改革派教会って???
●改革派教会のはじまり●
この「改革派教会」という呼び名は、「神のことばによって改革された教会」という意味のことばです。マルティン・ルターが行なった宗教改革には、中心点についてはともかくも、いくつかの面で十分に改革しつくせなかった面があリました。それに比して、カルヴァンたちが指導した改革派と呼ばれる教会は、聖書によって教会を改革しようとする努力をおしみませんでした。 このようにしてプロテスタント(新教)が誕生しました。その二大源流として【ルーテル派】と【改革派】という二つの教派が生まれたのです。このようなわけで、歴史的に見ると、改革派教会は、プロテスタント・キリスト教のなかでもっとも古い伝統をもっています。また、英国や米国で、あるいは日本で、長老派教会と呼ばれているのは、だいたい同じ流れをくむ教会です。 「改革」ということばは、革命とか革新とかということばと混同されがちです。しかし、決して同じような意味のことばではあリません。改革とは、教会の姿を原型にもどすことです。ですから、16世紀の宗教改革で生まれた教会のことを「新教」と呼び、ローマ・カトリックすなわち旧教と区別しています。しかし、いわゆる新しいタイプの教会を意味するのではなく、あくまでも原型にもどされた教会です。 それでは、その原型とは何でしょうか。それは、特に紀元1世紀に、キリストの弟子(使徒)たちによって建てられようとした教会です。それは新約聖書に示されている教会で、これこそ、わたしたちが常に立ち返らなければならない原型です。 この姿勢をいつももち続けている教会が改革派教会なのです。こういうわけで、改革派教会は、聖書を神のことば、また、信仰と生活の唯一の規準としてかたく信じています。
そして、やがて軍国主義と神道的国家観のもとで、信教の自由が政治の力で侵される時代が到来しました。昭和16年に、政治的な圧力で、日本基督教会を含むプロテスタント諸教派が、日本基督教団として統合されました。この統合は、形の上では、教派分裂を解消するかのように思われました。しかしその内実は、聖書が示す原型としての教会とそこで信じられた信仰に立ち返ろうとする改革派教会の基本的姿勢に反するものでした。 1945年8月、日本の敗戦と共に再び信教の自由が日本の教会に与えられました。そして、1946年4月28日、日本基督教団から脱会して、純粋な改革派信仰に基づいた教会を建てようと切望する人々によって、「日本基督改革派教会」が創立されたのです。 日本キリスト改革派教会は、17世紀に英国で作成されたウェストミンスター信条(信仰告白・大教理問答・小教理問答)を信仰規準として採用しています。この信条は、聖書の教えを体系的にもっともよく示したすぐれた信仰告白です。その後、ジュネーブ教会信仰問答とハイデルべルク信仰問答を教会の信仰問答書として採用しました。また、政治規準・礼拝指針・訓練規程を完備し、順調な成長をとげてきました。 |
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