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スパイス


コショーといえば、ラーメン屋とかで置いてある。
メタリックな青い缶の「GABAN」。
特撮好きな友人と飯食うときは、必ずネタにしてます。

…てな話はおいておいて。
外で飯を食うとき、僕の左手は、ページを押さえていることが多々ある。
本から片時も目を離さずご飯を食べているのだ。
もちろん、こんな行儀が、そして礼儀的にも非常に悪い食事は、
一人の時に限ってのもの。
誉められるべきモノじゃない。

それが、昨日の夜と今日の昼でとてもうまくいっている。
ご飯が、とってもうまいのだ。
餃子の肉汁が口の中にしたたり落ちる感触、
ジャガイモが舌の上でとろけていく感じ。
実に楽しい。
生きていて、良かったと、心の底から実感できる。
お店の人たちは、本を片手に、口の中にモノを運んでは、しきりに感激している
この怪しい人を、さぞかし奇異の目で見ているかもしれない。
これほどに料理をうまく感じているのは、
セラエノにも書いている(ずいぶん古い記事だけど…おまけに今、閲覧不可、トホホホ)
神林長平の「魂の駆動体」を入手して、読みながら食べているからなんだ。
この小説、一降りで料理の味を変えてしまう“スパイス”に
まさるとも劣らない効果を僕にもたらしてくれたよ。

この作者は、人が生きていること、
楽しさ、感覚、味覚、そして自我を問いかける小説を書いている。
人とはなんなのか、意識とは何か、魂はあるのか?
そう、その姿勢で描かれる彼の文章が生む世界、
それが“味の認識”を増していて、料理をうまく感じさせるんだ。

もちろん、彼の作品すべてがそういう本ではない。
「魂の駆動体」という作品が、大きく「認識」、そして「自我」を
テーマとしてとらえているのだ。
物語は2部構成になっている。

ひとつは今よりちょっと未来の世界、老人ホームにいるふたりの人間が、
自分だけの「車」を作る話。この時代、車はすべて公共のものになっていて、
自分で乗り回す、自分だけの車というものが絶滅している。
主人公と、技術者であった友人のふたりの老人が、理想の車を作ろうとする。
シャフト、エンジンの位置、駆動方法、専門用語をひとつひとつかみ砕いて、
まるでその小説の通りに実行していけば車ができるような、そういう緻密さで、
コンピュータ上に設計図を引いていく、ふたり。
完成した瞬間、主人公は意識を失う。

そして第2部
。 人類が滅び、「鳥人」という種族が地球を統べる時代。
かって地球にいた「人類」を研究するチームの一人・キリアは、
自らを人の体に“転生”させ、人間の体で研究を進めることとなる。
相棒は人間の知識を詰め込んだ人造人間・アンドロキア。
魂のない、機械。
しかし、一枚の発掘された「設計図」をアンドロキアが手にしたとき、
奇跡が起こる。アンドロキアが突然変化
する。
自らの欲求をもち、動き始めたのだ。 「キリア、私はこの設計図に書かれた車を作りたい。」
それは、まるでアンドロキアに“魂”が宿ったような変化だった…。

 ちょっとこう書くと陳腐だけど、この手順が非常にうまい。
それは、すでに40を超えた、10年以上も「小説」を書き続けた
プロならではなんだけど、
車とは、乗り物だけではない、スピードの快感だけでもない。
魂を駆動させる存在なのだ。
という認識と共に、ノスタルジーと、自分の手でものを作るという
その実に魅力的で楽しい行動に共感させる一部、

そして、人間とは何か、魂ってなんなのか、人間と、「反応機械」、
もしくは自我というものを問う第2部。
実際の文章は、こんなに大上段じゃない。
ひとつひとつ、丁寧に事柄を追っていくことで、読者に考えを提示して、
そしてさまざまな仮説から、もっともらいしものを選んで、
それでいて、人の交流、モノを作る楽しさを追体験させてくれるんだ。

この小説は面白いけど、万人にはお勧めできない。
やはりテーマがこういうモノだけに、少し難解だし、
語り口調で進む文章、しかもお互いが概念をこねくり回すのは、
「神林長平」という作家さんの作品に「慣れて」いないと、
きついと思う。
ただ、好きな人には、非常に楽しい作品だし、
読むと、感覚が、変わる。
それは、この小説を読んで自分の中の認識力が、
ちょっと深くなったような気持ちになるんだ。

生きているって、楽しい。 小説を読んで、改めてそう思える。
そういう作品を作れる人は、すごいし、出会えたのは幸せだと思う。