「緑茶夢」は「グリーン・ティ・ドリーム」と読む。「りょくちゃむ」ではない。が、作者の森脇真末味みずからが、タイトルが長すぎるので「りょくちゃむ」と読んでいたというこぼれ話を読んで、うれしくなった。わたしもそれ以外のいい方をしたことがない。「りょくちゃむ」。かわいいじゃない?
このシリーズは、<売らない>ロックバンド「スラン」を中心とした人間模様を描いているのだが、「売りたくても売れない」のではなく、あくまでも「売れたくない」という部分を追及しているところが、なぜかとても刺激的な作品だ。
「ロックとはなにか」みたいな不毛な問答とはまったく無縁に、「売らない」ことが成立しているのである。
それはすべて、スランのボーカル、阿部弘(どこかできいたようなお名前……)の個性から発している。弘は、有名になりたいわけでも、だれかに勝ちたいわけでもない。自分がそのときに歌いたいことを、自分のやり方で歌っているだけなのだ。だから、売れない。そのかわり、彼はたえず変わり続けられる。「自分のパターンはこれだ」と定めなくていいのだから。
彼は、だれのためでもなく、自分のために「たえず変わり続け」る。そこが刺激的なのである。この自由さこそがとてつもない魅力なのだ。けれどその自由さを持つことは、孤独でもある。価値基準は、自分の中にしかない。だれがなんといおうと、それを押し通さなくてはならない。
その美学が、私は好きだ。「だれかのために」するのではなく、「自分のために」するのが最高なんだということ。そう、「だれかのために」というのは、とても思い上がった考えにほかならない。
ところで、これまでいろんなロックバンドのマンガを読んだけれど、この作品ほど、彼らの音楽を聞いてみたいと思わせるマンガはない。どうしてだろうか? たぶん、弘というキャラクターそのものがとても音楽的だからだと思うのだが……。「人間ドラマ」というよりは、それぞれの人物の<気分>のようなものをうまく表現してあるからかもしれない。
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森脇真末味の突き抜けたシュールな味わいが、思う存分楽しめる名作である。
マクセルが拾った空色冷蔵庫から出てきたのは、<両性具有>の半液体人間だった。彼(彼女)は、惚れた相手によって自分の性を自由に変えることができるのだ。クリスティーン(女)に惚れたつもりだったマクセルは、クリスが別の女に惚れ、男になってしまうのを呆然と見守ることしかできない。ところが、クリストファー(男)になったクリスは、今度はマクセルの元恋人アリスに恋をしてしまう……。
作品の全体をおおうケ・セラ・セラな乾いた感覚が、作品の不可思議さを倍増する。アリスが正体不明のクリスに恐怖感を抱くのではなく、なにも考えずに「ハンサムだから思わず寝てしまう」ところが最高にいいのだ。
このマンガをおもしろいと思うあなたは、すでに森脇教の信者である(笑)。
それにしても、恋した相手によって性別を使い分けるなんて、ほとんどユートピアじゃありませんか。
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『空色冷蔵庫』の主役だったマクセルの友人、テツローの物語。テツローは、夫を愛するがあまりしゃべり倒す妻に、しゃべり殺される(笑)という強迫観念にとりつかれ、妻を始末しようと決意する。相談を持ちかけたマクセルが連れてきたのは、謎の<夢先案内人>スコッチ大佐だった。彼はテツローに、隣家のプールに異次元への入り口を開くから、そこに妻を投げ込め、と指示する。
異次元への入り口がどうやって開くのか……その爆笑さかげんは、絵を見ないとわからないので、省略する。
でも、一番笑えるのは、上記のセリフのごとく妻をうっとおしく思い、消したがっていたはずなのに、最後の最後にユダのようにかんたんに転向する、悩んだふりをしてまったく悩んでないテツローのキャラクターかもしれない。
森脇作品にわりと登場するこのキャラクターを、わたしは心の底から愛している(笑)。
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