藤原事務所写真集
[藤原税理士事務所]
(Photographs of Fujiwara office)

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 ■2003年

写真1:03年の大川端での花見。

 右は4月3日(木)、大川端での花見です(藤原税理士と助手の菅野氏)。場所は天満橋北詰から西の大川右岸に下りて直ぐの大阪南天満公園です。今年は暖冬で2月13日には梅が満開で、桜の花見が3月末頃に出来るかと思って居たら3月下旬に寒く成り例年通りの4月上旬と成りました。
 この南天満公園での花見は1990年頃から毎年恒例です。

 8月19日(火)は『お座敷小唄』で有名な京都先斗町に行きました。川床(かわゆか)で納涼の宴を企画し、大阪を出発する時は大変好い天気でしたが...。
写真2:03年夏の夕立による鴨川の奔流。
 阪急京都線で四条河原町に着いたら夕立で、左の写真の様に鴨川が奔流に化けて居ました。御蔭でこの日は川床が使用出来ず、2階の室内で宴を催しました。
 それにしても、こんなに荒れ狂った鴨川に出くわしたのは初めてです。その昔、院政・出家後も尚絶大な権力を誇った白河法皇(※1)をして天下三不如意(※1−1)と言わしめた一つが「鴨川の水」でしたね、然もありなん!
 

 下の2枚は宴の後の先斗町の風景で、左下が藤原税理士と助手の菅野氏、右下が私。先斗町はこの狭い通りに独特の風情と味わいが有り、日本情緒を求めて右下の写真の様に外国人も良く訪れます。
写真2−2:03年夏、京都先斗町で(その1)。写真2−3:03年夏、京都先斗町で(その2)。

 その後、私たちは先斗町を通り抜けて三条に向かいました。右下が京阪三条駅前の高山彦九郎の銅像(※2)の前で撮った藤原税理士と私。
写真2−4:03年夏、京阪三条駅前の高山彦九郎の銅像の前で。
 先生は若かりし頃、京都に住んで居たことが有り、度々この銅像の前で友人達と待ち合わせをして青春を謳歌したそうです。
 高山彦九郎は【脚注】に在る様に寛政の三奇人ですが、何故奇人かと言うと、この人は無茶苦茶な尊王カブレで、写真の銅像は彦九郎が三条大橋上で平伏して皇居を拝し「草莽(そうもう)の臣、高山正之」と連呼して居る場面です。他にも等持院で足利尊氏(後醍醐天皇と戦った)の墓碑を鞭打つなど、その奇行は郷里からも追放された程です。幕末の尊王運動以前にもこの様な人が居たんですね。

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 ■2004年

 左下の写真は1月7日(水)の大阪北浜での新年会の様子。左から田中耕司税理士(藤原税理士の後輩とか)、助手の菅野氏、お店のママ、藤原税理士です。ここは田中税理士が贔屓の店です。
 右下は4月1日(木)、恒例の大川端での花見にて(藤原税理士と助手の菅野氏)。
写真3:04年の大阪北浜での新年会。写真4:04年の大川端での花見。

写真5:04年夏の鴨川の川床にて。

 右は9月3日(金)、先斗町「いづもや」にて、これ又恒例の鴨川川床納涼の宴です(藤原税理士と助手の菅野氏)。
 昨年は直前の夕立で川が氾濫した為に室内で飲みましたが、今年は初秋の川風を楽しむことが出来ました。背後に見える建物が歌舞伎の「南座」です。
 ぼんぼりの灯かりに川のせせらぎを聞き乍ら飲む酒は格別。しっとりと落ち着いた風情と日本的伝統の良さをゆっくり堪能しました。

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 ■2005年

 05年2月1日(火)、小雪舞う中を丹波篠山の名物料理・牡丹鍋を食いに行きました。赤味噌仕立ての猪肉は旨い。しかし食うのに必死で肝心の牡丹鍋の写真を撮るのを忘れました、ブッハッハ!
 左下の写真は大手食堂前での菅野氏(左)と古やん(右)。菅野氏が持っているのがタッパウェアに入った牡丹鍋の「残り汁」。これを持ち帰り家で「豚鍋」をするのが”通”の食い方です。私は「牡蠣の土手鍋」に習い、牡蠣もブチ込んで食ったら二重の旨さでした。
写真6−2:05年、丹波篠山の猪解体所で。 右が猪肉の解体所に吊るされて居た猪の毛皮と私、肉の部分に血が滲んで居るのが生々しいですね。猪さんに感謝、感謝...m(_=_)m!!
写真6:05年、丹波篠山の牡丹鍋店の前で。

写真7:05年の大川端での花見。 左は恒例の大川端での花見のスナップです。今年は3月が寒かったので桜の開花が遅く、例年より数日遅く4月7日(木)に行いました。左から古やん、藤原税理士、菅野氏です。
写真8:05年の菅野氏の送別会。 ところで、助手の菅野氏が藤原事務所を去る事に成り、右が6月30日(木)の送別会での藤原税理士(右側)と菅野氏(左側)の最後のツー・ショットです。
写真9:05年の鴨川川床納涼宴の後。

 左は7月22日(金)に催した毎年恒例の京都での鴨川川床納涼の”宴の後”、四条大橋の上で「南座」をバックに撮ったものです。

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 ■2006年


写真10:06年の大川端での花見。 06年は冬が厳しく長く、梅の開花が例年より20日遅れで、桜が何時咲くか心配でした。何しろ3月26日(日)の大阪城公園梅林では梅が未だ満開で大勢の家族連れたちが「梅見」を楽しんで居たのです。
 漸く4月7日(金)に、この日は好天だったので未だ7分咲きでしたが、恒例の大川端での花見を決行しました(右の写真)。左から助手の閑野氏と森野さん、藤原税理士、古やんです。古やんは4月18日(火)にドイツに行きました。

 この年は、天候不良とか日程の都合で夏恒例の京都鴨川の川床での宴会はしませんでした。

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 ■2007年

 07年は前年とは逆で1月〜3月中旬は平年より暖かく、梅が2月10日には満開桃が3月3日の「桃の節句」には満開でした。ところが3月中旬から天候不順に成り寒い日が続きました。
写真11:07年の大川端での花見。 という訳で蓋を開けてみれば桜の満開は例年より少し遅いということで、天は桜で帳尻を合わせた様です。
 左の写真は4月3日(火)に行った恒例の大川端での花見のスナップです。左から藤原税理士、助手の閑野氏、古やんです。コートや厚手の上着を着ているのでお判りの様に、この日は夜桜の下で花見をするには寒かったのです。
 ところでこの写真ですが、私たちが座っている上の夜桜を強調する為に写真を上下に分割し、夜桜の花を明るくして合成して居ます。
 この後、私と古やんは4月6日(金)〜7日(土)に和歌山県太地に鯨を食いに行きました。

写真12:07年の鴨川川床納涼宴での親子鷹に挟まれた私。 8月14日(火)には恒例の鴨川川床納涼の宴を開きました。右の写真は川床上での藤原親子鷹に挟まれた私です。この夏で助手の閑野氏が辞め代わりに藤原税理士(左側)の息子の二郎さん(右側)が先生の助手を務めることに成りました。将来の後継者です。
 二郎さんは何と某大手銀行を退職し父君の下で見習いし乍ら税理士の国家試験(=5科目有る)を1つずつパスして行くという話です。税理士稼業は銀行マンより儲かる様ですね!
写真13:私の「クラシック音楽を楽しむ会」に参加した二郎さんと森野さん。

 右は私が主宰するクラシック音楽を楽しむ会【ブラボー、クラシック音楽!】の3周年(10月3日(水))に来て呉れ、熱心に聴いて居る二郎さんと森野さんです。森野さんは結婚の為に11月に辞めます。

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 ■2008年


写真14:08年の大川端での花見。
 左は4月4日(金)の恒例の大川端での花見でのスナップで、左から藤原税理士、助手の二郎さん、古やんです。バックに夜桜を入れる為に、私はしゃがんで低い位置から見上げる様にして撮りました。この桜の木の下で酒宴を張りましたが、刺身や漬物やデザートの苺などを揃えたメニューに初参加の二郎さんは感激して居ました。
 私は”乾き物”の当てでは酒が進まないので、必ず”濡れ物”の酒肴を用意しまっせ!!
 私は翌5日(土)には岐阜県樽見の薄墨桜 −樽見鉄道は昨年からのテーマで幾度も乗って居ます− を見に行きました。6日(日)は兵庫県出石、7日(月)からは九州に行き、特に柳川の桜が良かったですね。08年の4月は快調に花見三昧の日々です。

写真15:08年の鴨川川床納涼宴。 今年は恒例の鴨川川床納涼の宴を8月14日(木)に開催しました(期せずして昨年と同じ日です)。右の写真は左から藤原税理士、私、二郎さん、古やんです。2枚の写真を合成してるのが判りますか?

 ところで私は宴の前に八坂神社に行き蓮の蕾に止まってるオオシオカラトンボ[♂](左下の写真)を撮りました。写真15−1:08年の鴨川川床納涼宴前の、蓮の蕾に止まるオオシオカラトンボ。

 お盆休みの為か大勢の観光客が訪れて居ましたが、トンボを撮影して居たのは私一人でした。毎年花見と川床の写真ばかりなので偶にはこういう写真もアクセントに成るかと思います。

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 ■2009年

 今年は桜の開花は早かったのですが、それ以後寒波の影響で寒さが振り返し結局花見が出来る位暖かく成ったのは4月の第2週でした。それで4月7日(火)に恒例の大川端での花見を行いました。
 私は以前から感じて居るのですが、梅は厳冬と暖冬の年では満開時期が2月15日頃(暖冬)〜3月25日頃(厳冬)と大きくずれるのに対し、桜は開花が早かろうが遅かろうが満開且つ温暖な条件化で花見 −我々は夜桜で酒を飲む− が出来るのは毎年決まって4月5日前後とほぼ一定です。事実このページに記した03年以降の花見の日付を抜き出してみると

  03年:4月3日
  04年:4月1日
  05年:4月7日
  06年:4月7日
  07年:4月3日
  08年:4月4日

です。03年は非常に暖冬で冷夏に成りヨーロッパでは夏に熱波で死者が大量に出た異常気象の年でしたが、桜の満開は例年通りです。04年も暖冬で加えて3月下旬が暖かかった為に開花宣言が出て直ぐに満開に成ったので花見を早く決行しました。05年以降は冬は冬らしく寒く夏も夏らしく暑い順調な天候が続いて居ます。
写真16:09年の大川端での花見と夜桜。写真16−1:09年の大川端での花見の私。
 左の写真が夜桜をバックに左から三沢税理士、藤原税理士、二郎さん、古やんです。
 右の写真が相変わらずの私です。

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【脚注】
※1:白河天皇は平安中期の天皇(1053〜1129、在位1072〜1086)。後三条天皇の第1皇子。名は貞仁。六条帝とも。1086年(応徳3)譲位、上皇と成り、初めて院政を開き、堀河・鳥羽・崇徳の3代43年に亘って実権を握った。96年(永長1)出家して法皇と成る。
※1−1:白河法皇の天下三不如意とは、「平家物語」巻一「願立」の「加茂川の水、双六の賽、山法師、これぞ我心にかなはぬもの」に拠る言葉る。

※2:江戸後期の尊王家(1747〜1793)。名は正之。上州の人。林子平・蒲生君平と共に寛政の三奇人の一。久留米で自刃。歌集「高山朽葉集」。

    (以上、出典は主に広辞苑です)


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