口に出さなかった。そんなことを言ったらこの男はどこまでも調子に乗る。

「結婚したら、少しは落ち着くだろうと思って結婚を勧めるのだが、頑として首を立てにふらないと。」

ついこの間も総督府に用事で来たイザンバール家の当主は小さい時からかわいがっていたウルスを見つけては馬鹿息子の愚痴をこぼして帰っていったばかりだった。

「結婚は人生の墓場というだろう?」
「そうか?俺の両親は仲が良かったからな。」
ウルスの母はローマ人ではない。ゲルマニアの女性だった。アルプスとピレネーを越えて、ルシタニアに嫁入りしたゲルマニアの美人は、その当時は随分と話題になったものだ。

「おまえは結婚したいのか?」
セバスチャンがウルスに聞いた。
「相手さえいればな。こればっかりは一人ではどうにも出来ない。そういうおまえは?」
「・・・俺に結婚して欲しい?」
じっとウルスの目を見て彼が聞き返す。
「・・・・・・おまえが結婚するとなると、莫大な祝儀を弾まないといけないからな、せめて俺の借金が無くなってから結婚してもらえると助かる。」

「・・・だったら後10年は結婚できないな。」
嬉しそうにセバスチャンが言った。
「笑い事か、俺はあと10年は貧乏生活を余儀なくされるんだぞ。」
「父が借金の肩代わりを申し出ているだろう?受ければいいのに。」
「お父上には総督府の書記に推薦してもらったんだ。これ以上の世話にはなれない。それに借金は元はといえば俺のために・・・・・・。」
「・・・・・・そうだったな。」
「だから・・・・・・.俺が自分で返さねばならないんだよ。」

その時のことを思い出したのか、二人はしばらく無言でルシタニアの赤茶けた大地を歩いていた。

「あ・・・」
唐突にウルスが声を上げた。
「?」
「そういえば・・・・・・。」
「?」
「カルロスが今度メリダに帰ってくるぞ」
「カルロスが・・・!?」
「北アフリカから、凱旋だ。」
「怪我をしたと聞いたが・・・?」
「どうせ敵の前で歌って矢でも射られたんだろう。五月蝿いとか言われて。」
あっさりそう言うウルスにセバスチャンもあっさり納得する。二人に共通の友人であるメリダの英雄ならありえない話ではないと彼らは声をたてて笑った。
「デイヴィッドは元気かな?」
「あいつはカルロスよりも頭がいいからな、うまくやっているだろう。」
「早く会いたいな、カルロスにも、デイヴィッドにも・・・・・・。」

セバスチャンが立ち止まり空を仰いだ。
ヒスパニアの空がどこまでも広がっていた。
北アフリカ、ガリア、ブリタニア、ローマ、ゲルマニア、タキア・・・、
世界は広い。パルティアの東にはクシャーナ朝があって、さらに東の果ての漢・・・・・・。

いつかメリダを出たいと思う。

子供の頃、憧れていた剣闘士がいた。
彼の言う自由・・・、その本当の意味が知りたかった。

ウルスは絶対嫌がるだろうが、彼と一緒に世界中を旅してみたい。
ウルスを仕事だとか言って騙してローマに連れて行き、それから先は何とでもなると彼は思った。

「ウルス・・・。」

親友に話し掛けようとして、セバスチャンはウルスが自分を置いて一人でさっさと歩いているのに気がついた。
ウルスにしてみれば夢モードに入った幼なじみにつきあっていられるかと言う事だ。ヒスパニア人の集落まではまだまだだった。

「ウルス・・・!!」

セバスチャンは慌ててウルスを追いかけていった。



「メリダ物語」第1話です。
セブ坊ちゃんです。
世の中甘く見ています。
主役は彼になりそうです。
剣闘士の名前は金髪の彼かな?





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