2003年中国遠征
秋谷達司

魯迅像を囲んで記念撮影(紹興は老酒と魯迅の街)

中国紹興黄酒集団公司(古越龍山)の展示場


ファンファン会恒例の中国遠征囲碁の旅も今年で第6回目となりました。

期間は3月7日()から11日()までの5日間で、参加者は7名です。
横浜からの参加者は西岡・岩月・佐波の3名、東京からは佐々木・長坂・秋谷の3名、
福岡からは梅田の各氏で、成田に集合して今回は
ANAに搭乗して上海に向かいました。
上海での宿泊先はポートマンで、
内外航空サービスの提供した4泊のデラックス大名旅行となりました。

 日程は上海に1泊後の初日は南京西路での買い物や上海新名所の新天地の見物で、
2日目に恒例の日中囲碁対局を行い、
夜はレセプションで旧交を温めました。3日目は杭州に日帰りの旅をしました。

 
日中囲碁交流の概要
 この対局はファンファン会の公式対局で、海外で行う唯一の大会です。

対局場所はホテルから歩けば30分位にあるファン・ファンの弟、ファン・ジェ(プロ)7段の経営する
囲碁道場です。
対局結果は1回戦では当方の3勝4敗、
2回戦は2勝5敗で、通算5勝9敗でした。
この第6回公式対局成績を上海での過去の成績と比べると、
第4回は8勝4敗、第5回は10勝6敗1分で、不本意な結果でした。
日本側で2戦2勝した人は梅田2段だけでしたが、
強豪ファン・ファン5段に中押しで勝ちましたから特筆に価します。
蛇足ながら、今回の日本チームの平均年齢は68歳で、
中国チームのそれは推定ですが42歳ですから、老人と壮年の対戦だったともいえます。

対局内容は次の通りです。

       1回戦                  2回戦        

○ 秋谷3段  − 戴衛群 5段 × × 長坂3段  − 戴衛群 5段 ○
× 岩月4段  − 方芳  5段 ○ ○ 梅田2段  − 方芳  5段 ×
× 西岡2段  − 姜連根 3段 ○ × 秋谷3段  − 姜連根 3段 ○
× 佐波初段  − 徐志華 2段 ○ × 佐々木3段 − 徐志華 2段 ○
× 長坂3段  − 劉暁東 初段 ○   × 西岡2段  − 劉暁東 初段 ○
○ 梅田2段  − 張谷声 1級 × × 佐波初段  − 張谷声 1級 ○
○ 佐々木3段 − 方集林 1級 ×   ○ 岩月4段  − 方集林 1級 ×

中国側の対局相手を簡単に紹介します。
方芳
(ファンファン)はご存知の方も多いと思いますが美人の新民晩報囲碁ライター、
姜さんは方芳の会社の方で、徐さんは方芳のご主人、劉さんは方芳の知人、
方さんは方芳のお父さんで上海技術工程大学学長、張さんは方さんの碁仇で大学教授です。
戴さんはのちほど紹介します。




感想記 


1.ファン・ジェの囲碁道場

 会場となったこの道場は対局日が日曜日であったため、
子供教室が開かれていて教室の片側で、ファン・ジェが子供に教えたり、
子供同士で対局したりしていました。
その日の子供達は小学校の低学年と思える可愛い子供が多く、
私も8歳の男の子と互先で対局しました。
 子供は石の形に馴染んでいるのでしょう、
打つ手が早い割に、石が急所に来ていて、内心ヒャリとしたこともありましたが、何とか勝てました。
ファンファン会の高段者が8歳の子供に負けたとあっては、
会の皆様に顔向けが出来ないと冷や汗をかきました。
小学校の高学年の強い子とあたれば、おそらく勝てないでしょう。

 日本でも最近は碁会所で子供を見かけることが多くなりましたが、
こんなに小さくて強い子供たちのいる所は知りません。


2.レセプション

対局後、中華料理を囲んでの交歓会も恒例ですが、
対局者のほかにもファン・ファンの家族や知り合いも加わって20名ほどで和やかな宴会を開きました。
料理も豪華で涼菜が8種類、熱菜が9種類も次々に出てきて、食べきれないで見ただけの料理もあったほどです。
この晩餐が飲み物も含めて、1テーブル10名で600元
(9000円)だそうですから、
横浜中華街の値段からはとても信じられない思いでした。
ファン・ファンの好意もあったのでしょう。

宴席で出た話題をひとつ紹介しますと、
3月8日は中国では婦女の日だそうです。
ファン・ファンのお父さんと並んでお母さんも列席していたので、
お母さんはこの日に何かお祝いをしてもらったのかと尋ねたところ、
お父さんからプレゼントをもらったといって嬉しそうに笑っていました。
ファン・ジェはお金をくれたそうです。
日本での母の日とはニュアンスが違いますし、中国古来の祝日でもないのですが、
中国人家族の絆の強さの一端を垣間見た気がしました。


3.杭州日帰りの旅

3日目は杭州市に呂順長先生を訪ねました。呂先生は岩月さんの朋友です。
折江大学の日本文化研究所の副教授、まだ若くて日本人のように日本語を話し、学生に日本語を教えています。折江大学の学生は7万人もいるそうです.外国人留学生も600人ほど居て、日本人や韓国人が多いそうです。

大学では囲碁のほうも盛んで、学生・先生間の囲碁会もやっているそうです。
韓国人学生は強いと聞きました。日本人の囲碁愛好家は老人が多く、先が思いやられます。

 大学は授業中なので我々を接待してくれた中国人は呂先生とその友人の李先生の二人でしたが昼飯後、
ビールを飲みながら持参の碁盤で早碁を打ちました。
長坂さんは呂先生に勝ち、私は李先生に負けました。
お二人の棋力から見て折江大学の囲碁レベルはかなりのものだと感じました。

 午後からは紹興酒で有名な紹興に行って、紹興酒のメーカーの見学後、本場の高級紹興酒を買い求めました。

 この旅は行きが汽車、帰りが雇い上げの車・オデッセイでしたが、
車の中国人運転手が上海の道に不案内とのことで、岩月さんが助手席に座りナビをしながら、
夜の上海路を迷うことも無く帰ることが出来ました。ご苦労様でした。

 
4.戴
衛群5段

 戴さんは日本に8年居て、碁会所で指導碁を打っていました。
私は駒込の碁会所で、3−4目置いて指導を受けていました。
その後新宿の本因坊に移り、
1局3000円の指導料となってからご無沙汰していました。
現在は上海で日本人商工会や子供の囲碁指導に当たっています。

 今回は岩月さんを通じて、ファン・ファンが中国チームのメンバーに加えてくれました。
日曜は日本人会で指導碁を打つ日ですが、
キャンセルして私の方に出席してくれたうえ、対局でも4目ほど負けてくれました。

 午前中は上海の大型スーパー店に連れて行ってくれましたが、
商品の品質が格段に良くなったわりに物価はとても安く、
佐波さんは食品店を経営する関係から、とても参考になったと喜んでいましたし、
佐々木さんも衣料品の価格を見て、日本でユニクロの経営が成り立つわけだとの感想でした。
戴さんの話では、
退職後に上海に500万円程度の家を買って、上海で生活する日本人が多くなったとのことです。
物価の安い上海では、少ない年金でも豊な暮らしが出来る訳です。


 5.携帯用碁盤

 
佐々木さんが忘れずに持ってきた携帯用碁盤がとても役に立ちました。
皆さん碁キチですからホテルに帰ってからも夜遅くまで大賑わいでした。
杭州でも役に立ちましたし、
帰りの飛行機の中で佐々木さんと梅田さんが打っていたら、
暇をもてあました回りの客も集まってきて、
熱心に見入っていました。次回は忘れずにもう一つ持って行きたい必需品です。

 携帯用碁盤で忘れられないことは、
第5回に南京行き特急列車の中で、故浅井忠さんとこの碁盤で打ったことです。
普段は浅井さんのカモである私が、不思議なことに勝たせてもらえたのです。


6.浅井忠さん

 浅井忠さんはファンファン会の立派なホームページを立ち上げて頂きました。
例会にも群馬県の大泉町からたびたびご出席頂き、
春の湯河原温泉囲碁大会・夏の合宿・中国遠征にも可能な限り参加された熱心な会員でした。
中国遠征では戦績もよく、
今回の遠征も楽しみにされていたところ、病魔に倒れられて、さる2月12日に逝去されました。

まさに惜しむべき人を失いました。 
心からご冥福をお祈り致します。


最後に

今回お世話になった方芳はじめ中国の皆さんどうもありがとう御座いました。
お陰様でとても良い旅が出来ました。
また、今回の旅行のお世話を頂いた岩月さん、会計役の佐波さん、
気配りを頂いた佐々木会長に厚くお礼申し上げます。
                                              

 


対局場となった方捷(ファンファンの弟 プロ7段)の
    主宰する囲碁道場 壁に懸かる写真は 右:小林光一 中央:イー・チャンホー



対局後の招宴 方芳(ファンファン)女史



杭州行の車中での対局
佐々木会長と梅田さん(福岡から参加)



浙江大学 呂順長副教授の同僚と秋谷さんの対局

写真撮影 西岡 鑑