2003年12月15日(月)
朝のうちは曇っていたが、午後になって晴れてきたので、しばらく前から気になっていた大谷口の水道タンクを見に行った。給水塔としての役目を終えて、使われなくなってからすでに30年以上もたつというのに、まだもとの場所に立っている。1931年からずっとそこに立っている。南側の駐車場のほうにまわりこんで、冬の陽射しをいっぱいに浴びている水道タンクを見上げていると、キモチがおちついていくように思えた。持参したデジカメで20カットほど撮影して、水道タンク前のバス停から国際興業株式会社のバス(以前は前面と側面にKKKのロゴマークがあったが、それがいつの間にかなくなっている)に乗り、池袋西口に出て古本を買って帰った。
夜になって、昼間撮影した水道タンクの写真をパソコンに取り込んだ。そのうちの1枚を使って、ウェブサイトのトップページを作ってみた。タイトルは“ALL ALONG THE WATERTOWER”とした。これはもちろんボブ・ディランの“ALL ALONG THE WATCHTOWER”のもじりである。ちょうどトップページを作っていた時に流していたニール・ヤングのCDに、この曲が入っていたというただそれだけのことである。まずまず気に入ったものができたので、とりあえずトップページだけアップして寝てしまう。

2003年12月16日(火)
さっそく反響があったりしたので、調子に乗って、昨日撮影した中から4カットほどアップする。

2003年12月17日(水)
片野さんから、ケータイで写した戸祭配水場水道塔の写真が届く。雲の感じが不穏である。アップさせていただいた。

2003年12月19日(金)
1976年に撮影した大谷口の水道タンクのモノクロのネガをスキャンしてパソコンに取り込み、7枚アップする。当時の写真を見ると、窓のガラスは割れているところだらけで、勝手な思い込みかもしれないが、荒廃の色がただよっているような印象が強い。かつてガラスがはまっていたところは、今は板で覆われていて、近くで見ると、間の抜けた感じがしないでもない。

2003年12月21日(日)
片野さんから、今度は前橋の敷島浄水場の水道タンクの写真(撮影者えもさん)が届く。底部の曲線が美麗な物件で、このカーブは上州特産の繭玉をイメージしています、というインチキな解説を考えた。
大山の本屋に行って、泉麻人の“大東京バス案内”(講談社文庫)を購入する。“水道タンクと「ほねつぎ」の町”という章で、大谷口の水道タンクが取りあげられている。

2003年12月22日(月)
前橋の敷島浄水場の水道タンクの写真をアップさせていただく。
夜、給水塔型のボタンを作成する。トップページに戻るボタンとして使用を開始した。

2003年12月23日(火)
天気がいいので、アナカメにフィルムを入れて大谷口に行く。国際興業のバスは日の丸をつけて走っている。水道タンクの近景遠景をあちこちから撮影した。
水道タンクといったり、給水塔といったり、水道塔といったり、配水塔といったりして、用語に一貫性が見られないが、そのへんのところはいいかげんである。これが唯一正しいというものでもないだろうと思う。役所のほうで配水塔や給水塔という言葉を好んで使っても、バス会社は、水道タンク前とか水道タンク裏、なんていうバス停を作ってしまうのである。

2003年12月28日(日)
23日に撮影した大谷口の水道タンクのフィルムをスキャンしてパソコンに取り込み、4枚アップする。トップページの写真も、23日のものにとりかえる。


2004年1月の業務日報

             

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