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ありがとう2万ヒット


この雑文を読んでくれた、全ての人にお礼を言おう。
あなた達のおかげで、僕は、“癒されている”ということを。
2年半で、この、ホントなんだか分からないページを、
長い間支えてくれている人がいる。というのは、
僕が、幸せだ、という証明に他ならないと、思う。

  僕のようなある意味イッちゃっている濃い人間に、
ずっと友人がいるっていうのは、ホント、しみじみ、うれしい。

  ・・・あら? 今見たら1万突破している雑文ないや。ま、いいか、
むかし、“雑文がつまらなくて申し訳ない”と、書いていたことがあったが、
あれは、「自分が見えてなかった」ね。
イヤー人を爆笑させる話は、書けないわ、俺。
大量の文を読ませて、人の共感に訴えかけるという、
物書きだと言うことに、今更ながら気がついたよ。

公私ともに書いててね、説明文しか書けないしな。

あ、さて。
2万って言うと、いきなり思い出すのは、非常にネガティブな思い出。
もう10年も前、駅で落とした、財布の中身だ。
今でも、あのころの2万があったらなぁ、と思うことがある。
もちろん、落としてなかったら、あっという間に消えてしまったお金なのに、
ある意味、上京してきたときに母親がくれたお守りの中の1万円のように、
使えない金、がある。
いや、ないんですけどね、実際は。
ないからこそ、減らない。
でもなんか、そういう思い出というか、
まあ、“初恋の人”みたいなモノなんだろーね。
あのころのあの人は、時間を経ることなく、清いままーみたいな。
・・・・たとえがかなりアレだ。
あのころああしてたら、こうだった、ああだった、
という想い出はは、人間、誰でも持ってるよね。
結局そんな、「人から見たら全然共感できない自分だけの楽しい妄想」
みたいなものを抱えていく。
僕も昔はそうだった。
10年前は、泣くほど、ほんと泣くほど昔に返りたかった。
目が覚めたら子供の頃に戻ってて、でも記憶はあって、
失敗しない人生を生きることが出来る、みたいなね。

でもなー
今なんか、自分の人生をちょっと肯定してるよ。
いやもちろんちょっと引いてみるとスゲー問題がある人生だけどな、
ある意味、アリかなと。
自分を認めたのかなぁ、あきらめたのか、よく分からない。

夢はあるし、やりたいことあるし、他の人見返したいし、
復讐したいしな、ネガティブひっくるめて、欲望は絶えないけど、
いいんじゃないかな。

自殺が出来ないなぁ、とかしみじみ思ったこともあったし。
あん時はショックだったよなぁ、
「自殺する勇気もない」って自覚するのって、すげーブルーになるねぇ。
ある意味あのとき自分の人生にクッションが出来た、みたいな。
生きるしか出来ないのねぇ、っていう感慨は、ある意味傍観を人にもたらすね。

もちろんこんな駄目な、でも肯定できる人生を進めたのは、
新旧含めてのたくさんの(けっこー僕にはいてくれるのよね)友人たちのおかげだし、
甘い両親のおかげだよ。

カウンター2万程度で語り始めちゃう、浮かれやすい安い人間だが、
喜びが、あるよ。
ホントありがとうございました、これからもよろしく。