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サンダーフォースXのエンディングについて、思うコト


ようやく手に入れたよ丙八郎くん。
ってのは私信ですが、
サターンには、サンダーフォースXという、
たぐいまれなる秀作シューティングがあります。

横スクロールの、ポリゴンとスプライトの華麗なる競演、
エフェクトバリバリ、音楽ギンギン、自機の火力がんがんの、
爽快シューティング・ゲームです。

で、わりと凝った世界観があって、しかもコンピューターで呼び出すと、
テキストで設定資料出してくれるという、親切ぶり。
他のメーカー、攻略本でもうけようとしてるくらいなら、見習いやがれ。

で、基本的なストーリーはこう。

近未来、人類は冥王星軌道付近で、地球人類の手ではない科学技術で作られた
戦闘機と思われる残骸を発見、
それは「バスティアン・スティール(偉大な鉄塊)」と呼ばれ、人類は、
英知と時間を傾けて、それを解析する。
結果、人類はさまざまな恩恵を得るようになった。
理論でしかありえなかった、さまざまな超技術の現実化、
思考する自立型コンピューターの誕生
そして、超光速、他星系探索への道である。

人類は新たに得た技術を結集して、巨大コンピューターを建造、
「偉大な鉄塊」の、未解析の技術をさらに研究する、無人の研究者を作り出す。
人類の守護者たるべく、「ガーディアン」と名づけられたコンピューターは、
宇宙空間に浮かび、地球から人類を解き放つために移民用宇宙船群を建造していった。

事件は突然に起こる。
ガーディアンが人類に反抗、突然の攻撃を開始する。
作られたものは移民用の船ではなく、人類抹殺用の、兵器だったのだ。
たった一度の戦闘で、人類は1/3の同胞を失った。
ほとんどの兵器は、ガーディアンの支配下にあり、人類はガーディアンの
手の届かない、旧式の兵器で立ち向かわねばならなかった。

人類に残された、最後のオーバーテクノロジーによって産み出された、
バスティアン・スティールのコピーによって編成される「サンダーフォース部隊」
しかも、ほとんどの兵器は守備側に回しているために、わずか7機と少ない支援で、
ガーディアンへの攻撃をかけるのだ。

と、まあ、こんな感じ。
「偉大な鉄塊」が、「W」の自機だったりするから、もうファンにはたまらんですよね。
演出ものすごいし、攻略法さえ見えてれば、巨大なボスを瞬殺出来る楽しさ。
(キッズモードのお話)
ものすごく良く出来たゲームです。スタッフの思い入れも最高だし。

で、エンディングです。


ガーディアンは、自らの意思でこの反乱を起こしたのです。
目的は、人類の未来永劫の保護。
人類にとって最大の脅威の永遠の除去。
その脅威とは、「バスティアン・スティールよりもたらされたテクノロジー」
これによりもたらされる力は人類の制御を遙かに越える。
その行き着く先は、破滅しかない。
人類の守護者である「ガーディアン」は、すべての副産物を破壊を決心し、
戦争を起こし、目的を遂げます。
ただ一つ、プレイヤーの搭乗機を残して。
そしてプレイヤーに語りかけます。「それを破棄して下さい」と。

で、地球の自然がでたりするのですが、

ちょっと待てやこらぁ。
と、激しく憤りを感じたのは、僕だけでしょうか。
ここに込められた、おそらくは制作者のメッセージに、
激しい憤りを感じてしまうのですよ、僕は。
ゲームとはいえ、思い入れを込められたこの作品だからこそ、反論するっす

まず第一に、コンピューターとはいえ、独善を独善と描いていないような気がします。
石油資源の枯渇を叫んだ大馬鹿で腹黒かった宣言と同じように、
未来は、予想では、越えられないものがあります。
たった一人で決断し、人類と会話を試みることなくのいきなりの行動。
こんなものを、地球の人たちが・・・・・作ってますね、東海村。とほほほほ。
しかしそれでも、テーマをにおわせるなら、もう少し何かをするべきです。
人類が気がつかなかったとか、何とか。
そう、このコンピューターは、あまりにもわかりやすい悪役の行為をしたあげく、
言い訳をしているにすぎません。
「試練」とか、「振るい」とか、「間引き」の方がよっぽど納得できます。
いきなりラストでこれが真実だって言われても・・・・ねぇ?
コンピューターが、その罪を自覚している描写がない、葛藤がないのです。

んで、次。
偶然得てしまった力への、あまりに後ろ向きな思考。
人類が火を手にしたのは、偶然だったという説があります。
雷よりもたらされたとか、山火事だとか、ありますが、
人は火を、もたらされ、使いこなしました、何とかね。
そして、火と言葉を元にして人は科学を作り出し、文明を築きました。
私たちは現象から学び、前に進んできたのです。

そして、「バスティアン・スティール」偶然よりもたらされた、人類の次なる段階。
その痕跡をすべて拭い去ろうとする守護者。
危ないものをすべて取り上げてしまった子供が進む未来は、それこそ破滅でしょう?
守護者たるべくコンピューターを作り、そこに未来すべてを託してしまう世界観なら、
コンピューターが反乱をし、人類に自制と自立を促し、
親が子供を安全な巣から追い出すように、行動をするなら、納得できます。

危険だから、駄目。だとぅ?
ま、そんな判断下したからこそ、シューティングの的になったんだ
といってもいいんですが、
どうもここにテーマを感じさせようとする糸が見えちゃってねぇ。

現在日本は、土建屋と、政治屋と、業界と、役人の結託で、原子力発電所を乱造し、
しかも「怠惰」という愚かしいとさえ言えない、馬鹿な行動で、大多数の国民を、
危険にさらしている現状です。
対岸の火事ではなく、まさにチェルノブイリのような、素晴らしい安全対策で
プルトニウムが扱われている現在、10年後、20年後には、どんなつけが回ってくるか、
分かりません。今の不景気だって、つけの一つでしょう。
もちろん日本に限ったことではないでしょう、盲目的で単純な自己保存、
怠惰と、自制心、先見性のなさは、人類のお家芸です。
水俣病を正しく認知した工場勤めの科学者が、会社のために
それを黙認していた世界に僕達は住んでいます。

目隠ししたまま全力疾走。
私たちは、そうたとえられてもおかしくない愚かなエピソードを、
多分に含んだ歴史を歩んでいます。
人の力は大きくなり、生態系、地球環境にさえ影響を及ぼし始めました。
自らの力を恐れる。それは正しいでしょう。
しかし、だからといって、ゲームの中の仮想空間とはいえ、この踏み出した第一歩を、
ぬぐい去ってしまうようなコンピューター及びその主張は、許せません。

あくまで架空の話ですが、我々は「バスティアン・スティール」を解析し、
自らのものとして取り込めたのです。
つまり理解し、転用できる知識と可能性があったということです。
確かに「偉大なる鉄塊」は、私たちの生活を一変させた。が、それは、
「我々に理解が出来る素養があったこと」の証明であって、
ショートカットにすぎません。決して、「人類が決して得ることのないもの」 ではありません。
我々は科学の恩恵で生活を潤しています。多くの人の努力と経験と、
それを伝えてくれた意志によって、です。
そこには偶然だってあるのです。過去の事例からヒントを得て、
現代に応用するものだって、あったはずです。(不勉強で具体例だせね、とほほほ)

繰り返しますが、たとえものすごい進歩といえど、理解できる素養があったからこそ、
オーバーテクノロジーが可能になったのです。
得てしまった時点で、それはオーバーテクノロジーではなく、人類の現代の力、ということです。

たとえば現在、何者かが、自動車はいけない、ということ
で、すべての自動車というものを
消し去ったとしても、我々は、多少の困難で再び、作り出すでしょう。
得てしまった力を、技術を消し去ることなど、不可能なのです。
人の目は前についています。それは人が元々常に前進を志す生き物であることの証であると、
のび太の先生は言っています。
自然に戻れと叫ぶ声も、メディア越しで伝えている現在、
人が元に戻ることなど不可能なのです、さらに快適で安全な方法を模索する以外、
人の進む道は、ないのです。

石油資源の枯渇を叫んだ科学者の主張は、小学生の時に資料を配られ、びっくりした記憶があります。
結局原油の価格を上げ、石油系の会社を設けさせる陰謀だった見方が出来る、滑稽な結果でしたが、
とりもなおさず、人の進歩の力というものが、人の恐れさえも克服できる可能性を秘めている
証明ではないでしょうか?

まぁ、だからといって、「冷凍睡眠で未来にすべて託そう」とか言う考えは何も生みませんし、
(んで結局全員が冷凍睡眠してしまう話を星新一が書いてました)
単純に明るい未来を信じるには、僕たちの現実が、それを簡単に否定します。
ただ、未来を嘆いて、現代を怠惰に生きるより、一応未来の可能性を信じて、
何をしたらいいかを模索する姿勢、ってのは持つべきですよね。

シューティングゲームのストーリーに、何あつくなってるんだと言われそうですが、
ちょっと、「そりゃー違うべ」と、思ったものですから。

まぁ、それだけこのゲームはおもしろかったし、スタッフが世界観考えていることを
感じさせる出来でした。
「ゴモラ」のストーリーじゃ、そんな葛藤ないものなぁ。