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人造という大自然


 今更、もののけ姫を買った。
中古で安かったんだもの。

劇場で見たかった、スケールのでかい映像のすごい、
よい作品だった。
だけどやっぱり、不満がある。

僕は、「エコロジー」という言葉が、あんまり好きじゃない。
宮崎監督自体、「自分がエコロジストの代表みたいに言われるのは心外だ」
という言葉があるそうだ。
作品のテーマとして、カリカチュアされたものは、良しとしよう。

問題は、これを見て勘違いした人が、
「自然は善、人間は悪」と捉えかねない、ということだ。
お節介だし、独りよがりのものかもしれん。
だから叫びたい。

自然、と聞いて、木が鬱蒼と茂る「森林」をイメージする人は、多いと思う。
恵み豊かな自然。
そのイメージは間違っている。
あそこは、純粋な戦いの場だ。
日光、地味、林の中には恵みよりも、資源の奪い合いが行われている。
破れたものは死に、そしてその死体は他の生き物の争いの種になる。
林は、癒さない。少なくとも、そこに緩やかなまどろみは、ない。

争う、というのは他の生き物よりも優位であろうと、命を燃やすことだ。
だからこそ、森林浴は、活力をくれるのかもしれない。
激しい戦いを繰り広げる彼らの生命力が、
僕らを活気づけてくれるから。

森は命の戦場だ。
目に見えるはっきりとしたパワーバランスがある。
命には優しさはない。
はっきりした戦いがあるだけだ。
破れたものは滅びる。
それを不自然と考えるのは人間だけだ。
人間たちに滅ぼされる動物は、人との争いに負けたのだ。
森で行われている攻防と、スケールが違うだけ、
という見方だって出来るだろう。


街を散歩して、思った。
僕の散歩する地域は、住宅街だ。
あまり高所得者層のではない、ごみごみした、無秩序の街。
みんながみんな、決められたところで精一杯効率的に
自分のテリトリーを主張している。

「森」だ。
相手との都合、自分の主張が戦い、
妥協の姿、そして時間を積み重ねた「自然」の姿がそこにあった。
ある意味、これは紛れもなく「森」の姿なんだと、そのとき思った。

もちろん、細かく見れば、それは不愉快に満ちている。
ゴミ、声、壁の張り紙、広告、
だけど森だってそうだろう。
ツタに絡まれて枯れてしまった木、死肉にたかる虫、
個人は不愉快も抱えていても、全体を見ると、美しい。
そして、壮大だ。

時間を積み重ねて、今の姿になったんだねぇ。
街を見て、しみじみ思った。
そして、何となく、癒された。

自然の姿は誰にでも共感を得られる美しい姿かもしれない、
だけど街にも同じ理屈で作られた「自然」があり、
ある意味すごくよく似た風景がある。
そして、何となく、美しい。
僕たち人間が作り出した風景も、結構捨てたものじゃないよ。