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背中の気配
吉野屋にて牛丼かき込んでいたら、一人の人がやってきました。
「大盛り弁当ね」
といってから、おもむろに大きな声で話をし始めました。
そこにはいない「誰か」と。
もちろん携帯電話、なんですが。
背中には一人の気配しかないのに、声しか聞こえないのに、
会話をされている、恐怖。
マクドナルドのCMでもありましたよね。
せっかくのデートなのに、
なんだか姿も見えない人間に彼女を拘束されて、
自分はぽつんと店に残される、という。
リアルに顔を合わせている自分よりも、
電話を握ってるものが優先される理不尽さ。
ま、僕も電話の方がつっこんだ話が出きるような人間なのですが…………
携帯電話を使うというのは、違う場所にいながら、
他の誰かとの共有の場を持つことです。
その瞬間、ここにはいなくなってしまっている。
建物の陰でうずくまって、電話している人を見かけて、
ぎょっとしたのも1度や2度じゃない。
あの人達にとっては、自分はただ向こうの人と話してるだけ、ですよね。
それがどれだけ異様な雰囲気を、姿を見せているか、気がつかない。
人混みの中、突然独り言を始める。
それが、当たり前な光景なのです、現代は。
わりと僕はその姿を楽しく拝見させていただいてるのですが。
面白いと思って見ると、非常に面白いです。
観察されていることに気がつかれないですし…………とか言ってみたり。
んで、吉野屋で、食べ終わってみて、ぎょっとしました。
後ろの男の人が耳に当てているもの、それはただの煙草の箱でした。
いつの間にか店員達は僕らのそばから離れて、
店の奥に固まって、ちらちらこちらに視線を投げかけていました。
…………なんてことになったら楽しかったんですけどねぇ。
でも、「電波ジュシンチュウ」ってのが日常の光景になっている、
というのを改めて気付きました。
背中で姿の見えない人が大声で独り言を話してるって、やっぱ怖いぞ。
本当ににあれは、ケータイだったのかな?
とか言ってみたりしちゃったりなんかして。