2004年 3月 1日(月)
このところ1979年に大阪で撮影した写真をスキャンしている。フィルムが褪色していても画像編集ソフトで修整できるので、いじっているうちにうそくさい色になったりする。

2004年 3月 3日(水)
先日アップした住吉配水場のページにおまけ画像をつける。配水場を撮影したのと同じ日に撮影した上町線の電車の写真である。何年か前に上町線の電車に乗ったら、昭和參年製造というプレートがついていてクラクラしたが、その骨董的電車も写真の電車と同じような感じだった。写真は帝塚山のあたりだと思う。

2004年 3月 8日(月)
昨年12月23日に撮影した大谷口水道タンクの写真のページをリニューアルしようと思い、フィルムのスキャンと画像の修整に入る。

2004年 3月 9日(火)
昨日の作業の続きをおこなう。写真が10枚になってしまったので、2ページに分割することにした。

2004年 3月10日(水)
暖かくなってきたので、以前から気になっていた松戸の栗山浄水場内の配水塔の写真の撮影におもむく。92年に仕事で松戸に行くようになってから、常磐線の電車が江戸川を渡るたびに見ていた物件である。今回は日暮里から京成電車に乗り、高砂で北総ナントカという三セクくさい鉄道に乗り換えて、矢切という駅で下車した。あの矢切の渡しの矢切だ。しかしこの北総ナントカは、2駅間乗っただけで、しかも時間も5分ほどしかかからない短距離でありながら、運賃を300円も取る。それはまあいいとして、栗山浄水場は矢切駅から徒歩3分ほどのところにある。配水塔は駅を出るとすぐに視界に入る。交通至便の物件である。配水塔の形状は、大谷口野方タイプに近い二重ドーム型だが、大谷口野方物件の上部に特徴的にみられる、縦長カマボコ形の窓がない。しかしああいう窓がどうしても必要だというものではないのであって、こちらの配水塔だってなかなかのものである。浄水場の周囲をひとまわりしてバシャバシャ撮影した。帰りは矢切駅の前から松戸駅前行きの京成バスに乗り、松戸駅からはJRを利用した。交通費は帰路のほうが安かった。北総ナントカにはもう乗ってやらないとひそかに心に決めた。

2004年 3月11日(木)
昨年12月23日に撮影した大谷口水道タンクの写真のページのリニューアルがようやくできて、アップした。重いのだ。

2004年 3月12日(金)
松戸の栗山浄水場内の配水塔のページの予告篇を作ってアップした。カーブミラーに配水塔と門衛の人を入れてうつした写真である。カメラを構えた人物もうつっているが、あれは矢切のワタシだ(寒)。

2004年 3月15日(月)
松戸の栗山浄水場内の配水塔のページの本篇を作成してアップした。全7枚である。ほかにもまだ使えそうなものがあるが、ページが重くなるので、とりあえずこれだけにする。

2004年 3月16日(火)
トップページの写真を一時的に松戸の配水塔のものにさしかえる。あきたらまたとりかえるつもりである。このあたりのところには、一貫性が感じられない。

2004年 3月17日(水)
朝の新幹線で京都に行き、夕方まで勉強会みたいなことをやって、まっすぐ帰るのもくたぶれるので京阪電車で大阪に入る。アベノのホテルに荷物を置いて、新世界までてくてく歩き、コン吉さんのまねをして通天閣を劇写する。づぼらやのふぐと通天閣のツーショットなんてのを撮影するが、コンパクトカメラであるからシャッタースピードがどれくらいかわからず、手ブレのおそれが大いにある。撮影はいいかげんに切り上げて、店内にレゲエの流れる串やという串カツ屋でビールがぶがぶやった。酔っぱらって飛田本通りを南へ下り、飛田廓をぐるりとまわってホテルに帰る。

2004年 3月18日(木)
朝起きたら雨が降っていたが、昼前にはほぼやんだ。11時前にチェックアウトして、阿倍野区王寺町4丁目の阪南団地の給水塔と、やはり阿倍野区の播磨町2丁目にある住吉配水場の写真を撮影する。その後、姫松から上町線の電車に乗ったら、これがまた年代物であった。車内のプレートを見ると、川崎車輛會社が昭和參年に製造したということである。新しい電車に乗るよりも昭和參年モノに乗ったほうがトクしたような気分になる。運賃は200円也。天王寺に着いて、地下街アベチカの半田屋でビールがぶがぶ。おでんがうまい。夕方ののぞみで帰京する。

2004年 3月20日(土)
18日に撮影した写真をスキャンしてアップする。住吉配水場は、25年ぐらい前に阿倍野区民だったころ、散歩に出た際に好んでその横を通っていた場所である。今でもたまに散歩に行って、配水場をのぞき見したり、古い長屋を見たり、古い電車に乗ったりする。こわれかけている体をいたわりつつ漫漫と歩くように心がけているつもりだが、あちこちに行きたいところがあって、なかなかそういうわけにもいかず、さらには新世界やアベチカでビールをがぶ飲みして肝臓を痛めつけ、帰京後はしばらく寝込んだりすることもしばしばである。

2004年 3月21日(日)
17日に撮影したづぼらやのふぐと通天閣のツーショットの写真を不適切な投稿の“恵美須町給水塔”のところにアップする。串やの看板もちょこっと写っていた。

2004年 3月27日(土)
津田沼に行く用事があって、東京駅から総武線の快速に乗る。小岩の駅を過ぎたあたりから、左前方に栗山浄水場の配水塔が見えはじめる。しばしば総武線に乗るようになった94年ごろは、江戸川を渡る少し前に視界に入るこの配水塔を常磐線から見える配水塔とは別のものだと思い込んでいて、江戸川沿いにはたくさん配水塔があって千葉県はいいところだなあとうらやましく思っていた。しかしあとになって地図を見たら、市川市と松戸市は隣接していて、栗山浄水場は松戸市のはずれにあることがわかった。浄水場からちょっと歩くと、すぐに市川市に入ってしまうのだ。となると、空間がゆがんでいないかぎり、総武線の小岩と市川の間の車窓から見えるこの配水塔は、常磐線の金町と松戸の間の車窓から見える配水塔と同一の物件であると考えたほうが自然である。津田沼からの帰途、市川で下車して、松戸行きの京成バスに乗った。矢切駅前まで乗るつもりだったが、栗山というバス停があったのでそこでおりてしまった。畑のむこうに配水塔が立っている。配水塔のそばの桜は二分咲きから五分咲きといったところだろうか。半月前の景色とはだいぶ違って見える。浄水場のまわりをひとまわりして写真をとった。それからバスで国府台まで戻り、京成電車で都内に戻る。上野のお山の下はたいへんな人出だった。お山の桜は見ないで帰る。

2004年 3月30日(火)
東京の桜が満開になったというので、午前中に大谷口の水道タンクのそばの桜を見に行った。天気予報では午後から雨だという。水道タンクのそばの桜もほぼ満開のようである。水道タンクに隣接している公園では、桜の下でゲートボールの競技がおこなわれていた。あちこちからバシャバシャとフィルムにかすめとり、正午過ぎに帰宅した。午後3時ごろから雨になった。

2004年 3月31日(水)
夜、27日に撮影した栗山浄水場の写真をスキャンする。トップページをお花見モードに改める。


2004年4月の業務日報

             

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