トチノキ(栃・橡) トチノキ科(トチノキ属)

2002.05.14.大船植物園

花が上向きに咲き、葉が大きいのでうっかりすると見過ごします。一つの花は直径1.5cm、花弁は4枚でピンクがかった白、7本のおしべが長くつきでます。

葉は対生、大形の掌状複葉でよく目立ちます。葉の位置が高いのでこの写真で代用です。

井土ヶ谷
幹線道路の街路樹にはめずらしと思います。どうしても大きくなると、こうして枝を切ってしまいます。なんだか切ない気持ちになります。
花が咲いているのは時々見かけますが、実が付いているのは、気づきません。
同上
アスファルトが迫ってます。
この通りは道路の両サイドに10mほどの間隔で植栽されています。
歩道の幅が2mほど、幼木のうちは条件は良かったと思います。現在直径50cmほど立派な木に育っています。
2004年反町公園
トチノキの実


トチノキ科の落葉高木。大形の掌状複葉を対生、初夏薄紅色の円錐状の花序をつける。果実は秋に三裂する。マロニエはセイヨウトチノキを指す。

トチノキは縄文時代から食料にされました。農村のトチモチの話を本で読んだり、おばあちゃんが水にさらして灰汁ぬきをして丁寧におもちにしてゆく過程がテレビの映像で流れるのを見て感心したり、羨んだり、身近にこんなことを教えてくれる人いたらいいのになあと思いました。クリにしても、柿にしても食べ物が溢れていてそんなに喜ばないこの頃ですが、自分で育てたり長い時間をかけて育った木の実を収穫し、料理ができると「味」はまた格別だと思います。

引用始め・・・
トチモチとトチの粥
トチモチや粥が、主食といえるほど頻繁に供された地域のひとつは、中部地方の山村でした。たとえば、合掌造りの壮麗な大家屋で知られる飛騨白川郷などは、その代表的な例です。かって、白川郷の村々では、夏のふだんの食事にはトチの粥がさかんに食べられていました。これに対してトチモチには、ハレの日の食べ物、といった性格があったようです。この地方には、正月や節分などを、トチモチで祝う習慣があったからです。
それは、ほぼつぎのようでした。
12月30日は正月用の餅つきの日で、たいていの家は、この日に米の餅をつきました。このとき同時に、トチモチもつくられたのです。そしてこのトチモチは、「ぜんざい」 にして、家族全員にふるまわれました。翌31日の大晦日から正月2日までは、トチモチは食べません。3日からは、ヒエやアワなど雑穀中心の、ふだんの食事にもどります。しかし、7日と15日には、あらためてついたトチモチを小豆で味付けし、これを食べて7日正月。15日正月を祝ってきました。ついで、この地方で 「せつがわり」 とよぶ節分にも、同じトチモチが使われたのです。
さて、このトチモチづくりですが、これはたいへんな作業でした。まず、拾い集めた実を野外でよく乾燥します。そうしないとすぐ虫がついて、冬までもちません。よく乾かし、貯蔵しておいた実は、熱湯につけてもどします。そして石や金づち、時には人の歯でかんで、皮をむきます。歯で皮むきすると、渋さのためにしばらく口中がしびれてしまうほどです。
どうにか皮がとれると、流れる水に7日ほどひたしておきます。そうするとたくさんの泡が流れ、少し渋がぬけます。木の実を鍋で2〜3時間も煮て、煮上がったのを木灰の熱い灰汁にふたたびひたし、2日ほど放置しておくのです。3日目にこれを取り出し、灰汁を流すとアクの抜けたトチができます。
これにモチゴメを加え、せいろうで蒸してつけば、トチモチのできあがりです。
・・・引用終わり
            文 松山 利夫 「食べられるトチとドングリ」 講談社 樹木たちの歳時記

民間療法
トチの実を焼酎に漬けておきます。
打撲や捻挫など痛み止めに北海道函館では利用されます。西洋トチノキの種エキスには抗炎症作用や腫脹緩解作用があることが判明しています。
乾燥粉末は胃腸薬やしもやけの内服薬にもなるとも記載があります。

画像追加
2008.02.16
市内南区街路樹
毎年枝を切り落とします。幹に芽吹いた冬芽です。
2006.05.29
児童公園
2009.05.04
児童公園
新緑が眩しい。

このみちいちねんの大栃芽吹く           山頭火
栃の芽のなべて漆の珠となる            水原秋櫻子

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