京都のあれこれ
私は京都に二年住んでいたことがあり、いろんな国の色んな都市に行きましたが、京都が世界で一番好きな都市です。そんな京都の事を書きたいと思います。
清水寺
清水寺は、京都が誇る、世界で一番有名なお寺でしょう。私が京都に行ったら、必ず行く場所です。外国人が多く、二年坂、産寧坂と、趣のある坂が続き、清水寺が見えてくる時は、しんどい思いをして上ってきた甲斐がある気がします。写真の風景は、誰もが一度は見たことがある景色でしょう。Wikipediaには、「清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三所観音霊場の第16番札所である。」とある。何度も行くのに、知らなかった事だらけ。。。清水寺の中には地主神社(じしゅじんじゃ/じっしじんじゃ)もあり、カップルがいつも列を成しています。音羽の滝もいつも列が成していて、清水寺の拝観料を払ったときにくれる栞には、「松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん 作者は松尾芭蕉」と書いています。音羽の滝は、長寿・恋愛・学業成就のご利益があると言ってますが、バスガイドさんに言わせれば、そうじゃないみたいです。忘れましたが。。。
下鴨周辺
下鴨周辺は、私が二年住んでいた所です。下鴨神社、下鴨茶寮、湯川秀樹の生家がある所です。近くには、洛北高校、ノートルダム女子大学があります。私は下宿をしていたので、食堂には、ノートルダム女子大学の女子学生が、アルバイトに来ていました。さすがお嬢さん学校。品のよいお嬢さんばかりでした。洛北高校は、京都大学への進学率の高さで有名です。下鴨神社では、毎年、正月に、蹴鞠をしていますが、正月は実家に帰るので、見た事がありません。下鴨神社の中は幻想的で、静かなんです。下鴨茶寮はテレビに何度も出てくる、有名な料亭です。一度は行ってみたいです。私が住んでいた下宿の近くのバス停は、高木町前バス停で、その近くのビルの屋上で私は、何回ビールを飲みながら京都市内の景色を見ていてた事か。。。バス停の近くにはゲームセンターがあり、よく友達とビリヤードをしたものです。下宿にはお風呂が付いていない(京都では当たり前!)ので、銭湯に行きましたが、昭和感のある銭湯があって、番頭さんが女子高生だったときもありました。下宿の食事所は高砂亭と言います。書くことが一杯あるので、ここら辺で。。。
哲学の道
哲学の道は、私が浪人時代に、銀閣寺の近くの私立図書室で勉強をしていた為、近くにあった哲学の道をよく歩いたものです。「哲学の道(てつがくのみち)は京都市左京区にある琵琶湖疏水分線に沿った歩道である。永観堂付近にある熊野若王子神社横から始まり、銀閣寺道バス停付近の白川通今出川交差点まで続く。熊野若王子神社から大豊神社参道までは琵琶湖疏水分線が山裾に沿って流れており、疎水の山側は自然の森となっており、対岸側に桜並木がある。そのため春は桜、秋は紅葉が美しい区間である。近年は廃業した喫茶店に住み着いた多くの猫が有名になりつつある区間でもある。それより北側は両側が住宅地となり、疏水の両岸に桜並木が植えられている。歩道も東側にもある場合があるが、よく整備されているのは西側だけである。桜の季節や紅葉の季節には多くの観光客でにぎわう。明治の頃、文人が多く住むようになり「文人の道」と称されていた。その後、京都学派の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが散策したため「哲学の小径」と云われたり、「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれた。1972年(昭和47年)、地元住民が保存運動を進めるに際し、相談した結果「哲学の道」と決まりその名前で親しまれるようになった[1]。日本の道100選にも選ばれている散歩道である。道の中ほどの法然院近くには、西田が詠んだ歌「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」の石碑がある。」。。。とWikipediaにはあり、その通りです。哲学に耽りながら道を歩け、疲れたら風情のある喫茶店もあります。哲学の道の喫茶店に入った事はないですが、一度行ってみたいです。
河原町
河原町は京都最大かつ、唯一の歓楽街で、木屋町、先斗町、祇園などが近くにあります。私は河原町では、ゲーセンに行ったり、映画を見たり、デパートに行ったり、八坂神社に行ったりしてました。京都の遊び場って、河原町しかないんですよ。私が二十歳の日には、映画を見て、ファミレスでステーキを食べ、木屋町でバーで一杯行きました。懐かしい思い出です。
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