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どうすればいいんだ


「どうすればいいんだ、どうすればいいんだ」
 心で考えるよりも、私の口が言葉を繰り返す。頭で考えられない。言葉で心の焦りを減らそうと、私はつぶやき続ける。
 視界が不意にかげる。バラバラというローターの音。私の頭上を飛ぶヘリの上から、脳天気な声が降ってくる。
「さあ、いよいよ決断の時です。挑戦者の外国人旅行者、M・ナガタさん緊張の表情。勝てば栄光! 負ければ死! 挑戦者を試す“天国と地獄の門”。挑戦者の前には2つの扉、1つは栄光と勝利の富! もう1つは地雷原への扉。ナガタさんは果たして勝利をつかめるのでしょうか!?」
 大げさな、煽りまくった言葉。私は瞬間的に怒りに震えるが、次の瞬間空しい笑いの感情が起こる。私の周りを何台ものテレビカメラが、様々な角度で写している。この国の国民達はニヤニヤと笑いながら私を見ているのだろう。そんな彼らにより一層の喜びを与えるのはまっぴらだ。
 ここは国営の運動場だ。この競技場そのものにはほとんど人はいない。多くの国民はテレビを通じて私を見ている。私の前には2つの扉、私はそこをくぐらなくてはいけない。 扉のはるか向こうにはこの国の独裁者が卑しい笑みを浮かべて私を見ている。その傍らには、海外では誰も見向きもしない自称高級国産オープンカー、美女というには、痩せすぎの女がそのシートで笑みを浮かべ、私に手を振っている。この貧しい国の精一杯の「富」のイメージだ。2つの扉の内1つは地雷原で、そこに行けば即死だ。もう1つは自由が待っている……という設定だ。
 そうでないことは、この会場の人間全て、全国民が知っている。このショーはこの国の、外国人や不穏分子へのリンチだ。外国中からそっぽを向かれ、独裁者の圧政下にあるこの国では、テレビ番組を装ってこの残酷なショーが頻繁に開催されている。娯楽の少ないこの国で、視聴率90パーセントを誇る。この番組が放映されるときは、緊急放送が流れ、全国民がテレビの前にいることを強要される。
 挑戦者、という建前だが、政治犯や強引な疑いをかけられた外国人がこの2つの扉の前に立つ。1つは自由を約束されている。自由といっても強引な国外追放だ。決死の思いで生への扉を選び、生き残った者もいるという。もちろん、それ以上に爆散した者も多い。一番多いのは、カメラの前で無様に許しを請い、生にしがみつく者達だ。国民も、独裁者も、実はそれを一番期待している。外交で圧力をかけ、自分たちの100倍もいい生活をしている外国人が慈悲を乞い、はいつくばるその姿を見たいのだ。それはまた強烈なプロパガンダになる。

 ……実は私の「任務」がその許しを乞うことだと知ったら、こいつらはどう思うだろう。私はスパイの容疑をかけられこの場に立たされた。そしてここで許しを乞い、嘘の情報を流すことが私を送り込んだ我が国の計画なのだ。
 しかし……どうせ国に帰っても、元スパイの生活などたかがしれている。なによりも私は、実は正解の扉を知っている。独裁者の椅子の横に立つ、ふくよかな娘、独裁者の一人娘を私は言葉巧みに近寄り、そして彼女からの愛を得た。私はもしもの保険として、このイベントの「正解」を愛の言葉と交換に引き出してあるのだ。スパイとして訓練された私に、お姫様のような無垢な娘をたぶらかすのはたやすかった。彼女は正解を教える交換として、彼女の元に一生いることを要求してきた。
 予想外だったのは、経験豊富なスパイである私が、独裁者の娘に本気で心を動かされてしまったことだったのだ。自分自身でも説明がつかない、しかし、彼女の無垢な心は本物で、私はそこに心の底からしびれてしまったのだ。全てを白状し、知っていることを洗いざらいしゃべり、何とか彼女の元にいたい。今の私は、それしか考えられない。まさかこんな事になるとは……。
 しかし、最大の問題は……私は自分に問いかける。
 私が実は同性の女だと知っても、彼女は変わらず私を愛してくれるのかしら。