ポプラの木

ポプラとヤマナラシ・ドロノキ
以前から気になっていました。
両者の決定的な違いは?混同しているんじゃないか?
種と属

・ヤナギ科(日本名)        Salicaceae (学名)
・ポプラ属・ハコヤナギ属(日本名) Populus (学名)
種類(呼び方)

ハコヤナギ属として北半球の温帯に約30種
外来種→セイヨウハコヤナギ(イタリアポプラ)、カロリナポプラ、
日本原産→ヤマナラシ(ハコヤナギ)、ドロノキ(ドロヤナギ)、
中国→白楊、風響樹、響葉樹など
大きな特徴
共通
樹形は高く成長が早く雌雄異株、材は白く柔らかい。春花後に白い綿毛が舞う。
葉の葉柄が扁平(ひらひらする)栽培品種も多い
個別
ポプラは改良種を含め多種。
ヤマナラシは日本全国に少し分布、樹皮は白く菱形の模様あり時に街路樹にたまに利用される。
ドロノキは北海道、本州中部以北の寒地に自生する。

1 .葉の柄が扁平→セイヨウハコヤナギ ヤマナラシはセイヨウハコヤナギほどではない

2. 春に花後に綿毛が大量に舞う→セイヨウハコヤナギ、ヤマナラシ

3. 風で葉がひらひら動き音がする→セイヨウハコヤナギ、ヤマナラシ(山鳴らし)

4. 樹形が上向き(箒状)→セイヨウハコヤナギ

5. 冬芽の頂芽は大きい、芽鱗は托葉の変わりが多い→ヤマナラシ

6. 頂芽は先が尖る、無毛で樹脂のため少し粘りがある。→カロリナポプラ
結論
 一般にヤマナラシ、ドロノキは日本在来種、ポプラは西洋種を指す。特に学名と呼び名が混同されることがある。総称して「ポプラ」と呼ぶ、その種類をあらわす場合は個々の名前を指す。栽培品種も多いのでなかなか個別に特定するには難しい。横浜市内の樹はほとんどがセイヨウハコヤナギかカロリナポプラの種類で間違いないでしょう。

アカメガシワの葉柄 サクラの葉柄
イチョウの葉柄
モミジバフウの葉柄
ポプラ(セイヨウハコヤナギ)の葉柄
※ 極端に縦に押しつぶされて扁平状→少しの風でヒラヒラ、葉が擦れて音がする
2009年2月 横浜旭区
2010年9月5日 2010年11月29日(画像追加)
同上 8月(2010年9月5日画像追加)

2011年2月23日 2011年2月23日(画像追加)
通りかかりましたらちょうど剪定を終えていました。切った枝を回収していましたので1本頂きました。
冬芽の状態がよく分かります。ラッキーでした。でもちょっと寂しい気がします。

ポプラ(セイヨウハコヤナギ)にまつわる話
漱石とポプラ
和田茂樹著『漱石・子規 往復書簡集』(岩波文庫 2009年)

 1901年(明治34年)漱石がロンドンから子規にあてた手紙にポプラが紹介されています。かなり長文の手紙です。子規の病気を慰めるためにロンドンの様子を細かく面白おかしくユーモアたっぷりです。 NHK番組「坂の上の雲」では秋山兄弟との親交がほほえましく表現されていますが、漱石と子規との友情は俳句を通して厚い直向きがあります。
ロンドンの下宿を引越しますが、宿屋の神さんと新しい下宿を見に行く馬車の中での会話です。

・・・・・以下引用 ・・・・

「段々木が青くなって好い心持ですね、二週間位前からズット景色は変わって来ましたね」
「さよう、時にあすこに並んで居るのは何んていう樹ですか」
「あれ?あれはポプラーでさあね」
「ヘェーあれがポプラーですか、ナールホド」と我輩は感嘆の辞を発した。
神さんはすぐにツケ上がる。
「ポプラーはよく詩にも詠じてありますよ「テニスン」などにも出ています。
どんな風のない日でも枝が動く。アスペンともいいます。」・・・・・ 以下省略」

・・・・・引用終わり・・・・

ここで興味をもったのが「アスペン」→「aspens」です。
ロンドンでは「ポプラ」ともいい「アスペン」とも言う・・・・
ポプラはラテン語読みの名前でアスペンは英語読みの名前・・・・ ?
調べますと
「Populas tremula」→「aspens」
日本語で「ヨーロッパヤマナラシ」 数多くあるポプラの種類のひとつです。

テニスンの詩  「シャロットの姫君」抜粋

Willows whiten , aspens quiver.      ヤナギは白い裏葉をひるがえし
Little breezes dusk and shiver      ポプラは小刻みに風にはためく  

直訳          ヤナギは揺れ動きポプラはひらひらと 弛んだ少しの風に身震いする
日本のポプラの歴史
 漱石は1901年(明治34年)に子規宛に手紙を送っています。内容から実物を見たのはロンドンが初めてでしょう。ただ「ポプラ」という名前は知っていた。

 ポプラが輸入された時期は明治の始めが通説です
黒田清隆」が北海道を開拓をするにあたってアメリカから当時の農務局長ホーレス・ケプロン(1871年7月に訪日して1875年5月に帰国)を招いて農業と産業の基礎を作りました。その時にアメリカから農作物と洋種の樹木を多量に輸入しました。札幌の町並みが完成したのが明治6年10月ですからその当時でしょう。

 しかし、ペリー来日以来1855年に函館と下田を開港しています。ということは物資の移動も当然行われたことでしょう。計画的に政府の主導で導入されたのは1871年でしょうが、それ以前に輸入された可能性は否定できません。

以後 明治から大正、昭和にかけて適地適作で需要(マッチの軸や燃料、灌漑)もあり品種改良され今日に至っています。
<追記>
北海道庁のポプラは明治29年、北海道大学は明治36年に植えられた。
雄と雌の見分け方→枝が幹から広がらずに上に向かっている(雄) 枝が横に広がっている(雌)例外もある。
小径にそれますが・・・

 ホーレス・ケプロンさんは缶詰を提案しています。1877年に日本発の缶詰量産工場が北海道で作られています。この事実を知ってなるほどと感心したことがあります。「デルスウ・ウザーラ」に「日本人」の表記が何箇所かありました。1900年当事に日本人が何ゆえにロシアまでと思いましたが合点がゆきました。目的は「サケ」でした。有力な輸出商品でした。
日清戦争が終わり日露戦争が始まるかもしれない不安な世の中で、「鮭缶」は兵士の食料や移民の保存食として重要な戦略物資でもありました。事実はちょっと生臭くなりましたが・・・・・・

ポプラの利用

 ここでは工業的なポプラの利用を紹介します。
LVL(Laminated Veneer Lumber)
ポプラの丸太をかつら剥きにスライスして繊維方向をそろえて圧縮張り合わせた木材です。建築内装材や梱包材に利用され中国から多量に輸入されています。

 ひとつの例として梱包材をとりあげます
日本から製品を外国に輸出する場合、貨物によっては製品のダメージや受け入れ環境によって梱包して輸出します。今までは輸入針葉樹(カナダ・アメリカ・ニュージランド・チリ・北欧・ロシア)を利用していましたが、生木の場合害虫が世界中に広がるのを防ぐために害虫駆除の処理が必要になりました。コストがかかりますので開発されたのがLVLです。

ポプラの長所(人工的に再生産)を利用しています。
1. 成長が早い
2. 寒さ・乾燥に強い
3. 材が軟らか
4. 材が均一で色が白いなど


ホームに戻る 気になる樹木に戻る