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なぞなぞ
「なぞなぞあそびしよーっ!」
「しよーっ!」
「下は大火事、上は大水、なーんだ?」
「うーん、うーん」
「ぶーっ時間切れ、正解は『お風呂』でーす」
「なんで?」
「えっ?」
「なんで?」
…と、言うわけで、僕はなぞなぞ遊びが苦手だ。
広辞苑によると、謎とは、「遠回しにそれと悟らせること」だ、そうだ。
あるひとつの意味を、ある特殊なフィルターにかけて分析、
その上での筋道を、「当てる」。
「君が考えたことを、僕も考えついたよ!」というところに、
なぞなぞの面白さがあると思う。
なぞなぞが苦手、などという人間、
ましてやそれに対して、正当化を図る人間なんて言うのは、
「つまらない」人間に他ならない。
なぞなぞは、クイズとは違い、知識を競うものではなく、
共感や、仲間意識を問い、それを確認する遊びだからである。
人間関係でも、コレを試す人がいて、非常に辟易する場合が、多い。
「僕が何を怒っているか、分かる?」
と、問う人間。
僕は非常にこういうタイプの人間が苦手だ。
自分だけの正解を他者に押しつける行為だと、思っている。
おまけに、ここには、「答えて欲しい」という甘えもある。
僕は甘えを受け入れられるほど、度量のある人間ではないし、
こういうとき、僕は意地悪にも答えず、
さらに相手が甘えているであろう事を露骨に指摘、
より関係を険悪になってしまう場合も多い。
ここらへん、「面白みのない人間」だけでなく、
「他者を理解しようとしない人間」でもあると言えるだろう。
「謎」には「意義不明で解釈の難しいこと」という意味も、ちゃんとある。
とけなくても、良いのかもしれない。
まあ、それは寂しいことではあると思うけれど。
子供の頃、知能テストのようなものを受けて、
僕は「落第生」のレッテルを貼られそうになったことがある。
その問題は、「このシルエットは何の形に見えるか?」という質問だった。
僕は、普段自分の好きなモノを、あらん限り答えた。
それは、その形が解釈次第でさまざまなモノに見える可能性を、
とうとうと語ったのだ。
結果、「常識的な判断能力の欠如」という判定を、されかけた。
正直、今もこの遊びが好きで、一個の事柄に、めちゃめちゃな解釈をさせて、
「まじめ」な人達の眉をしかめさせちゃうことも多い。
解釈を、あえて限定するよりも、広げる遊びの方が好きなのだ。
最初のなぞなぞに、あえて正解を知っていながら、
「原子力発電所」とか答えてしまうのが好きなのだ。
だけど、これは、せっかく「遊び」をかけてくれる人に対して、
その遊び心を否定、自分の遊びにつきあわせるように強要していることになる。
これは、正直人を選ぶ遊び方だろう。
喜んでくれる人もいるけど、不快に思う人もいる。
「その場の雰囲気」を読まず、ところかまわずコレをやっていたら、
それはもう「共感できない人」になってしまうだけだ。
こういう失敗ばかりしてきて生きてきたし、これからも続けてしまうだろうと思う。
心の機微がない人間なのかもしれないし
、 相手のことを理解しようという優しさをもてない人間であるのかもしれない。
…こーゆーこと考えていること自体、頭が固い証拠でもあるわなぁ。
これからも、人はたくさんの「なぞなぞ」を問いかけてくるだろう。
その度に、僕はちょっと意地悪になってしまうだろう。
ちょっとアレな性格だよなぁ。