京都という名はいかにも古典的・情緒的で純日本風の響きを思わせるような名で、実にいい名だと感じていました。一昨年前の紅葉シーズンに京都を歩き回って撮った素人写真ながら、京都の紅葉の素晴らしさを多くの人に知ってもらおうと思い立って、このホームページを作り出したのですが、ある時ふと、「京」も「都」も同じ「みやこ」を指す言葉だなと思い、なんだか名前としては不思議な感じがしていました。このホームページを作成するためにいろいろ「京都」という名のことについて調べていると、「京都」の名の起こりについて次のような記述がありましたので紹介します。
『京都 : がんらいは首都の意で、京・京師などと同じ一般名詞。平安京がそれまでの宮都とちがい、永い生命力をもったことから固有名詞(地名)となったもの。九世紀末(794)葛野盆地に出現した平安京は、その後、低湿地の多い右京が早くすたれて左京が主となり、さらに院政期になると鴨東白河の地が開けて「京・白河」という呼称も用いられるようになったが、この時期に「京都」の称が地名として用いられるようになった。〜(以下略)〜』
−「京都事典」(東京堂出版)より引用−
一方、梅棹忠夫氏がその著「梅棹忠夫の京都案内」(角川文庫)に『京都という名』というタイトルで実に興味深いことを書かれていましたので、以下に抜粋して紹介します。
『この都を、いつごろ、どういうきっかけから、京都とよぶようになったのだろうか。なにかの本をしらべてみればすぐわかることだろうが、気になりながらも怠慢で、まだしらない。
〜(中略)〜
かんがえてみると、京都という名まえは、おかしな名まえだ。「京」も「都」も、「みやこ」ということだし、首府ということである。首府でもないのに、そんな名を平気でつかっている。中国のひとは、京都と東京とをよく混同するそうだ。京都とは、字からみてあきらかに首府のことだし、日本の首府は東京なのだから、京都とは東京のことだ、とおもうのである。むりもないことだ。首府と名のつく都会が、ほんとの首府のほかにもうひとつあろうとは、まさかおもうまい。
〜(中略)〜』
なるほどと思いつつ、「京都」という名には「都の中の都(capital of capitals)」という意味合いもあるのかな、と思ってみたりもしたのですが...。