ドイツの作曲家(1770.12.16~1827.3.26)。ボンに生まれ主にウィーンで活動。古典派三巨匠の一人(他はハイドンとモーツァルト)で、ロマン派音楽の先駆。九曲の交響曲や歌劇「フィデリオ」の他、「荘厳ミサ曲」、ソナタ・弦楽四重奏曲・協奏曲など不朽の傑作を多く遺した。作風は、ハイドン/モーツァルトの影響下に在る第1期から、自己の様式を確立した第2期を経て、晩年の聴力を失い乍らも深い境地に到達した第3期へ発展。
ベートーヴェンが53歳(1824年)で完成させた最後の交響曲の『交響曲第9番「合唱付き」』には、37歳(1808年)で作った実験的な合唱組曲の『合唱幻想曲』や24歳(1795年)の若い時に作った習作の『歌曲「相愛」』が下敷に成って居ます。
そこでこのページに
『合唱幻想曲』の歌詞
『第九』の「歓喜頌歌」の歌詞
『歌曲「相愛」』の歌詞(WoO番号の説明付き)
を資料として掲載します。
以下がベートーヴェン作曲『ピアノ、合唱と管弦楽のための合唱幻想曲 ハ短調 作品80』の歌詞の訳(△1)です。クリストフ・クフナー(Christoph Kuffner)作と伝えられて居ますが、疑問視する人も居ます。
快く優しく愛らしき響き
我らが生のハーモニー
美の感性を揺り動かして
花を咲かせる、永遠の花を
平和と歓喜、親しげにすべり出す
寄せては返す波のごと、戯れながら走り出す
荒々しく敵対しながら寄せ来るもの
秩序ある高き感情に変わりゆく
音の不思議、はたらいて
言葉の神聖、語られしとき
栄光は形づくられ
夜と嵐は光とならん
外なる静寂、内なる至福が
幸なるものを支配する
もって芸術の春の太陽は
その両者から光を生じさせる
心に迫り来る偉大なるもの
かくて新たに美しく、高みに向けて花開き
精神は高揚し
あらゆる精神の合唱が絶えずそれに唱和する
受けよ、汝ら美しき魂どもよ
歓びもて美しき芸術の賜を
愛と力が結ばれしとき
人は神の恩寵を受く
以下にベートーヴェン作曲『交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」』の合唱で歌われる部分の歌詞の訳(△2)を載せましょう。歌詞は有名なシラー(※1)の『歓喜に寄す(An die Freude)』に基づく頌歌で、『第九』では「歓喜頌歌」(通称は「歓喜の歌」「喜びの歌」)と呼ばれます。
詩『歓喜に寄す』は若きシラーに援助の手を差し伸べ彼をマンハイムからライプツィヒ、次いでドレスデンに呼び寄せて生涯の友と成ったライプツィヒのクリスティアン・ゴットフリート・ケルナー(当時の任地はドレスデンで上級顧問官をして居た)らへの「友愛への感謝と賛美」が直接の契機に成って居ますが、シラーはそれを「人類愛の歓喜頌歌」へと普遍化しました。そこにはフランス革命(1789~99年)直前の高揚した気分が生々しく反映されて居ます。シラーは1985年晩秋(26歳)にドレスデンにてこの詩を創作し、翌86年2月中旬に彼自身が編集・発行して居た雑誌「ターリア(Thalia)」第2号に発表しました。それはベートーヴェン15歳の時でした。
初版の詩全体は9節108行から成り各節は「8行の朗誦部とそれに続く4行の合唱部」から成る、という唱和形式を採って居ます。この詩はこの号の巻頭を飾りケルナーの楽譜が添えられて居て(△3)、つまり最初から歌われることを想定した詩でした。
シラーは後の1803年に自選詩集出版時に「暴君の鎖から解き放ち」と歌われる第9節を削除し、トーンダウンしますが
「百万の人々よ抱き合え!、この口づけを全世界に!」
というフレーズに織り込まれたシュトゥルム・ウント・ドラング(Sturm und Drang)、即ち「疾風怒涛」(※1-1)の内容は維持されて居ます。
ベートーヴェンは改訂版の8節96行の詩をテキストとし、その内前半の48行を『第九』に採用して居ます。但し第4楽章の声楽開始部の有名な "O Freunde!"(おお 友よ)で始まる3行はベートーヴェンが挿入したフレーズです。ドイツ語の "Freunde"(友)は "Freude"(歓喜)に "n" を挿入して出来上がる語です。そういう意味を込めてベートーヴェンはこの3行をシラーの詩が始まる前の「否定と上昇の呼び掛け」として挿入したのです。
<バリトン独唱(レチタティーヴォ)>
おお友よ、このような音ではない!
さらに美しく喜ばしい歌を
歌おうではないか
以下がシラーの詩に基づくものです。
<バリトン独唱(最初)、四重唱と合唱>
歓喜よ、神々の美しい煌めきよ、
楽園の娘よ
我ら炎の如くに酔い
天の汝の聖殿に足を踏み入れる!
汝の奇跡は再び結び合わせる
世間の慣わしが厳しく引き離したものを
全ての人は兄弟となる
汝の翼が優しくとどまる所で
一人の友の友となるという大事を
やり遂げた者は
淑やかな女性を我がものとした者は
その歓びの声を和するがよい!
そうだ、この地上のたった一つの人の心でも
それを自分のものと呼び得た者は!
そして、それをなし得なかった者は
涙ながらに、この集いから立ち去るがよい!
あまたの者は歓びを飲みとる
自然の乳房から
善き者全て、悪しき者全て
自然のバラの路を行く
自然はそれらに、口づけと葡萄を与え
死の塩練を受けた友を与える
虫けらにも快楽が与えられ
そして神のみ前には天使が立つ!
<テノール独唱と合唱>
楽しく、太陽たちが輝かしい天の空間を
飛び交うように
走れ、兄弟たちよ、汝の道を
勝利に向かう英雄のように、喜ばしげに
<合唱>
歓喜よ、神々の美しい煌めきよ、
楽園の娘よ
...[以下、「歓喜」の節の繰り返し]
<合唱>
百万の人々よ、抱き合え!
この口づけを全世界に!
兄弟たちよ、星空の上には
愛する父なる神が必ずおられる
地にひれ伏すか、百万の人々よ?
汝らは造物主を予感するのか、世の人々よ?
星空の上に彼を求めるのだ!
星の上には彼は必ずおられる
<合唱>
歓喜よ、神々の美しい煌めきよ、
楽園の娘よ
...[以下、「歓喜」の節の繰り返し]
<合唱>
百万の人々よ、抱き合え!
...[以下、「百万の人々」の節の繰り返し]
<合唱>
地にひれ伏すか、百万の人々よ、
汝らは造物主を予感するのか、世の人々よ?
星空の上に彼を求めるのだ!
兄弟たちよ!、兄弟たちよ!
星空の上には
愛する父なる神が必ずおられる
<合唱>
歓喜よ、楽園の娘よ
汝の奇跡は再び結び合わせる
世間の慣わしが厳しく引き離したものを
全ての人は兄弟となる
汝の翼が優しくとどまる所で
<四重唱と合唱>
百万の人々よ、抱き合え!
...[以下、「百万の人々」の節の繰り返し]
『第九』の「歓喜頌歌」のメロディーの原型である『歌曲 WoO118「相愛(Gegenliebe)」』は、厳密には『歌曲 WoO118「愛されぬ者の嘆息と相愛(Seufzer eines Ungeliebten und Gegenliebe)」』(ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー(Gottfried August Bürger)の作詞)の後半部分を指し、奇しくもこれを作曲した1795年にはアルト歌手M.ヴィルマンに求婚し断られて居ます。以下に「相愛」部分の訳(△4)を載せて置きます。
因みにWoO(※2)とは、ベートーヴェンの「作品番号無しの作品」に対するキンスキー&ハルムの目録番号です。
貴女が私を愛して下さって
私の価値を少しでも認めて下さるのを
知っていたなら
そして私の挨拶に対する
貴女の感謝を
百分の一でも感じられたら
そして貴女の唇がキスの交換を
喜んですることを知っていたなら
そうしたら、有頂天になって
私の心臓は炎に溶けてしまうでしょう
私の命と身体を貴女が求めても
私は拒むことは無いでしょう!
返答の想いは想いを高め
愛は返答の愛を暖め
灰の中の小さな火の粉が
大火災まで燃え上がる
【脚注】
※1:F.シラ-(Friedrich von Schiller)は、ドイツの作家(1759.11.10~1805.5.9)。疾風怒涛期の戯曲「群盗」「たくらみと恋」などから出発し、後に古典主義に転じ、「ドン・カルロス」「ワレンシュタイン」「オルレアンの少女」「ヴィルヘルム・テル」などの歴史劇を書く。他に歴史書「オランダ独立史」「三十年戦争史」、論文「人間の美的教育に関する書簡」「素朴文学と情感文学」、詩「歓喜に寄す」など。
※1-1:疾風怒涛(しっぷうどとう)は、シュトゥルム・ウント・ドラング(Sturm und Drang[独])の訳語で、 18世紀後半、ドイツに起こった文学革新運動。啓蒙主義の悟性偏重的側面に反対し、社会の旧習を主観的/感情的に激しく批判した。ドイツの劇作家クリンガー戯曲の題名に由来。この時期にゲーテの「若きウェルテルの悩み」やシラーの「群盗」などが書かれた。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※2:WoO(又はWoO)とは、ベートーヴェンの作品番号無しの作品に対し後年音楽学者のキンスキー著・ハルム完稿の「ベートーヴェンの完成された全作品の主題的・伝記的目録」の中で付された補完的番号で、Werks ohne Opuszahl[独](=作品番号無しの作品)の略号。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:CD『リスト「ベートーヴェン記念像除幕式のための祝典カンタータ」/ベートーヴェン「合唱幻想曲 ハ短調 Op.80」』(ブルーノ・ヴァイル指揮/カペラ・コロニエンシス+ケルナー・カントライ(合唱)、DHM)。『合唱幻想曲』の訳詩は平野昭氏の訳から。
△2:『立体クラシック音楽』(吉崎道夫著、朝日出版社)。
△3:『シラー』(内藤克彦著、清水書院)。
△4:CD『遥かな恋人に-ベートーヴェン歌曲集』(歌:ペーター・シュライアー、ポリドール)。『相愛』の訳詩は渡辺護氏の訳から。