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AZEL


パンツァードラグーンRPG、「AZEL(アゼル)」
かなり好きなゲームだけど、
例によってあんまりメジャーなゲームじゃない。

サターンの名作シューティング「パンツアードラグーン」シリーズ。
第3作は、なんとまーRPGだった。

生物機械を作る技術が発達、この世の栄華を誇っていた時代から数千年、
人類は黄昏の時代を迎えていた。
過酷な自然環境、そして野生化した生物兵器達に、
人はあがらうすべを持たず、人の数は激減、文明レベルは遙かに後退していった。
そんな時代でも、覇権を握ろうと、争う人間達はいる。
彼らは旧時代の遺跡に分け入り、強力な生態兵器を覚醒、制御し、武器として使った。
その原理もよく分からずに…。
無知な人間の手により復活し、暴走する旧世代の悪夢。
それを防ぐため出現する聖なる生物兵器“ドラゴン”。

というのが、まあ、シリーズの骨子。
1作目は、サターンの初期に、そして2作目は円熟を迎えようとするちよっと前に
シューティングとして発売され、ファンから絶大な支持を集めた。
当時の最新の技術と、ちょっときつめの難易度でつくられた、
まさに「セガ大好きっ子」のためのゲームだった。

そして3作目、AZEL。
これは、ファンの評価が分かれた作品だった。
セガ・シューティング・そこからのRPG。
この流れはまさに、ファンが減っていく、3段スライド方式だ。
おかげでこの物語語る人の、少ないこと少ないこと。

で、俺はこの作品が大好きなんである。
まあ、欠点は、分かる。やっぱりゲームとして短いし、世界も狭い、
何よりストーリーがやっぱり、足りないかもしれない。
シューティングの企画は、ふくらませようと思っても、それはねぇ。
あとやっぱり、「あまりにも“ナウシカ”すぎた」。という点が…。

まあ、3作目は
世界の根幹を支配する、強大な過去に作られたシステム。
生物兵器を管理して、人類を増やそうとしないシステム、
それを破ろうとする、少数の人間。
というのが、物語。
このゲームのキーパーソンとして、登場する美少女ヒロイン・アゼル。
硬派を自認するシューターはそれだけで拒否反応を起こした。
んで、こだわりの制作者は、硬派な世界観を全面に押しだし、
ちっとも萌えゲーとはならない。
何処にファンがいるのかな、という感じ。

でも、俺にはストライクだった。
何よりもすばらしいのが“世界観”だ。
コンピューターRPGだから、当然のごとくあらゆるものが、元ネタを感じさせる。
しかし、しかしである、それら全てに、「パンッアードラグーン」という
“スパイス”が振りかけてあるのだ。
これに僕は、しびれた。
それはもう人のセリフから、酒の壺、ランプ、生物、遺跡、
あらゆるものがこの世界観に染められている。
厳しい環境の中、ほろびゆく、しかし、生きている人の生活。
想像を絶するほどゆがめられ、それだからこそ人の手が触れないために
在る意味“清純”で、危険な自然。
きちんと、“異国”の匂いがする、
現在とは違う神の手によって作られた世界を確かに感じさせるゲームなのだ。

この世界を満喫できるシステムもいい感じ。
シューティングと違い、“歩ける”というのは、楽しい。
制作者のこだわりは、シューティングの時と、それほど変わらないかもしれない、
だけど、それを立ち止まって見ることができるから、いいのだ。
パレードを見ているような楽しさはないけど、
とてもよくできたテーマパークを見ているような、驚きがある。

また、ストーリーにしかけられた、ちょっとしたアイデア。
それが、「絶対の客人」というキーワードだ。
世界に変革をもたらす、者の名。
ゲームをプレイしていると、誰もが主人公・エッジが、もしくは彼の乗るドラゴンが
伝説の勇者のように「絶対の客人」であると、勘違いする。
しかし、ちがうんだ。
ゲームをプレイしている、プレイヤーこそが、
エッジに“ドラゴン”にのることができるという奇跡を与え、
物語を進めてきた存在だというのが、分かる。
その演出が、気持ちいい。

オープニング、登場人物は全て「パンツァー語」をしゃべっている。
プレイヤーには、字幕がないと、彼らが何をしゃべっているか、理解できない。
生死の境をさまようエッジの体に入り、彼を蘇生させる“光”。
そして始まるゲームの本編。
オープニングと違い人々は「日本語」を話し出す。
ゲームとしては当然な流れだと思う、たぶん誰もが。
ところが、である。
エッジと、彼を操っていた光が別な存在であるということが分かり、
エッジに不思議な力を与え、彼を導いていた存在、つまりプレイヤーこそが
「絶対の客人」である事実を知った時、
そのちょっとしたアイデアに、しびれるのだ。

エッジから離れたプレイヤーの前に展開するエピローグ、
彼らの言葉は、再びプレイヤーには理解できなくなっている。
そして気がつく、エッジの耳を通してたからこそ、
エッジの中で光として彼と一体化していたからこそ
彼らの言葉が日本語として、理解できる言語として、聞こえていたことを。
そして
世界は、旧世界の支配から、それから解放する意志からも離れ、
新しい時代を歩んでいく、ということを、改めて感じさせるんだ。

じんとして、コントローラーを置く。
こういう感触が、ゲームと出会った感動を与えてくれるんだよね。