作品ラインナップ
●陽あたり良好!
●みゆき
●タッチ
●スローステップ
●虹色とうがらし
●ラフ
●H2
●じんべえ
●ショート・プログラム(短編集)
近況
交差点前
ショート・プログラム
テイク・オフ
チェンジ
プラス1
むらさき
なにがなんだか
●ショート・プログラム2(短編集)
春が来る前に…
若葉マーク
途中下車
[5×4P]
震度4
エ−スをつぶせ!
スプリング・コール
ゆく春
帰り道
サヨナラゲーム
ひとつ屋根の下で下宿する同居人にして、ただのクラスメートのかすみと勇作。やがて、ふたりの間にはほのかな恋愛感情が生まれるのだが、そのことに最初に気づいたのは、本人たちではなく、かすみの遠距離恋愛の相手である克彦だった。
上の言葉は、かすみを訪ねてきた克彦が、勇作と二人になったときに告げたセリフだ。早く「なんだかわからない存在」を卒業して「はっきりした存在」になれ、と克彦は言外で勇作に迫っている。そうでないと、勇作は永遠に、克彦にとっての恋のライバルにはなれないし、かすみもどちらかを選ぶことはできないのだ、と。
大人の男としてこれ以上は望めないほどフェアで、いわれた側にはしんどい宣戦布告だ。
それに対して、勇作はきちんと応えているのだろうか。それは、物語のラスト、親友どうしが一人の少女を想ってケンカするのを見つめながらつぶやいたセリフで証明されている。
「戦うべきだ。ほんとに好きで、だれにも渡したくないのなら」
「少年から男への境界線をまたぐ瞬間を描く」という、作家としてのテーマはすでにしっかりと確立しているけれど、比較的初期の作品だからか、メッセージ性がストレートだ。そこがまた、魅力といえば魅力なのだが、ほんわかした笑いの中に、とてつもなく重くて微妙なニュアンスをこめることにおいて天才的なあだち充の本領は、まだそれほど発揮されていない。
ところで、(もしかしたら記憶ちがいかもしれないけど)この作品は、あだち充の作品の中で唯一、<実写>でテレビドラマ化されたものではなかろうか。細かいキャストは忘れてしまったけれど、なぜか竹本孝之(懐かしい……)が出ていたことだけが記憶に残っている。勇作役だったのだろうか。そうだとすれば、少々熱血ぎみの勇作だったことだろう。
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このマンガの主人公、若松真人という男は、いってみれば最低の男である。義妹と同級生、奇しくもみゆきという同じ名前を持つふたりの女の間で、4年もの長きにわたり、態度をハッキリさせずに揺れ続けたのだから(でも、だからといっていい男ではない、ということにはならないのだけれど……)。
真人は結局、土壇場で義妹のみゆきを選び、手に手を取って逃げるようにゴールインする。残された者にとっては、これ以上ない青春残酷物語だ。まさに、ふたりの去った後には失恋死体の山が累々、である。
ちょうど同時期に『タッチ』を連載中だったことは、たぶん考慮するに値することだと思う。『みゆき』と『タッチ』は、主人公の立場を入れ替えただけの、相似形の物語だ。
若松真人は上杉達也なのだ。ちがうのは、達也が南のためにしなければならなかったことを真人は義妹のみゆきのためにしなくても済んだ、というだけではなく、みゆきから逃げ続けなければならなかったところだ。そして、そうすることによって達也が到達した大人への階段を、ついに真人は見ることもなくみゆきと結ばれてしまったことだ。
どうして真人がみゆきから逃げ続けたのか……というのは、とても微妙な問題である。血が繋がっていない兄妹が、しかもお互いの胸をときめかす魅力を持った異性同士がひとつ屋根の下で暮らすということのあやうさを、いつも肌身に感じて生活することは、大変な苦痛だろう。でも真人には、昔風のいい方をすると「襖を蹴破る」だけの勇気がなかったから、逃げ続けるしかなかった。哀しいかな、彼は「蹴破った」後のことを考えてしまうタイプの人間なのだ。
真人は、まるでお膳立てされたように現れ、力ずくでみゆきを奪い去ろうとする役割を負った男である優一の前に立ちはだかることでしか、みゆきへの愛情を示すことができなかったが、みゆきはそんな真人を受け入れる。すべてはひとつのきっかけ、優一の<本音の演技>で決したのだ。
真人とみゆきの結ばれた後の姿を想像することができないのは、本当の意味で、ふたりが境界線を踏み越えていないからである。でももしかしたら、物語のラストとしてこれ以上幸せな結末はないのかもしれない。ふたりのその後なんて必要ない。成長したかどうかなんて関係ない。結ばれて終わる。完璧な大団円。
若松真人はやっぱり、『タッチ』で見せた<成長する男>のアンチテーゼであり、達也と共に苦しんだであろう作者がもう片方で見出だした、ひとつのユートピアだったような気がする。
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準備中
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父親の名前を知らずに別々に育った、母親のちがう7人の兄弟たちが、それぞれの母親の死をきっかけに「からくり長屋」に引き取られ、一緒に暮らし始める。
しかし、平和な生活の中で、兄弟たちは次第に父親が誰なのかを知りたいと思い始め、お互いの母親の墓参りをかねて生まれ故郷を訪れることで、父親の消息を探ろうと思い立つ。
作者としては唯一の<ロードムービー>ならぬ<ロードコミック>にして、ファンタスティック時代コメディ。随所に「時代考証に口出し無用 奉行所」という立て札が立っていて笑いを誘うが、「心配ご無用」、アイデアとパロディ精神に満ちたこの傑作に、「時代考証がめちゃくちゃ」などというバカげた文句をつけるヤツなんていないと思うよ。もしいたら、私がお縄にしてあげます(笑)。
個性的な7人の兄弟たちによって繰り広げられるすっとこどっこいな道行きは、父親がじつはときの権力者だったために、やがて刺客から狙われるはめになり、逃亡と戦いの旅に変わっていく。ユーモアとサスペンスのみごとなバランスを味わうだけでも充分楽しめるが、この作品の眼目はやはり、兄弟の紅一点、菜種(なたね)の<兄探し>にあると私は思っている。
菜種には、特別な存在としての兄が3人いる。次兄の麻次郎と、本作の主人公である四兄の七味(しちみ)、そして、幼い頃に生き別れた、名も知らぬ兄。
放浪癖のある麻次郎は、やがて菜種のたんなる<憧れの人>としてフレームの外の人になっていくからいいとして、問題は七味である。七味と菜種は、道行きの途上、お互いを特別な存在として自覚し始めるが、ふたりは腹違いとはいえ兄妹なのだ。この禁忌の関係に、はっきりとけりをつける<キーマン>として登場するのが、菜種の生き別れの兄、浮論(ふろん)だ……しかも、7人の兄弟たちの命を狙う刺客として。
上の言葉は、菜種の身代わりとなって他の刺客の矢を受け、息を引き取るときの浮論のセリフ。おまえたちとは、もちろん、七味と菜種のこと。浮論は死を賭して、菜種が自分の妹であることを証明し、七味から血縁のしがらみを取り除くと同時に、一人の女として菜種をその手にゆだねたのだ。
この作品は、そういう意味で、人が<血縁>から解き放たれる瞬間を描いた作品でもある。その瞬間とはすなわち、<自立>と呼ばれるものだ。
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