2004年 7月 2日(金)
6月29日に撮影した埼玉県朝霞市仲町の東朝霞団地の給水塔の写真4枚をアップする。4月から週に一回立川に行くようになり、毎週東上線の車窓から見ていた物件である。武蔵野線に乗り換えると車窓からまたいくつか魅力的な物件が見られるが、いずれも駅から離れているので、なかなか撮影に行けないでいる。

2004年 7月 4日(日)
高円寺の稲生座というライヴハウスに野澤享司さんのうたを聞きに行った。野澤さんは、宇都宮の水道山の給水塔は今は近代的なものになってしまったけれど昔の給水塔は大谷石で出来ていて、なんていう話をしてくれた。

2004年 7月 9日(金)
東十条の歯科医院に行った帰りに、JR東日本の下十条電車区の給水塔に遭遇し、うれしくなった。次回通院時にはカメラを持って行こうと思う。

2004年 7月13日(火)
関東地方梅雨明け。梅雨明け前からずっと暑かった、というか本当に梅雨入りしていたのかどうか疑われるところである。天気図に梅雨前線があったという記憶がない。

2004年 7月14日(水)
暑し。王子行きの都バスに乗って東十条の歯科医院に行く。暑いのでカメラは持参せず。こういう態度ではいけないと思う。

2004年 7月15日(木)
午後、トップページの写真を1976年の大谷口水道タンクのものにとりかえる。モノクロのフィルムで撮影して自分で現像していたころのものである。
18時を過ぎて大谷口におもむく。水道タンクの南側の駐車場は6月いっぱいで閉鎖されていて、入ることができない。雨がぽつりぽつりと降ってきて、すこぶる蒸し暑い。19時より、板橋区の大谷口出張所にて開催された“大谷口給水所(仮称)整備工事説明会”に出席する。東京都水道局から、このような説明があった。
 
新たに大谷口に給水所を設けるにあたって、大谷口の水道タンクとその南側の2棟の職員住宅を解体撤去し、かつ水道タンク北側の公園を閉鎖して、すべて更地にする。
跡地に、水深15.4mの配水池を2つとポンプ棟を設ける。
ポンプ棟は、現在の水道タンクが地域のランドマークであったことを考慮し、水道タンクの意匠を継承するものとする。
工期は平成16年度より平成21年度(2004年ごろ〜2009年ごろ)とする。
 
といったような内容で、“建設業界ニュース東京版”や“水道業界新聞社”のweb版ですでに伝えられている内容とほぼ重なるものであった。
現在の大谷口水道タンクに対する都側の評価としては、わずかに“地域のランドマーク”としての機能について述べるにとどまり、土木遺産としての文化財的価値には言及しなかった。ランドマークであれば、代替物に建て替えることが可能であるということなのであろう。
また、現在の大谷口水道タンクは、基礎部の杭の長さが5〜7mほどしかなく、岩盤にまで達していないため、平成7年(1995年)の兵庫県南部地震クラスの地震に襲われた場合倒壊するおそれがあるという説明があった。ということは、設計を同じくしているであろうと考えられる野方の水道タンクも同様に耐震性に問題があるということになりそうだが、あちらのほうは震災時に給水するために水がたっぷり入っているわけであるから、いざという時に倒壊するなんてことは中野区は想定していないのであろう。
なお、地域住民に対してまったく情報が流れてこない、という指摘が住民側からあり、それに対して都側は、町会長に早い段階で伝えるようにしている、と答えていた。町会長に伝達すればそれで東京都としての説明責任は十分果たされているといったような口ぶりであった。

2004年 7月19日(月)
海の日とやらで休み。暑い。6月25日に撮影した大谷口水道タンクの写真を2枚アップする。また、6月5日に撮影した大谷口水道タンクの写真を2枚追加する。

2004年 7月20日(火)
暑い。練馬アメダスの最高気温は、39.3℃であった。外に出られない。1月18日に撮影した大谷口水道タンクの写真を3枚追加する。もっともその中の1枚は、以前サイトに出していてその後にひっこめた写真を、改めてスキャンしたものである。あと、昨年の12月15日に撮影した大谷口水道タンクのデジカメ写真をリニューアルする。

2004年 7月21日(水)
昨日ほどではないが、暑い。練馬アメダスの最高気温は37.3℃であった。

2004年 7月23日(金)
午前中に東十条の歯科医院に行く。暑くなりそうだが、気合を入れてカメラ持参でおもむく。富士見町のバス停でバスを待っていると、関東バス、元KKKの国際興業バス、それに都バスの順で3台くっついてやってきた。前の2台はパスして、都バスに乗り込む。都バスのほうが10円安いのじゃけん。ケケケケケっとケチなのであった。10分ほどで東十条4丁目のバス停についてしまう。歯科医院で懇切丁寧な治療を受けた後、院長先生と少し雑談する。院長先生は明日は横浜のサッカー場にザ・フーを聞きに行かれるとのこと。暑いだろうなあ。熱聴症に罹患されなければよいがと案ぜられる。歯科医院を辞して、まず懸案のJR東日本の下十条電車区の給水塔を日向で熱写する。給水塔と道路を隔てて対峙する宿泊施設(休憩施設か?)の名前が“HOTEL エンドレス”という。よくよく考えなくてもおそろしい名前だ。給水塔附近には“酒舗ミカド”、“居酒屋ふる里”などという名の飲食店もあり、さらには香港式エステなんていう看板もあって、一大歓楽街の観を呈している。大のオトナが午前中にくるところではなさそうだ。東十条駅の上をまたいで西に向かい、埼京線の踏切を越えて、次の撮影スポットである東京都水道局の十条仲原貯水槽に至る。この物件は環七沿いに鎮坐していて、王子第三小学校というバス停からすぐのところにあるのだ。裏の駐車場の日向から熱写する。体温が上がってきているようなので水をがぶがぶ飲む。埼京線のほうに戻って、商店街のアーケードにもぐりこみ、一息つく。アーケードを抜けると十条駅前である。このあたりには土地カンがある。昨年の夏に聴覚がおかしくなって板橋区加賀の帝大病院に通っていたころ毎週のようにきていたのであった。埼京線の線路に沿って板橋駅のほうに向かい、正午近くの日差しをもろに浴びながら十条台の給水塔を熱写する。すぐ隣は附属の中学校高校もある女子大なので、大のオトナがカメラを持ってうろうろするようなところではない。ちょこちょこっと写しただけで撮影を切り上げ、カメラをしまって十条駅に戻り、埼京線で池袋に移動し、東上線に乗り換えて帰宅した。板橋駅前の円筒形物件はまたのご縁とお預かり、フィルム一巻の途中なれど、これにて失礼つかまつる次第であった。なお、練馬アメダスの最高気温は午後1時に34.4℃を記録したとなむ。

2004年 7月28日(水)
合羽橋のなってるハウスというライヴハウスに渡辺勝さんのうたを聞きに行った。終演後、渡辺勝さんから、アーリー・タイムス・ストリングス・バンドの竹田裕美子さんの家の最寄りのバス停が国際興業バスの水道タンク前(野方配水塔の前には同名の関東バスのバス停があるので表記がややこしいことになる)、つまりは大谷口の水道タンク前で、なんていう話をうかがってクラクラした。そんなわけで大谷口の水道タンクは渡辺勝さんもよ〜くごぞんじの怪物件だったのであった。いやはや。

2004年 7月30日(金)
午前中に東十条の歯科医院に行く。今回もまた懇切丁寧な治療を受けた。うれしい。その後京浜東北線と埼京線を乗り継いで、北赤羽で降りる。浮間3丁目タワーズを日向で熱写する。埼京線の車窓から同じような形状の給水塔が2本見えていて、同じ画面に収められたらいいなあと思っていたのだが、遠くからでないとむずかしいようだ。そんなわけで別別に熱写した。池袋経由で帰宅す。


2004年8月の業務日報

             

業務日報 index  物件センター トップページにもどる