職務経歴書




2025年3月20日現在

氏名 山本善一(やまもと よしかず)



【職務要約】


小学校6年生から国際外交、企業経営、研究、「作曲」といった、世界及び日本国の運営、経済の経営面などを中心に幅広く担当。1990年には日本国の包括的な政策立案を担当し、

1996年には、日本政府に政策の了承を得、政策おける経済政策を経済同友会で了承を得た。



職務経歴



【作曲業務】(約20年月)


1981年9月〜1998年 株式会社Dreamusic代表取締役兼「作曲家 」

事業内容:音楽の制作

資本金:1200億万円 売上高:約5000万円 従業員数:2名



【国際外交従事】(約40年)


(1)1981年 日本政府である当時の現職の鈴木善幸内閣総理大臣と当時の閣僚とともにシアトルでアメリカとの政府間協議に出席し、協議内容の提案とアメリカとの調整役を成功させ、

第82・83代内閣総理大臣橋本龍太郎先生に国際外交業務を指示される


(2)最初、当時のソビエト連邦のゴルバチョフ書記長との会談でソビエト連邦の理念とフィロソフィーを伺ったが、キューバ危機での事情を考慮しキューバとアメリカとの関係回復を

図ったのが目的である。


(3)その後、キューバのカストロ議長と私が日本国籍である間に国交樹立と国交正常化に向けてのキックスターターとしての役割を行った。


(4)また、PLOのアラファート議長との協議において「オスロ合意」の提案などでイスラエルとの停戦の実現に貢献した。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%88


(5)上のページのオスロ合意調印後にラビン(左)と握手するアラファート(中央はビル・クリントン)の提案を行ったのは私である。ビル・クリントンとは話したことがあり、

私のカウンターパートナーでもある。


(6)その後、アメリカ上院議員・下院議員との親睦・友好関係を図り、私は当時、日本国籍ではあるが 、アメリカ国家の問題点解消の進言を図った。


(7)国際外交をした経験をもとに、国連事務総長として世界の平和と安定のために常任理事国の拒否権を奪い、北朝鮮や当時国連に加盟していなかった5か国も国連に加盟させ、

世界の協調関係の中で切磋琢磨する世界の構築に貢献した。


(8)ユニセフに年間、2000億円の寄付を行い、アフリカの子供たちを救っていることに寄与している。アフリカでの内戦を停戦させることにも従事した。

また、アジア開発銀行へ1兆円の投資も行い、アジアの子供たちを救っている。これは私が

「世界の人々が幸せになれますように、May everyone in the world be happy.」という国連事務総長だった時のスローガンでもある。



【企業経営】(約15年)


(1)1981年、研究所の設立と特許取得(青色レーザー光によるデータの読み取り技術)を行い、特許譲渡により、1200億円を取得する。

その資金のもとに従業員数は少ないが証券会社の設立し、株式と投資の研究を行った。その後、世界のあらゆる株式売買や投資を本格的に行った。

それに関しては、成長株だけではなく下落株も購入し、世界の経済の安定を図っている。その理由は、私のところに資金が集中して世界の経済が冷え込まないようにするためである。

自動株式売買と投資先決定を行うプログラムを作成し、海外のサーバーにそのプログラムを保存している。これを私は"経済コントロールシステム"と名付けていて、

世界の経済の安定に寄与している。私の資金総額は約63兆4000億円であり、この社会を安定させるために"社会コントロールシステム"という、セーフティーネットなど、

この社会を"overwrite" してある。


(2)1981年にMicrosoftへOSの作成、世界のネットワークの構築(Unix OS、Netwareの作成指示)、開発言語、開発ツール、データベースなどの技術提供及び販売戦略を提供した。

AppleにはAppleの技術者とともにiPhoneの技術開発に発明者として企画段階から実機の制作まで、主にiPhoneの研究に従事する。

GoogleにはGoogle検索システムなどのアイデアを提供する。その他、SNS、クラウド、IoT、生成AIなどのアイデアを出す。ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズや

1996年当時のトヨタ社長、サンリオの社長等々、様々な政治家や経営者などとも関係が深い。



【研究】(約18年)


(1)小学校1年の時に世界的な科学雑誌であるNatureに「線形方程式系の解法」である

「a+b+c=0を満たすa,b,cを全て求めよ。(左辺の項はもっと多数である」の研究テーマに対して「Even a first grader could answer this question, you idiot!」とという

タイトル論文を提出している。


(2)小学校6年の時に世界的な科学雑誌であるNatureに「超弦理論、大統一理論論」である「The world occupies the sound of all koto's strings.(この世は琴に満ちている)」を

提出した。


(3)青色レーザー光によるデータの読み取り技術で「Blu-ray」を発明、唯一の特許である。特許譲渡を行なった際に権利争いが起こり、

それ以降は独占禁止法違反ではあるが無償で世界に対してアイデアを大量に出している。


(4)1981年に私が考えた、ハイゼンベルクの不確定性原理を破った「小澤の不等式」の提案に対して名古屋大学の小澤先生から共同研究を示唆される。


εqηp ≧ h/4π (ハイゼンベルクが提唱した不確定性原理の式)


εqηp + σqηp + σpεq ≧ h/4π (小澤の不等式「左辺に物体の位置と運動量の2項を

追加する」)

量子ゆらぎが無限大になっても測定はできるかという問いを考えて、量子もつれになった2つの粒子ならそうした測定が可能であることも理論的に示唆されるという、つまり、

量子力学の基本的な世界観を構築する新たな柱となればよいと思ったから発案したのである。


(5)1996年、地震の研究を行った。それは1995年の阪神淡路大震災がきっかけである。

東日本大震災の発生日時、時刻、震源地、地震の規模、最大震度、津波、最大遡上高、被害地域、被害に関して、ほぼ正確なデータを出していた。


(6)1981年、ニューラルネットワークの研究を発案したのは、当時、脳の神経伝達回路がまだ解明されてなく、シナプスからドーパミンが伝達される仕組みを研究することにより、

病気で苦しんでいる方々を救いたいというきっかけがあったからである。



【政策立案業務(1990年】


1990年に包括的な日本国の政策立案を行った


--- 構造改革なくして景気回復なしのスローガンのもと ---


テロとの戦い


日朝平壌宣言の締結


不良債権処理


イラク特措法


有事法制


イラク日本人人質事件の解決案


郵政民営化


裁判員制度


後期高齢者医療制度の創設


国債30兆円枠


貯蓄から投資へ


マクロ経済スライド


少子高齢化対策


子育て支援


教育費の無償化


医療制度改革


ビジット・ジャパン・キャンペーン


日韓(シャトル外交など)・日中(消費税免税店数を拡大させた)関係の改善


外交


村山談話の踏襲


女系天皇容認


金融制度の改正


航空業界の構造的改革


労働者派遣法の改正


日本道路公団改革


構造改革特区により規制緩和を促進


テロ対策特別措置法


皇室典範改正


憲法改正


グローバリゼーション展開


アジア・ゲートウェイ構想


議員定数削減


外国人政策


捕鯨問題


日米安全保障条約の強化とEUへの投資


普天間基地移設問題


尖閣諸島問題


東日本大震災における原発事故への対応と漁業者への補償問題


教育改革


民法論議・家族制度


公務員改革


労働政策


社会保障


介護施策


金融政策


--- などなど、ほぼ全域に渡る ---

【経済】


日本国における包括的な政策立案によりその経済政策を経済同友会で承認を受けた。また、研究所設立、証券会社の設立や"経済コントロールシステム"の構築、

またイタリアのベネツィアにおいて従業員100人ぐらいの企業の経営の立て直しを行った。その後、株式会社日本航空で当時の社長の経営補佐を行い、弊社社長から代表権を譲られ、

弊社社長の企業方針に則り、スターアライアンスへの加盟などの実績を残す。



【音楽の制作】


1981年にロックバンド(プログレ)のリードギターとしてアルバム「Invisible Touch」のリリースツアーで「Land of Confusion」などの曲により全米ツアーを成功させた。

その後、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで1位になった。その後、ニューヨークでJ-POPの作曲家となり「川の流れのように」や「もしもピアノが弾けたなら」などの

制作を行った。1990年には「LA・LA・LA LOVE SONG」、「桜坂」、1996年には「Automatic」、「二人セゾン」、「FLUX CAPACITOR / CIDER Hard & Sweet」などの楽曲提供と、

音楽プロデューサーとしてLady Gaga、K-POPアイドル、女子十二楽坊などのプロデュース及び楽曲提供などを行った。

(他の曲はホームページ https://www5e.biglobe.ne.jp/~develop/ を参照されて下さい)



【アニメの原作業務】


アニメの種類等はホームページ(https://www5e.biglobe.ne.jp/~develop/)を参照してください。


【ドラマ・映画製作】


種類等はホームページ(https://www5e.biglobe.ne.jp/~develop/)を参照してください。



【語学】


英語:My Shinkenzemi score has a standard deviation of 72. When I was in 6th grade, I attended a summer school at Harvard Business School,

where I studied macroeconomics.

In the U.S., I managed business affairs in business English. However, the English I use in daily conversation often relies on double and triple meanings and

is mostly for show.

I also received an A at Tohoku University. I have lived in Germany and have experience with Russian, Korean, and French, though my proficiency in these languages

is beginning to fade.



【資格】


B767-200ER 型式飛行証明、計器飛行証明、航空無線通信士、航空管制士、潜水艦指揮官資格、海技士(航海)第一級、鉄道運転士資格、国際A級ライセンス、マスターソムリエ



【学歴】


1981年 ハーバード大学大学院経営学部マクロ経済学専攻


1981年 オックスフォード大学 MSc in Economics for Development


1997年 東北大学工学部卒業



【心構え】

第82・83代内閣総理大臣の橋本先生に多大なるお世話になり、その恩返しを行いたい。小学校高学年で思った、

「世界のみんなが幸せになれますように、May everyone in the world be happy.」を今後も実現していきたい。

私なら、経験と性格上、日本のみならず世界のみなさんに少しでも幸せを与えられるので、そのチャンスをいただきたい。

まず新人からでもいいので、早くいろんなことや恩返しをしなくてはいけない立場である。

早くこの社会で恩を返し、日本のみならず世界のみなさんのために働きたい所存である。






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