あのころはまだ、サターンにわずかな夢が残っていた。
水をあけられてはいるし、ソフトのラインナップも非常に不安だったが、
「追いつける」と、まだ信じていた。
PSにである。
なんといってもあの「ルナ」が出るのだ!
追いつけないはずはない。
そう信じていたのだ。
そしてこのゲームが発売されて、僕は確信するのだ。
「もうだめだ」と。
てな訳でこの贋作にして、パチモン、ニセモノ、駄作、の
サターン版、「ルナ」のレビューをします。
思えばこれが書きたくてページを作ったといっても過言ではありません。
私はこう思っているのですが、
これはあくまで私個人の意見なので、否定なさるのも結構です。
ただ僕はこの考えを改めるつもりはありませんので、あしからず。
このゲームはゲームアーツの作ったものではありません。
この時点でこのゲームはすでに駄目になる運命だったのかもしれません。
スタッフが作らず監修のみ。重馬さんも、そういうスタンスでした。
もうこの時点でメガドライブと同じクオリティを求めるのは無理だったのです。
あのルーナが「ウエデイングピーチ」なのなんか、些細なものです。
「本質を全くはき違えて捉えている」
これこそが、理由でしょう。
以下、記憶の残る限りの愚痴と呪詛をお聞き下さい。
期待を込めてブルグに降り立った僕は早くも愕然としました。
「畑がねぇ・・・・・・・」
これ一つを例に取るのは確かに暴言かもしれませんが、異常なこだわり、
というルナの一要素がきれいに。ものすごくきれいになくなっているということを
表している象徴のようなものでした。
「弁当もない」
この弁当を使った演出、俺ホント大好きだったんですよ。
そしてちくちく不快感を起こしながらゲームは進んでいきます。
モンスターから逃げ回ることを強要されるゲームバランス、中でもおかしいのは
ラムスの強さでしょう。遅いながらも一撃の大きかった彼の利点は全くなくなって
しまっていたのです。ただのお荷物。何のために冒険でたんだろう。
そして大陸への渡し船の船長の一人がが実は父親とともにダインと旅をした
というエピソードがなくなっているという、きわめて不愉快なアレンジで、
メリビアに旅立つことになります。
ここで一番のウリである、ルーナとの冒険となるのですが、
正直言って彼女がアレンジで一緒に冒険することで、彼女の印象を強めたでしょうか?
なんかそんなイベントありましたっけ?
ガレオンに見られて頬染める。それ以外彼女の台詞とか、心をうつ行動なんて
これっぽっちもなかったでしょ。
アレスについていきたい。ずうっとアレスを見ていたい、見守っていきたい。
ルーナにとって、アレスは手の掛かる子供というスタンスの視点があったのです。
いつの間にか、アレスは目をルーナから離してしまいます。そして時々ルーナを見る目。
それはルーナを気遣う目です。ルーナが一緒にいることで、彼は村から出るのにも、
「ラムスの誘い」が必要だったのです。
そして家にいる両親。ルーナには親はいません。しかし、アレスの両親は、そのままル
ーナ自身の両親として振る舞い、なにも分け隔てなく、慈しんで育ててくれました。
アレスの父は言いました。「ルーナをまもれよ」と。
ルーナを守るためだけならば、アレスは村を出ては行けなかったのです。
しかしアレスは村を出ていくことを望んだ。アレスは永遠に目的と心を引き裂かれたまま
旅を続けなければならないのでしょうか?
そして両親はずうっと二人の身を案じなければならないのでしょうか?
そう、サターン版のルーナは、それさえもすべて振り捨ててアレスとの同行を望んだ。
彼女はアレスの心よりも、両親の心よりも、そして行く手の多くなっていく危険よりも、
自分の心に正直に行動したのです。
断言します、そんな演出は皆無でした。なんだかわからんままついてくる女。魔法ギルド
の試練、そして入学試験のための偽ドラゴンマスター退治、ルーナってなにがしたかった
んでしょう? そうまでしてアレスにくっついていくなら、それに気付かない二人は、
いったい何を考えているのでしょうか?
そしてラムスの別れ、そして試練の洞窟への道のり。
サターン版のアレスには、全く魔法の才能がありません。つまり、魔法が使えないから
アレスについていかず、商人を目指すラムス、そして自分の才能に気付き、ダインと同じ
道を歩むべき魔法ギルドへと歩を進めるアレス、という必然性が、絶無なのですよ。
そして魔法ギルドの試練を剣一本でわたっていくアレス。僕がこのゲームを投げ出さな
かったのは、ただこのゲームが「ルナ」だったから、それだけです。
どこが魔法ギルドの試練なんでしょう? 腕っ節さえ強ければ、魔法なんていらないじ
ゃないですか? こんな試練なんか意味がない。っていうか、ヴェーンそのものの存在に
疑問を投げかけます。
そして、最高に最大に怒りをおぼえた不満点、「ブルグ村のイベント削除」に至ります。
この前の時点で、この世界のもう一方の根幹をなす一つの台詞、「魔法の中心のところ
で、わざわざ魔法を使わずに演奏をしてるのがすごいことなんだよ」という楽団の台詞の
削除の時点で、この世界は骨抜きにされていることに気がついていました。
「ゲームアーツに抗議の手紙を出そう!」と本気で思ったのです。
そしてブルグ村は平穏で、「あらあらルーナさらわれちゃったの、大変ねぇアレス、頑
張ってね」と言われてしまいます。(ちょっと悪意でゆがめました)
ルーナもアレスもすでに村から出ていった人間です。だからこそ、ブルグは二人にとっ
て過去の町であり、もはやイベントには必要のないものなのかもしれません。
アルテナが何で人間に変わったのか、ガレオンがなぜ魔法皇帝を名乗ったのか分からな
いまま、話は進んでいきます。
一方的に変更点をけなしているだけですが、もちろんグラフィックが強化されていたり
と、サターン版ならではの利点があるのは否定しません、それに何より、たとえ抜け殻で
贋作であろうとも、ルナと名の付く商品をメガCDユーザー以外にふれることが出来たの
は、すごい事じゃないでしょうか?
しかし、だからこそ許せない。こんなゲームをルナとして販売していることが許せません。
嘆きを続けます。
個々で初めてルーナのエピソードが挿入され、船の上のシーンとともに、わずかながら
ユーザーにヒロインを認識させます。「黒い歌」ってやつですが、うーん、ヴェーン一撃
で陥落のほうがいいってのは、ちと持ち上げすぎですかねぇ。自分の目が濁ってるんで、
自信ないですな。
そして最高(何度目だ、この表現使うの?)に偽善臭い勇者様が魔物を助けるシーンが
出現します。おごってやがります、もう駄目です。もう、ルナの心意気はこのゲームには
ないのです。本編では、「自分たちの目的のために、人間を苦しめていることに疑問を感
じていた隊長が、侵入者のために心の迷いを吹っ切って、部下のために立ち向かう」と
いうエピソードが、もう、小学生でも考えられる、「部下を切り捨てる隊長と、それに異
を唱えることが出来る勇者様 」に変わってしまっています。もうやだこんな話。
ルナは、「ふつうのRPG」と言われました。当たり前ですよね。こんなエピソード、
そしてあんなエンディングですもの。このゲームは、凡百なんですよね。だから売れない
し、話題にならないし、新しいファンがつかないんです。ひどいや、俺なんか悪いことし
たんですか?
とかいうのはともかくですね。そして、「ミアちゃん対皇帝の城」となります。
動き止まったら、軍隊で叩けばいいじゃん。何で主人公達しかいかないの? ヴェーンが
一撃で沈んだから、結界がはって入れないから、みんなが何も出来ず、勇者達が頑張らな
きゃいけなかったんじゃない? グランディアでもそうですけど、人に任せて嘆いてるだ
けの世界なんて、ほろんじゃえばいいんだよ。それの方がみんなのためだって。
もう動かなくなってるし。メリビアにいっぱいいる軍人さんは何してるのよ? こちと
ら高い税金軍事費にあててんだ、金返せ! グランディアもこういう部分があったから嫌
いなんですよね。
そして何でいるんだか分からない三姉妹と戦わなくちゃいけません。もともとゼノビア
自体、魔族の中ではどういう血筋なの? っていうことさえも語られないんですが、それ
が三人に増えて、しかも一切! 二人に関してはキャラを掘り下げるイベントが絶無なん
ですよ。
シューティングゲームなら全然かまわないですよ。だけどこのゲームはルナなんだってば
さ。まあ・・・・・いいけどさぁ。ルナじゃないしね、ホントのこといえば。
で、ラストとラスト。魔導都市アルテナ、が浮上するんですが、これ、なんですか?
想像力とかそういうの、ないんですかね? ドラゴンボールのアニメ版のスタッフじゃあ
るまいし、ゾファーと同じ演出しか彼らの想像力はつくりだせないんでしょうか?
とりあえずダンジョン追加しました。という姿勢は許しましょう。だけどさ、せめて
納得のいく説明をして下さいよ。「私が倒れてもすでに計画は進んでいる」とか、「
もはや最後だ、アルテナよ、この星を無に帰してしまえ!」とか、頭悪いなりにあるじゃん、
それが、「アルテナの力の暴走だ!」って魔導都市アルテナって本来なんなのよ? せめて、
「青き星の再生の時に必要となる魔導力を早すぎる今に注ぎ込んでしまっている」とか何と
か考えられなかったのか? 暴走して噴出したエネルギーがどっかいっちゃうって・・・・
・・もーイヤだ、イヤだよ、しくしく。
まあ、本編もいきなりなんの伏線もなく竜の使いが出てきて倒されてというダメイベント
ありましたが、アルテナ再生とのオーバーラップっていわれても全然説得力のないラスト。
そして、そしてですよ。怒りのあまりパットをテレビに投げつけてしまったエンディング。
光に包まれて二人が降りてくる。のです。
おりゃー70年代のアニメの再放送見てるんじゃねーんだ。もっとさ、もっとこうなんか、
あるでしょ。
窪岡さんは絵の人であって、アニメーションの場面を作る人じゃないと確信したのはここ
ででした。この人にコンテ切らせたのだれだ!責任者出てこい!
「これはちょっとダメでしょ、陳腐すぎます」
ってなんで誰もいわなかったんだ。やめてくれ、こんな最悪のベタエンディング考えるよ
うな人間に、作品つくる才能なし。
塗り絵の原画の構図をやってろってんだー。
まあね、作品のリメイクをつくれっていわれるクリエイターさんの苦悩も分かるんですよ、
確かに。オリジナリティーを発揮できないし、しかも、原作を「改良」してくれなんて注
文をされたひにゃー他人の作品に手を入れて、しかもエッセンスを損なうななんていうの
は絶対に無理なんです。
でもね、リメイクでも絶賛される場合だってあるんです。けなして罪悪感が起きず、む
しろけなすための義務感が起きるゲームつくる方が悪いです。
人の作品で自分のテーマを出す。それなのにアニメパートには口が出せない、なんてい
う苦行を成し遂げたスタッフさんには確かに同情します、監督三人に悩まされる編集者の
作業みたいなものですからね、このゲームは。
かってどっかのページで、「ルナをけなされた、かってのユーザーの思い出の幻想には
勝てない。そんなゲーム作れない」と言う言葉がありました。
確かに、このサターン版には「思い出」とか「思い入れ」なんてものが生まれる可能性が
ありませんでした。原作にはあったのにです。リメイクをしたらなくなった。誰も熱く語
らなくなった。つまりですね、ふつうのゲームなんですよ。優れた才能のない方が作られ
たから、みんな文句しか言わないんです。
才能という言い方が残酷すぎるというのなら、思い入れです。このゲームのふぬけぶりは、
そのままスタッフの熱意を表しているのです。スタッフの熱意を移植できなかった。それ
はスタッフが攻められても仕方のないことでしょう、必然というものです。
おそらくミニイベントとして入れるはずの盗賊の盗品奪還イベントが、台詞だけしかな
くって入ってないとこなんかもそれを物語っているじゃないですか。
最後に、このサターン版を世に出した方々へのメッセージを書いて、
終わりとしたいと思います。
よくも僕のルナを汚しやがったな、畜生。
・・・・あくまでこれは僕の個人的な意見です。サターン版のルナをやったときに僕が感
じた怒りは本物なんです。
これを最後までお読みになって不快に感じる方には大変申し訳ないんですが、ご容赦下さ
い。正直な、あくまで正直な感想ですし、このページそのものを僕に作らせるきっかけと
なった大きい原因の一つなのです。
僕はこの呪いを世の中に発信したくてこのホームページをつくりました。
それは、間違いなくあくまで一部でしかありませんが、真実なのです。
もどる