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命ある機械
と、いうことで、
夏夜さんからテーマをいただいていたのに、結局作品にできずに、
雑文で逃げよう、という、この心。
いただいたテーマは「機械の心」です。
「K」を読んでいただいたときに、感想として、
「ロボットを完全なモノとして書いている、
ロボットに生まれる心が書かれいないのは、私の好みとして残念だった」
と言う言葉をいただいた。
そのつもりで、書いた。人形を生あるもののように扱ったり、
犬に「おしゃれ」させてみたり、物に対して擬似的な自己を投射して、
まるで二人で会話をしているように、永遠に一人で会話を繰り返す、
そんな人を描きたかったからだ。
だからこそ、ロボットに自己はいらなかった。
「ショートサーキット」という子供だましの映画があって、
ロボットに雷が落ちて自己が目覚める話で、これがもーホントに大嫌いで。
なぜならば、昔の僕もそういう夢を見たからだ。
結構みんな経験あるんじゃないかな。
段ボールを集めて、絵を描いて、ロボットに組み上げる。
そのロボットが、決して自分で動き出さない、そのもの悲しさ。
あの、「動かない理不尽」は、物凄く強いものがあったなあと。
で、ココロの話。
ココロというのは、それを生み出す自我というのは、何なんだろうと、
今でもやっぱり、少しオカルティックな部分が、抜けない。
「魂」という考え方だ。
この部分はこのままあやふやにしたまま、次へ。
人間の脳をハードウェア上で再現したら、それは自我を持つのだろうか、
という部分で、友人から、「学習すればありかもしれない」という意見をもらった。
これはもう、赤子に自我があるのか、という問題で、
ここはちょっと興味深く思ってる。
自我、というものは、形成されるものだ。
生まれて、身体があって、欲求がある。
その欲求をかなえるための基礎的なプログラムは、持っている。
泣く、眠る、吸う、消化する。
外界への対応で、これが変化する、また、
基礎プログラムに既に多くの情報が書き込まれている。
すぐ泣くとか、笑うとか、いろいろ。
このプログラムは親や環境によって瞬時に書き換えられていく。
親と自分、それを認識したときに、人は、人となる。
そういう意味では、自我は後天的に完成されるプログラムだといえる。
では、「心」は?
赤ちゃんにも、色々な傾向がある。それは、
親の特性を受け継ぐと感じさせるものだ。
意地っ張りだったり、甘えん坊だったり、基礎プログラムのアウトプットに、
既にその人なりのアレンジが加えられている。
感情は、如実に表れる「心の形」だ。
何で人それぞれ違うかは、簡単に証明できる。
それはもう、各人の脳の構造が違うから。
脳は電気のパルスで答えを出す。
曲がったり、電荷が高かったり、そもそもそんな回路がなかったり、
だから、人の考えは、究極的には分からない。
その人と全く同じ思考はできない。
まあ、つきあい長くなれば、暫定的ではあっても、
その人用のシミュレーションプログラムが作れるから、
ある程度予想できたり、お互いにそのプログラムを持ってくれるというのは、
とても心地よい体験ではあるけれども。
とても複雑なプログラムと、長い、ホントに長い期間、
精密できちんとしたハードウェアと、その膨大なフィードバックによって、
人間の心ってのは、できている、と思う。
さて、「機械の心」。ひととまったく違う環境、
それは、肉や血、肉体、すべてが異なり、
言葉も違う環境、これで魂が生まれるか、自我が生まれるか、
ここは、難しい。
自我の根底には、「他人を押しのけてでも主張しようとする力」
があると思う。それは心や頭が生むのではなく、命の本質じゃないだろうか。
僕らは、卵子に向かう、命のベクトルとも言える精子、
命の勝負の上から生まれた、勝利者によってこの世に生を受けた。
それは、特性をもった生命を引き継ぎたいという、強烈な意志によるものだ。
機械、という人が作りしもの、
生活の安定と向上を求めるソフトウエアと、
それを補うだけのハード、
さらに、それを育てはぐくむ時間と環境。
これには、膨大な時間と資金がかかる。
今、職業的娯楽というか、実利以外の処に資金を払う企業はまだまだ、
多分永遠に少ない。
そして人が作る以上、「役に立たなければ」ならない。
人の役に立つというあやふやで、強烈な鎖のある環境で、
心を持つ機械を育むことができるか。
そんな不自然な環境で生まれる物が、果たして、生命なのか。
期待はしてるんですよ。
汎用的なネットプログラムに脳細胞のような働きをする一片混ぜてね、
ネットを通じて膨大なバックボーンを得て、
マッドサイエンティストが教育するとか。
肉体が全くない状況で、その心は恐ろしく異質な物になるとか。
現実的に考えたら、光通信が100パーセントになっても難しいんだけどねえ。
世の中が、まだ機械が心を持つことを欲していない。
しかし、人の心を研究する上でも、
その、あまりに異質なホムンクルスの創造って、必要だと思うんだよね。