ファンファン会会員の皆様へ


ファンファン会についてご説明いたします。

本会は1997年に上海の中国人のお友達との
日中囲碁交流会が発足したのを機に、
上海の新民晩報紙の囲碁ライターであるファンファン(方芳)さんという妙齢の中国美人に因んで“ファンファン会”が誕生した。
2003年3月日中交流会まで6回上海へ遠征し
中国の友人との囲碁交流を楽しみました。
ファンファンは数年前横浜で行われた相鉄杯世界アマ女子囲碁選手権で3位に入賞したなかなかの打ち手で、
日本ではアマ7-8段くらいの実力があります。
日本語もぺらぺらで日本棋院のプロ棋士が中国へ行って中国の棋士と対戦するときは必ず通訳などで活躍しています




 ファンファン会世話人

2013年世話人役割表

 代表  西岡 鑑  
 副代表 佐治 治彦  
 世話人 岩月 泰 会計、イベントの統括
 世話人 田中 剛 湯河原大会担当
 世話人 小池英彦 忘年例会・忘年例会担当
 世話人 宮城 孝 例会担当
 世話人アドバイザー 九鬼一起  
 世話人アドバイザー  杉浦幹雄  
 世話人アドバイザー 河口正治  
 世話人アドバイザー 小野 豊  

FF会顧問:佐々木康夫、小林守克、渡辺敏夫
FF会特別顧問:馬亜蘭先生、馬雅敏先生


例会担当の役割

  (1)年初に宇宙棋院に対して文書でFF会の年間宇宙棋院での日程を提出、
    確認を求め、写しを西岡代表に提出する。
  (2)対局表の作成とFF会会員各位の表への記入などの手伝いをする。
  (3)対局表の管理。例会日には対局表の入った箱を対局場に出しておき、
    例会終了後には使用した対局表をを箱に納め次回の例会にすぐ使える
    ようにしておく。
  (4)手空きの会員がいたら”だれだれさんと一局いかがですか?”など声
    をかける。など。
 
 


ファンファン会は囲碁を通じ国内的にまた国際的に相互の親睦を図ることを目的とする。
・国際的にも通用するマナーを身に着けましょう。
・懇親会、大会、旅行などを通じていろいろな方との交流を計りましょう。 以上


ファンファンからのご挨拶文(2006 09 22)

挨拶
ファンファン会の日中囲碁交流会は1997年から始まり、今年で8回目になりました。この9年間で、上海はどんどん変わって来ました。沢山の高層ビルが建てられ、地下鉄も何本か出来ております。ファンファン会の皆様が上海に来られる度に、その変化を感じられると思います。来年上海での日中囲碁交流会を期待しております。また、横浜のファンファン会で皆様と対局することも楽しみにしております。
方芳

2006年9月22 

                                                       



ファンファンと
お嬢さん{チイチイ(hh)}






中国の囲碁最新情報、07−11−5、岩月泰

囲碁の発生は中国で2000年以上前とおもわれます。日本に渡ったのは1000年以上前かな。中国南部の浙江省か江西省アタリだとの説がありそれをテコに町おこしをやっています。中国ではプロの組織、中国棋院が北京の天壇公園近くにありそこが広い中国をカバーしています。日本のように関西総本部とか中部総本部とかはありませんでした。ところが浙江省財界のバックアップもあり杭州の海水の逆流で有名な銭塘江河畔に建設中のニュータウンに34階建ての宿泊施設(ホテル)とともに写真でご覧のような杭州棋院が07年3月に発足、同時に北京の中国棋院の分院として機能するようになりました。10月末には友好姉妹都市の静岡県x浙江省の囲碁交流会が新しい施設で行われました。中国女子プロの大会も進行中。今後はここが中国南部における世界囲碁大会などの一大拠点となるそうです。浙江省の商才のあるひとたちが上海に移住して今日の世界有数の商都を築いたといわれていますね。だから実力もあり活気もあります。そういえばファンファンの一家も浙江省出身ですね。

10月下旬に第6回杭州国際囲碁大会“07商業祭”があり中国各都市のチーム、日本、韓国、台湾、米国、カナダ、オーストラリア、北朝鮮、蒙古など30チーム約100名の選手にくわえ付き添い役員、北京などからのプロの先生、日本からは今回は伊藤庸二九段、など50名くらい参加しました。中国では最近アマ8段ができ現在は3人で、胡8段、付8段、李8段など世界アマ優勝者です。これらはすべて参加します。また参加者の30%くらいは10代の少年少女で中国各地とか、韓国の全日制囲碁学校に寄宿しています。日本でいうと“院生”とか“緑星学園”にあたるのかな。武漢の黄くんという中2の6段と対戦しましたがプロみたいでした。9回戦を4日にわたり行います。私は3勝6敗で73位でしたがこんなもんでしょうね。北京から中国棋院のこんど新院長に就任した華以剛(ホアイーカン)八段がきていました。華さんは日本語も出来ます。

私はこれで4回目の参加で顔見知りも多くなりました。FF会では内山さんが出場経験があり、参加に興味をもっている梅田さん植村さん、それに杭州の大学から大阪の私立大学に赴任中の呂順長さんにはこれまでずいぶんお世話になっています。河坊街(フーファンチエ)という復古調の新しい街でロンジン(龍井)茶、とシルクのスカーフを買って30日杭州ー成田直行便で帰国。以上杭州の最新情報です。





 
故浅井忠さんを悼む 2003年4月7日 小林守克


2月12日浅井忠さんが逝去されました。
1月10日の胃の手術後奥様の手厚い看護も空しく、あまりにも早すぎる生涯でした。
ファンファン会のホームページを開き、会のPR、又中国への囲碁ツアーの常連として、
そして碁とインターネットの著作と、多彩な足跡を残されました。
早逝は痛恨の極みでした。

碁を打ったのは昨年11月28日
佐々木康夫さん秋谷達司さんらと風花の舞う四万温泉(群馬県)を訪れて、
浅井さんと地元のお二人と親善の対抗戦をやったのが最後でした。
翌日快晴の一日ぐんま天文台に案内していただきました。
その思い出の三句です。


歩幅よく続く木道山眠り

天文台の山頂から

雪見酒白根、谷川一望に

昼食は珍しい雉そば屋へ

手談して雉そばにうつ舌鼓

3月26日先の3名に岩月泰さんを交えて弔問に行きました。
奥様よりの忠告は“がんは自覚症状が出てからでは手遅れです。
元気なときに定期健診で初期がんを見つけて治療することです”奥様の
“安らかな主人の最後が何より慰めでした”に全員言葉なし。


夕霞立つや赤城に友逝きて

拙句を呈し追悼といたします。ご冥福をお祈りします。 合掌

                          2003 4 15