2002.10.21  合羽橋 なってるハウス   報告者 K.T.

出演  渡辺勝(vo.g.pf.)  川下直広(Ts.)

 マサルさんがカッパ橋で歌う夜には、仁丹塔が特別に青白くライトアップされて、すんごくキレイだ、という話を聞いて、今回は地下鉄の田原町から地上に上がり、仁丹塔を見物してから、なってるハウスに行くことにした。
 JRの上野駅に着いた時にはすでに19時をまわっていたが、あせることはない。浅草行きの地下鉄銀座線の電車に乗り換えて、ふたつめの駅が田原町で、改札を出て短い階段を上がると、もうすぐそこに仁丹塔が夜空に浮かび上がっている。
 昼の間ずっと降り続いていた雨は夕方には止んで、空気は冷たく澄んでいた。
 古い建物やいわくありげな尖塔ならどんなものでもライトアップしてしまうという昨今の風潮は私は大きらいだが、この仁丹塔は気に入った。足をとめて見入ってしまった。光量をおさえてあるらしく、すぐ下から見上げても、まぶしい感じはしない。青白い光を帯びたまま、夜空にふわりと飛んで行ってしまいそうな、冷たいエネルギーをたたえていた。
 こんどは少し離れた所から見てみようと思い、大通りを渡って雷門のほうにしばらく歩いてから振り返ってみると、塔の下の広告が、“仁丹”ではなくて“ASAHI BEER”に替わっているのに気づいた。それでは仁丹塔ではなくてアサヒビール塔なのだろうか。アサヒビールなら、隅田川の向こうに今もライトアップされて金色に輝いている雲状、もしくは雲古状の物体だけで十分ではないか、と思いつつ首を左右に振って両者を見くらべているうちに、なってるハウスの開場時刻となっていたのだった。
 ライヴの前にいいものが見られてしあわせな気分になり、“しあわせはどこにでもある〜”と“仁丹塔の歌”を口ずさみながら合羽橋の商店街を北に向かって歩き、なってるハウスに到着した。
 柿ピーは10分弱で食べつくした。そして二人がステージにあらわれた。演奏曲名は、以下のとおりである。曲名のあとに、渡辺勝の担当楽器を記しておいた。pf.はグランドピアノ、g.はガットギターである。川下直広は、今回はすべての曲でTs.を吹いた。
 
1.冬の朝 pf.
2.夢 pf.
3.土埃 pf.
4.アムステルダム g.
5.東京 g.
6.さくらんぼの実る頃 pf.
7.僕の倖せ pf.
8.星が生まれたよ g.
9.チャーリーのバー g.
10.帰り道 pf.
11.道草 pf.
12.truth pf.
13.悩み多き者よ g.
14.君をウーと呼ぶ g.
15.白粉 pf.
16.いつも一緒に g.
17.八月 g.
18.斜岩病院(エンディングテーマ) g.
19.別れ来る pf.

 4日前の10月17日に、沖縄でエミグラントのライヴがあったばかり、ということもあったのだろうか、二人の息がぴったり合った演奏で、なんとも心地よかった。
 “さくらんぼの実る頃”は、100年ほど前に作られた古いシャンソンの曲だそうで、今回は“僕の倖せ”の前に短くくっつけた、といった形で演奏された。
 そして“僕の倖せ”は、この二人のデュオで聞くと、またしみじみと味わい深い曲なのであった。五十代にして得られるゆるぎない説得力、大人の名曲になっていたのですなあ。自分が十代のころ、はちみつぱいの“僕の倖せ”や“君と旅行鞄”を聞いて、なんだか気恥ずかしいような思いを抱いたのは、この曲の深みに到達するまでには、まだ経験と歳月の蓄積が不足していたからである、とはじめて思い至ったのであった。入谷から三ノ輪近辺にただよっている無数の浮かばれない霊魂も、この歌声が届けば、めでたく成仏することであろう。それだけの功徳はある。
 今回のライヴでは、“悩み多き者よ”に驚愕した。もちろん斉藤哲夫の昔の曲である(今でも斉藤哲夫はライヴで歌っているのだそうだが)。ヘンな曲を歌います、と言ってニヤっと笑った渡辺勝が、ガットギターをジャカジャカとストロークして歌いはじめたのが、なんと“悩み多き者よ”なのであった。ヴァイブレイトする喉から、“人生”とか“社会”とかいった類の生硬な言葉が飛び出してくると、もうおかしくてたまらない。いつもとは違う種類の悶絶を味わうことができて、シアワセだった。


付記其一
マサル版“悩み多き者よ”の本邦初演は、2002年10月17日、沖縄浦添の“GROOVE”において、エミグラントによって演奏されたものである。本土初演が、この“なってるハウス”における川下直広とのデュオなのであった。

付記其二
マサル版“悩み多き者よ”のスタジオ録音音源の収録されたCD“UNDERGROUND RECYCLE”(off note/on-44)は、2003年3月に発売(店頭発売開始は同年5月18日)された。

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