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「俺と100」〜 大西史之進
いらいじゃさんより、私の管理しているホームページへ
リンクを張っていただけるとのご報告を受け、
喜び勇んでこのページへと足を運んだところ、
何と記念すべき100アクセスを頂戴してしまった次第で、
ここにお祝いの文章を書かせていただくことに相成りました。
テーマは「俺と100」。くそ真面目な昔の思い出なので
あまり面白くはありませんが、語らせていただきます。
小学校での夏の授業の一環として、皆様の学校でも
水泳の時間があったことと思います。学校内のプール、
もしくは市営プールなど、場所は様々だったと思いますが、
いずれにせよ、熱い日差しの照り付ける中、冷たい水を弾き合って
遊んだり、好きな女の子の水着姿にドキドキしたりしながら、
クラスの仲間と楽しい一時を過ごしたに違いありません。
しかし、ただでさえ運動の苦手な私には致命的とも言える
法律が、私の通っていた小学校では存在していました。
卒業までに千メートルを完泳しなければならなかったのです。
千メートル=1Km。普通のマラソンでも満足に走れず、
立ち止まっては一口ゲロの繰り返しでやっと完走したという(笑)、
私にとっては絶望的な距離でした。確か、3年生までは
適当に遊んで過ごせば良かったのですが、4年生以降は
その大きな目標に向けての練習が中心となっていたと思います。
先にも述べた通り、体育の時間が一番嫌いだった私ですので、
水泳も満足に泳げませんでした。4年生からまともに教育されたにも
かかわらず、5年になっても依然として水の恐怖に慣れる
特訓を受けていたぐらいでした。学校のプールは25メートルの
長さですが、中心部は小学生なら完全に沈むような深さだったことも、
水への恐怖以上に余計に私の神経を圧迫していたと思います。
かくして、5年生終了の時点で25メートル達成が限界でした。
6年生の夏。再び恐怖の講習が始まりました。
義務教育内でそのようなことはありえませんが、
千メートルを完泳しなければ卒業できないと思い込んでいた私は、
まさに背水の陣の心境でした。とは言え、相変わらず潜り込んで
石を拾い続けて、水恐怖症の克服を目指す私。そんな状況を見て、
このままでは残り僅かの期間内に完泳は無理と判断した担任の先生が、
ほぼ個人指導状態で徹底的に教え込んでくれたのです。
息継ぎが苦手な私にはクロールは向かないと、この時期になって
平泳ぎを教えられ、半信半疑ながらも我武者羅に水を蹴り続けました。
自分でも少しずつ水への恐怖がなくなっていったような気がしてきました。
そして運命の測定の日。
結局、100メートルの壁を1回も越えられずに臨むことになりました。
プール内に柵で作られた円の周りを延々と回り続ける為、
端から端へと往復するのとは違い、1回も立つことは許されません。
ただ、この数日の間で自分の中で何かが変わった気がするのは
間違いなかったので、今の自分の勢いに任せてみることにして、
第一歩を踏み蹴りました。しばらくは順調に進みましたが、
やはり壁が近づくにつれペースが落ち始めてきました。
水が口の中に入ってどんどん苦しくなり、手や足の動きも
次第に鈍くなっていきます。もう無理だと感じ、
半ば立ち加減でふと顔を上げようとしたその時、応援している
担任の先生の顔が目に入りました。その瞬間、一生懸命に
指導してくれたこの何日かの光景が一瞬にして頭を過ぎり、
今、諦めるわけにはいかないと自分を奮い立たせたのです。
尚も信じ込んでいた「卒業する為」という義務感ではなく、
「自分の為」に再びスタートしました。無意識の内に
100メートルの壁を越えると、後は非常にすんなりと
泳ぐことができ、制限時間を超えながらも見事に千メートルを
完泳することができました。気が付くと、先生と抱き合って
喜んでいました。冷えきった体に伝わってきた先生の温もりが
今でも印象的です。
100メートルの壁を通じて、自分に勝つことができた、
そんなエピソードだったと思います。途中までは、
おいおい、1000Hit用の作文じゃないのか、と
ハラハラさせてしまったかもしれませんね(笑)。すみません。
ちなみに、その後の潜水測定は失敗してしまったので、
厳密には目標をクリアできていないのですが、
無事、卒業したのでご安心を。(オチつけてどうする)
大西さん、ありがとうございました!