雑記表紙へ
千代子の相場
彼女は一言一言念を押して、僕の前を横切っていくのだった。
僕はその彼女の行動に、疑問の声を投げかけた。
というより、抗議だ。
「今のはおかしいんじゃないか?」
彼女の口元には小さな笑いがある。それが僕を依怙地にさせる。
「っは認めよう。ょだって仕方がない。小さいとはいえ、文字だ。
僕だって人並みの価値観がある。だけど今のはないだろう?」
「どうして?」
彼女は小さく首を傾げる。目の中には、いたずらっぽい光。
僕の声のトーンが一段高くなる。
「だってさ、だって。多いよ。おかしいよ!」
彼女は何も言わない。僕の言葉を待っている。
「だって、単体だったら発音できないじゃない? それで進むなんておかしい。
そこは伸ばすための、記号だ。文字じゃない。
ずるいよ」
「そうかな?」
「そうだよ。今のところは、君は母音を発音して進んだよね。それなら僕は、
さっきので6歩進めるはずだよ。母音と子音をあわせたら、6歩だ。」
「それなら私は今ので、11歩進めるよ。いいの?」
「ちょっ、ちょっとまってくれ!」
僕はあわてて彼女の言葉を遮る。焦りが僕の口を早口にさせる。
何とかしなくちゃ。彼女に追いつかなくては。
ばたばたしている僕の姿に、彼女は小さく吹き出した。声に笑いがこもる。
「私はちゃんと進んだわ。中森明菜が味方だもの」
「え?」
「ちょっと昔になるけど、彼女が歌っていたよ」
明菜の少しかすれた声が僕の中につかの間、流れる。
「日本放送協会は、認めてないよ。その証拠に放送しなかったじゃないか」
「国営放送がすべて正しいなんて言わせないわ。それにあの歌は全国に流れて、
長い間続いたわ。全国ネットでね。抗議もなかった。つまり、世の中の常識と
迎合したのよ。非常識なら、排除される。つまり、みんなが認めたって事よ。
あなたの言い方を真似るならね」
言いながら彼女の言葉は徐々に熱を失っていく。この議論に飽きたのだ。
「どうするの? つづける?」
僕は数瞬、ためらった。だけどここでやめるわけにはいかない。
やめるのは、勝ったときだ。
「続けよう」
僕は背筋を伸ばして、彼女に向き直る。彼女に勝つためには、3歩なんて
みみっちい手では駄目だ。6歩だ。しかし、彼女のような姑息な6歩を
進むわけには行かない、そう正当の6歩で彼女を追い抜くのだ!
僕はパーを出し、彼女は・・・・チョキを出した。
「ち・よ・こ・れ・い・とっ!」
彼女はものすごく嬉しそうに僕から遠ざかっていく。
僕はただ、うつむいて、唇をかむことしか、出来なかった。
オチの解説