Sunset  Baycity

SUNSET_BAY.JPG - 9,629BYTES




  天高く、腹肥ゆる秋。世間一般では一年中で一番、過ごしやすいと思われているこの季節、オレの大学ではそろそろ、ノイローゼにかかりそうな奴がぼつぼつ出始める。ああ、こんな大学なんて…!!
  オレの名は隼人。いちおう大学二年生。都内でも三流以下といわれるバカ集団ばかりの通う大学だが、まあ、それなりにキャンパス生活をエンジョイしている。
  受験の時に、お前でもラクに入れる!!、と言われて、さしたる勉強もせずに入った大学だったが、この季節になると、きまって後悔のタネが確実にひとつ増える。なぜか?  そう、オレの大学では、後期試験が(何と)冬休みの前にあるのだ!!
  ・・・・・と、大風呂敷に言えばこうなるのだが、実のところそれは、試験の前に、徹夜詰め込み式の勉強が出来ない努力持続型マジメ人間の話。オレはそんな要領の悪い秀才ではない。自他共に認める遊び人のオレが悩むような事といえば”あれ”しかないのだ。

 


  オレ達の世代(いや、男限定か?)に共通する悩みといえば、まず欲求不満を解消する相手を調達することである。大学にいる限りその手段はヤマほどあるが、いい相手というのはそうザラにいない。オレにとっては、今付き合っている真理は、まさにサイコーの相手なのだ。
  もちろん真理はステディーではない。サイコーなのはあっちの方であって、こっちの方に関する限り、遊び人を自認するオレには”ナンバー・ワン”はいらないのだ。
  で、もうすぐ週末なので、昨日さっそくTELしてみた。そこで重大な問題が持ち上がったのである。

 


「ぬぅあにいぃ、今度の週末はダメだとお…!!」
「そうなの。ほら、来週、あたしのとってる化学の実験があるでしょ。それでさあ、その準備に土、日までかかっちゃうのよ。ごめんネ」
  なんて猫なで声で言われたところで、オレの計画がご破算になることは変わりがない。必然的に、TELの声が1オクダーブ上がる。
「いいじゃん、そんな実験サボっちゃえよ」
「そんな、無理言わないでよ。あたしだって、今度の実験には賭けるものがあるんだから」
  一体、実験ごときに賭ける何があるというのか。せいぜい担当の教授の評価が上がるだけで、後期の成績には何の影響もないじゃないか。
  オレは本気でそう思った。でも、おそらくこいつにはそんな理屈はわからないだろうな。何しろアタマだけは、うちの大学でも突然変異的にスグレた奴なんだから。
「でもさあ、夜までかかるわけじゃないんだろ」
  オレは努めて軽い口調でたずねた。その一言には、週末の浮沈が吊り橋のごとくかかっている。落ちればこの週末は奈落の底だ。
  ところが…、
「残念でした。実験は火曜日、月曜日はうちの助教授のおともで一日外出、ついでに、その実験はうちの第一化学実験室で行うことになってるの。この意味がわかる?」
  んなことわかるわきゃないだろうが!!、とオレは怒鳴りかけて、ふと気づいた。まてよ、第一化学実験室といやあ、うちの大学でも一番の…。
話が分かると同時に、俺はすっとんきょうな声を上げた。
「そんなに大規模な実験なわけぇ?」
「そう。何でも、授業であると同時に、教授の新しい論文の基礎実験も兼ねてるんだって。だ・か・ら、週末はまず、まる一日つぶれると思って」
「オレの用事は二時間で済ませてもいいんだけど」
「そして翌朝すっきりした顔で手伝いに出掛けろって?」
受話器の向こう側から真理のくすくす笑いが聞こえる。
「それもいいけど、低血圧のあたしには、ちょっとリスクがあり過ぎるわねえ」
つまりはダメということだ。
 このネクラ理系人間!!  と喉まで出かかった言葉をオレは何とか抑えた。純粋無垢な理系人間だが、その根っこは蛍光灯そこのけに明るい真理である。それを言えば、まず間違いなく頭にツノが立つところだ。このところとんでもなくビンボーなオレとしては、真理以外に欲求不満解消の代理人を立てる術もなく、ここは隠忍自重の一手しかない。
「そっか。まあ、今週は仕方ないな。んじゃ、この次ヨロシク」
  などと煮えくり返る腹の内を声音に出さないように、オレは努めて明るくTELを終えた。腹の内では真理が聞けば目を剥きそうなお下劣な罵詈雑言でいっぱいである。
  かくして、オレはいささか重大な悩みを抱えて、週末を迎えることになったのだ。ああ、青春ってツライな…。

 


  で、土曜日。午後の授業をサボってアパートで一人悶々としていると、そこへ一番の悪友がやって来た。オレを極貧生活に追い込んだ張本人、ヒロカズである。
なぜ、こいつが悪友かというと、春と秋の二回、週末になると必ずこういう誘いをかけてくるのだ。
「ヘーイ、隼人、今度のレース、何賭ける?」
  オレはこの一言でコケた。
「何って、お前、まだ月の真ん中だぞ!?」
「だから、仕送りの残高をちょいと増やしておこうと思ってさ。な、隼人、どれに賭ける?」
などと、ヒロカズはヘリウム・ガスもかくやというほど軽い口調で、新聞を拡げてみせた。見渡すかぎり競馬、競馬、競馬である。
「今度のGTはわからんぞぉ。一番人気はステラサファイアなんだけどさあ、この三頭、ステラサファイアとミスダイヤモンドとブループラネット。どれに来るかがまったく予想もつかないんだ。まあ、場所が場所だし、二千四百のレースだから、オッズは低いけど、パープルクリスタルも捨て難いし。やっぱ迷うとこだよなあ…」
  オレはこいつを殴り倒してやりたくなった。この前のレースでオレから一万円を奪い去ったのは他ならぬこいつである。いや、今年に入ってからのトータルではその十倍はいくだろう。みんなこいつの有り難いご神託のおかげだ。
 だが、せっかくやって来た暇つぶしの相手である。そう邪険にすることもできない。
「…まあ、場合によっては先行逃げ切りってこともあるからな」
「そうそう。短距離レースならそういうこともままあるからな。でも、今回は、やっぱりこの三頭に来ると思うぜ」
   ハイハイ、よくわかりましたヨ。競馬の話をしてる時のこいつは、十回ぐらいまとめて○った時みたいにゴキゲンである。こいつの彼女は、絶対にニンジンが大好きで顔が長いに違いない。
  オレはヒロカズの持って来た新聞のひとつを取り上げた。こいつの口車に乗ると、ただでさえユウウツな週末がなおさらユウウツになってしまうのは先刻承知のことだが、ひょっとすると…。
  と、その時オレの耳元で何かがささやいた。”うまくすればこれでイイ事があるわよ♪” とかなんとか。その誘惑の甘いこと甘いこと…。その一言で、オレの鉄壁の意志は暖めたチョコレートよろしく溶けていった。
  オレはその新聞の一点をにらむと、おもむろにひとつのレースを選んだ。例のGTの前座みたいなレースである。
「オレ、これに賭けるぜ。今回は金が無いから四千五百円だけだぞ」
 とたんにヒロカズの顔色が変わった。ひょっとしたら、こいつオレが思いもしなかった大穴を狙っているとでも ─ と思いきや、
「隼人、熱でもあるんか?」
  ブチッ ─ という音がしたかどうかはともかくとして、とにかくオレは切れた、もちろん一本だけに抑えて。
  沸騰するヤカン状態の頭を抑えて、両方のマユを目いっぱいつり上げながらニコニコするという離れ技をキメつつ、オレはあっという間にヒロカズをアパートからたたき出した。もちろん明日のレースには一緒に行くという確約を与えて。これで、間違いなく、明日はオレの大切な四千五百円が競馬場のツユと消えてなくなることだろう。耳元で跳ねまわる天使が一瞬、意地の悪い笑いを見せたような気がしたのは、果たして気のせいだろうか?

 

 

  さて、当日。快晴の帝都である。オレはその朝、奇っ怪至極なTELを受け取った。相手は、自称(トラブル)キューピット、陽子である。
「おはよう、隼人。隼人、今夜のお相手を募集中なんだって?」
その一言で、オレはカンペキに目を覚ました。オレの友達にもいろいろ変な性格の奴はいるが、朝っぱらからこうも過激な話題を持ち出して来るのはこいつがダントツだ。
「おっ、お前なあ!! 朝っぱらから何をいいやがるかと思えば…」
俺はため息をつきながら内心付け加えた。
頼むから、自分の辞書に「羞恥心」って文字を書き込んどいてくれ。朝っぱらからオマエの相手するのは、やたらと疲れるんだよ、特にこんな朝は…。
「じゃあ、ホントなんだね」
  受話器の向こう側から、おもしろがった声が響いて来る。先制の一撃で見事にダウンを取られたオレはさり気なく反撃する。
「で、陽子がそいつに立候補するってか」
「まさか」 
陽子はあっさりかわした。しかもからからというお笑い付きで。男の浅知恵など所詮こんなものだ。
「ねえ、隼人、ちゃんと目を覚ましてしっかりと聞いて」
もう覚めてるって…。
「今日の夕方六時、ベイサイド・ホテルに行って。素敵な彼女が待っているわよ」
何だ、そりゃ。新手のデートクラブの勧誘か?
「一体誰だ?」
「それは秘密。でも隼人の知ってる娘よ。あたしが取り持ったんだから、ちゃんと行ってね」
  ガチャリ。これで終わりである。オレはしばらく受話器を持ったままボーゼンしていた。あいつが女の子を紹介してくるのはこれが初めてではないが、彼女がキューピットを務めた話には必ずといっていいほど裏がある。今回にしても、ひょっとするととんでもない罠でも仕掛けられていそうな雰囲気だ。いかに遊び人のオレでも、さすがに考え込まざるを得ない。さて、どうしたものか…。

 


  そしていよいよレースの時刻。カップルが大挙して訪れる東京競馬場に、オレは飛び上がらんばかりにウキウキしたヒロカズと一緒にいた。ヒロカズ待望のGTはこのすぐ後、オレの目の前でいよいよ四千五百円の行方が決まろうとしていた。
  当のヒロカズは中休みに場内のレストランに行っており、(どうせオレの買ったものが当たるわけがないと信じ込んでいるらしい。ま、225倍もついていれば当然のことだ)オレはじっと場内を見つめていた。手には、なかばゴミ同然の3−7の馬連単勝の馬券が握りしめられていた。果たして ─。
  緊張の一瞬。ゲートが開き、各馬一斉に走りだす。3番のウィンドゥクロス、7番のゴールドヒンガーは先頭から四位と六位をKeepしている。位置は悪くない。やがて、馬群はコーナーを次々と回り、ラストの第四コーナーに差しかかる。待望の二頭は順位をみっつ落とす。先頭はシルバーステーツ。そして最後の直線。順位変わらず。オレはあきらめて席を後にしようとした。ところが ─。
  突然、場内が騒然となった。振り向くと、先頭のシルバーステーツが転倒、騎手が落馬していた。つられて、後続の馬群がたたらをふむようにスピードを落とす。ほんの一瞬の出来事だが、その中を抜け出したのは…。
  場内の掲示板に着順が表示された。一着はウィンドゥクロス、二着はゴールドヒンガー!!
  瞬間、オレは突然地面がグニャグニャになったような錯覚を覚えた。こんなことも、たまにはあるのである。あの225倍が現実になったのだ!!
  オレは手のうちにある馬券を見つめ、そして着順表示板を再度、見つめた。嬉しさが込み上げてきたのはその時だった。これでもう、生活費に困ることはない。
「やったゼ!!」
  オレは小声で叫んだ。こんなときに万馬券を当てたのを公表するのはバカのやることだ。そいつは、これを金に代えてからでいい。この中にも何人か万馬券を当てた奴はいるだろうが、そいつらも、そしらぬ顔をして、内心喜んでいるはずなのだ。
  オレは、ともすれば弾みそうになる足を押さえて、レストランに向かった。今日ばかりは、ヒロカズが最高の親友に思えた。

 


  そして夕方。馬券を換金して、その大半を口座に振り込んだオレは、例のホテルの前までやって来た。それまでさすがにウキウキしていたオレだが、陽子との約束は頭痛を招来する以外の何ものでもない。今なら、十万ほどの持ち合わせはあるが、できれば、ビンボーな魔女と出合うなんていう事態は避けたいのだ。
           さてと、もうすぐ六時だな・・・・・。 
さすがに、万事に楽天的なオレでも心の準備をせざるを得ない。願わくば、これがあっさり終わりますように・・・・・。
  と、その時オレはいきなり背後から声をかけられた。
「お待たせ、隼人。待った?」
オレは瞬間、びくっと背筋を伸ばして振り返った。その視線の先に、真理が息を弾ませてニコニコしている。
  オレはあっけにとられて真理を見やった。
「何でお前がここに?」
真理はいたずらっぽく膨れてみせる。
「何でって…、まあ、ご挨拶ね。隼人からの伝言を陽子から聞いたから、急いで来たんだよ?」
「陽子から…?」
  なるほど、そういうことだったのか。オレは大体のことを察した。陽子は真理と同じゼミの親友である。きっと、真理から事情を聞いて、ここに待ち合わせるように話したのだろう。
「あのスカシ狸め…」
  ようやく、オレにいつもの調子が戻って来た。あの意地悪キューピットもたまにはいいことをしたいと思うらしい。オレはニヤッと笑った。
「それで、明日もあるから、隼人の欲求不満は解消してあげられないけど、今日の日付が変わらないうちは、ね…」
  おっと、忘れていた。どうやら、今日のうちに逆転のトライは決められないらしい。オレの下半身にむくむくと欲求不満のタネが非難の声を上げ始める。だが…。
  ま、いっか…。その時、オレの心に、常にない暖かいものが流れていった。たしかに欲求不満は解消できないが、それがどうしたというのだ。ヒロカズのおかげで今日は爽快な気分で過ごせたし、今日は会えないと言った真理だってこうして来てくれたのだ。後は、それにほんのちょっとだけロマンチックな味付けをすれば、それで十分じゃないか。我ながららしくない、とは思うが、今はそれで満足できそうな気がした。
「O・K  そういうことなら、早くラウンジへ行こうぜ」
オレは精一杯やさしく笑うと、真理を促してホテルに入った。どうやら、本当の幸運はこれからのようだ。

 


 …ここの展望ラウンジからは、東京ベイ・サイドがよく見渡せる。ちょうど夕方だったので、暮れなずむ大都会に、次々と灯がともっていく。さすがに水平線に沈む夕日は見ることが出来ないが、東京湾にかかるレインボー・ブリッジの美しさは、それを補って余りあった。
「素敵…」
  真理はイルミネーションのように輝く都会の灯を、うっとりとして眺めていた。昼間は理系人間の本性まる出しの真理だが、太陽が沈めば普通の女の子に戻る。
「それにしても、隼人がこんなことをしてくれるなんて、ね…」
「どうだ、オレもデリカシーってもんが、ちゃんとあるんだぜ。見直したろ」
「うん、見直した♪」 
  くすっと笑う真理に、オレは茶目っ気たっぷりの視線を返した。昼間のオレにはこんな一面はないはずなのだが、ここは別の時間の中だ。猛獣がナイトに変わるぐらいは、平然とできる。とてもじゃないが、これが陽子の差し金だったなんて言える雰囲気じゃなかった。
「これなら、ステディーに志願してもきっと満足、かな…」
「よせやい、熱でもあるのかと思われるぞ」
「たぶんね。きっと微熱かも…」
  オレは照れ隠しに、目の前のカクテルに口をつけた。最高にいけなかった。このままだと、本当に夜という時間に洗脳されてしまいそうだ。
  真理は再び視線を窓の外に向けた。ラウンジの柔らかなライトが、真理の横顔にしっとり映える。と、その横顔に、ふっといつか写真で見た、夢いっぱいの女の子がダブる。昼間はとてもかわいいとは思えない顔だが、今の真理は、とても素敵に見える。一から十まで完璧な理系人間の真理だが、こうした素敵な瞬間をちゃんと持つことぐらいはできるのだ。
  それはおそらく、この夜という時間が、真理の中にある純粋な部分を引き出しているからなのだろう。おそらくは、これが本当の…。
  おっと!!  思わずオレは我に返った。こいつは相当キケンな瞬間だ。
昼間はお下劣な遊び人なオレがこうも弱くなっちまうとは。まったくどうかしてるぜ。オレの本性は、あくまでも昼間のオレであって、今のオレは相当ネコぉかぶっているだけのはずなんだ。
  オレは再びカクテルをあおる。それに気づいた真理がオレを見つめる。
「うん…?」
「ま、素敵な夜に乾杯♪」 
  真理は穏やかに笑ってグラスを掲げてみせた。そんな真理が、今のオレには少しばかりまぶしい。いつの間にか、オレは昼間の出来事を頭から追い払っていた。今、この瞬間のみに在る幸せ。それが、今のオレの全てだった。



THE    END


目次に戻る