雑記表紙へ
鏡像
どうやら鏡に映った自分の姿を、僕はかなり嫌いらしい。
それはもちろん、
ふやけた肉体である自分の外見だけを意味するんじゃなくて、
自分を見つめたとき、の事だ。
今日見たD&Dの映画の時だ。
D&Dとは、テーブルトークRPGという、面白いことは確かだけど、
知らない人はちっとも分からないという、
ストーリー性の非常に高い双六、みたいな、ある意味かなりアレなゲームだ。
帰りのエレベーターで、大声で「ゲームのルールから見た映画」の
話をしているオタクがいて、僕はものすごい嫌悪感に襲われた。
オタクであることは、恥ずかしいことだと、僕は思っている。
それを大声で、自分たちが持っている異世界で周りの
空間を汚染させようとする行為、
それはもう、汚物を道路にぶちまけて悪臭を広げている行為に
等しいように、僕には見えた。
だけどどうだろう、その5分後の僕は、
いかりやさんとミスタードーナッツで、
同じ話をしている。いや、とても楽しく、僕が一方的に話しているのだ。
自分が楽しいことを人に話すことは、とても楽しい。
この文章もそう、人に読んでもらうことは、楽しい。
だけど、人の行動は、同じようなオタクの行動は、時に、
僕は、その人そのものをとても醜い、と思う。
正確にはそのことではない、間違いなく自分が所属している、
「オタク」という世界が、とても気持ち悪いのだ。
オタクとは、隠すものだと、僕は思っている。
だからこそ、開き直ったオタク、という人たちは、許せない。
何故か?
正直、全然、説明ができない。でも、あの人たちの行動は、
裸で街を歩いているように、恥ずかしい。
時に僕がそういう行動をしているにも関わらず、他人は許せないのだ。
僕は「開き直ったオタク」だ。
ゲーム好きであることを公言し、仕事にしている。
でも、指の空いた手袋や、バンダナや、Tシャツや、紙袋や、大声や、
略語や・・・・嫌いなのだ。
受け入れるわけにはいけない世界なのである。
でも、他の人には僕と彼らの境界線はないも同然だ。
そして間違いなく、自分もそれを容認している。
30になっても、特撮や、アニメ、ゲームが好きだ。
語ってしまう、多くの人に分かってもらいたいところを
取り上げる作品は、存在していると思う。
そして、「好き」と感じるモノは、そういった子供じみたモノばっかりなのだ。
異常である、と、言っておきたい。
自分を異常者である、と断罪することで、逆に自分は正常であると主張したいのだ。
…結局、「僕だって普通の人と同じなんですー♪」と、言いたいだけなのかな。
さらに複雑なのは、自分が変人であることに、多少矜持を持っていることだ。
他の人の知らないいいものを、僕は知っている。とか思っちゃったりしているから、
救われない。
同類嫌悪の気持ちは、人一倍あるのに、それを矯正しようとはしない。
太っていることもつながるだろう。外見を気にしつつ、いつまでも
痩せようとしない自分は、「オタク気持ち悪い」と言いつつも、
自分の興味に正直に、貪欲に耽溺している僕の現状そのものだ。
もう少し、何とかしなければいけない、と、少し思った。
だけど、そう思った瞬間、「しなくてすます理由」を
100個くらい思いつこうとしている自分がいた。
でも、オタクが嫌いという感性は、このまま大事にしたいと思う。
自分が嫌いと思っている方が、より好もしい自分に変われるとも、思っている。
30にもなってガキみたいだが、結局こういう生き方しか、できないのね。
雑文を書いたのに、いつもと同じ結論しか出せなかった、トホホホ。