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脱モラトリアム


 “大人”になりきれていない自分に、かなりあきれている。
仕事の話だ。
まあ、かなりアレな仕事をしちゃっている俺だが、
この仕事が、後10年続けられるかというと、はなはだ疑問なのである。
情報を得て、語る。それを定期的に流していく、
これだけでも、仕事になる。
ただ、“上”にいけるのかな、というと、どうなんだろう。

若い人が輝くこの業種だ。下っ端では体力、熱意ともにかなわない。
もっとお金も欲しい、かといって、
劇的に作品の質を上げる職人にはなりきれない。

勤続しているだけでポストが上がり、収入が増える社会というのは、
ない、ということを最近になって実感した。
人に気に入られ、認められて、
他の人に“勝たなければ”安定した生活というのは、ないのだ。
今幸いにしてある仕事も、やがてなくなってしまうだろう。

残念ながら、僕は飯を食わないと生きていけない生き物だ。
そして、今のように覚悟のないまま仕事をしていくだけでは、
そろそろ生きていけない。
30過ぎちゃうと、再スタートは難しいし、大きなハンデとなる。

今の仕事は、楽しいと言うほどではないが、やっていて苦痛では、ない。
もちろんどんな仕事でもそうだけど、休日を仕事でつぶしても、
死ぬほどの苦痛ではないというポイントは、かなり大きい。

「覚悟」がそろそろ必要になってきたと思う。
それはもう、この業界でテストケースを見つけて、
その人の生き方をまねる、ということなのかもしれない。
正直、ものすごく不安だ。
仕事がいつまで続けられるか分からない。
会社や、他にも諸々と、不安材料があるからだ。

一番は、自分だ。
お金を得て、仕事を回し、自分を確立する。
結局、それが出来ていない。

だから、意識をほんのちょっと、変えようと思う。
自分を確立するために、仕事をするのだ。
“続ける”ことを考えて、仕事をしていくのだ。

今まで僕は、いつも違うところに幻想の居場所を認めて生きてきた。
それは、幻想にすぎなかったと、しておこう。
ここが、僕の居場所だ。
仕事と自分を同一視しよう。

生きていくって難しいねぇ。
みんなこんなこと考えて仕事していってるんだろうか?
最大の問題は、仕事の方が僕を見限らないようにって事だね。