雑記雑気2 page 7

●今朝、目覚める直前に見た夢 1997.12

  ゴルフの観戦をしていた。名前を知らぬ女子プロが難しいショートホールで無理にワンオンを狙ってきた。グリーンの真横で見ていたので、ボールがラフの起伏で跳ねて柔らかいベアグランドに潜った様に見えた。
  グリーン近くに来たプロがボールを探し始めたので『そこで跳ねて潜った様だよ』と教えてあげると、プロはそこから数ヤード左の崖の下を覗き込んで『あったー』と叫んで崖を下りていった。
  最終組が来るのでその一つ前のグリーンに向かって両側が木造の納屋の壁のような通路を歩いていくと、ボールがグリーンに乗ってオーバーし、ころころ転がって下に落ちるのが見えた。後ろから来た○○さんが『お、どうなった?』と聞くので一緒に覗き込むとボールは座敷の濡れ縁の向こう側にある池の中に見えた。

  そのまま宴会になった。○○さんが突然古いメモを取り出して『駿河屋君、旅行の予定だけどゴルフだけにしよう』という。メモには4日分の予定が書いて有り、2日目に何処かを見学する事になっている。
  『分かりました。日帰りゴルフだけにするということですね』と確認した。『XX君が2日目の(どこかの)見学の切符を手配していた筈だからキャンセルさせないと無駄になるなぁ』と思った。

  隣で□□さんが△△さんと話をしている。△△さんが『YY君のおやじさんの病気が悪いので誰かに相談したら、○△屋の餃子を食べさせると効くと聞いたが、3種類ある中のどの種類だったか忘れて困っています』と相談している。
  □□さんが『それは簡単だよ。3種類全部食べさせれば必ず正解が入っているから大丈夫。』とすかさず言った。それを聞いていて、流石に□□さんは凄い人だなぁと感心した。

  宴会が終わって宴会場を出ると靴がない。どうしても見つからないので仕方なしにスリッパを履いて遠くに止めて有る車に向かった。途中で『あ、そういえばスキー靴を履いて来たんだ』と気付いて小雪がちらつく中を取りに戻った。
  途中で薄暗い小屋の中を通りかかると、ブリキ板製で手足をハトメで止めて動かせるようにした埃だらけの小さな人形がむくむくと大きくなって話しかけてきた。何度も『写真は撮っていらないよ』と言う。これは写真を撮って欲しいのだなと気付いたがカメラを持っていない。そこで『帰りに使い捨てカメラを買ってくるから』と言って別れた。振り向くとその人形が大勢のブリキの人形達とがやがやと話し合っているのが見えた。

  ここでベルが鳴って目が覚めた。今見た夢を忘れるといけないと思ったので直ぐ女房殿に話した。今日は女房殿とゴルフに行く日だ。□□さんが出てきたのは昨日久しぶりに電話を頂いたからだろう。いずれにせよ、夢を忘れないうちに文章に残すことが出来たのは初めてで嬉しい。

●一匹の蚊 -- 急所 -- 1997.5

 寮の部屋に一匹の蚊。
 2日間安眠出来ず。
 人間の1億分の1の大きさの蚊が与える影響の巨大さ。
 刺された痒さは妄想に非ず。当に弱点を衝いた働き。

追記:1997.11
 ところで、今年は蚊が遅くまで居る年であった。普通の年なら9月の暴れ蚊の季節で勢いがなくなるところだが、今年は11月末になっても数匹の蚊が部屋を飛び回り、女房殿が追い回していた。秋の実りも深く、いつもの年には気がつかなかった近所の庭の胡桃の木に鈴なりに実り、何処に行っても柿の橙色が目立った。

追記の追記 :1998.5
昨秋は蚊が長生きで柿が多いと書いたが、今年の春は藤がきれいだった。里の藤棚に大きく豊かな花房が見られたと共に、山にも藤色が際立った春であった。

●倉沢の大ヒノキ -- 目標 -- 1997.6

  テレビで見た超人的な働き。当初から2000枚を目指してきたのか。1000枚達成した時点で再設定したのか。ただ夢中でやっていたらこうなってしまっていたのか。或いは2000枚はもっと多い(例えば5000枚)への道標に過ぎないのか。
  奥多摩町 倉沢の大ヒノキのお膝下でしこしこと巨木の絵を描いている画家 平岡忠夫の執念の原動力は何か。目標、人を活動に駆り立てるこの不思議なトーテムポール。

 画家 平岡忠夫
 奥多摩町 日原 日原小学校廃校をギャラリーに
 都水道局を定年退職
 2000枚の巨木の絵まであと200枚。

●ダラスにて -井の中の蛙- 1997.6

  6時17分、地平線から日が上った。遥か彼方のビルの形を食い欠けにしながら、飛行場の滑走路群の向こうに出た巨大な朝日。ジャンボ機が轟音とともに生まれたばかりの太陽を横切って急上昇していく。ダラス・フォートワース空港の忙しい一日がもう始まっている。

  旅先での雑気はついセンチメンタルな書き出しになる。ここ1年ばかり海外出張から遠ざかっていたが、昨年末に職場を変わってから厳寒のジュネーブ、冷たい雨のロンドンに続く3度目の海外だ。
  海外にくるのも100回を優に越えると思うが、日本を離れる度に思うのはそこに生まれ、平凡に暮らし、死んでいく人達のことだ。

  イリノイの片田舎に住んでいた時、近くの老農夫が『俺は未だ海というものを見たことがないんだよ』と云うのを聞いて感じた戦慄。もう20年以上前のことだが今もまざまざと憶えている。どれだけ世界を見たといっても、どこまで一つの道を極めたといっても所詮は井の中の蛙。ましてその蛙に遥か及ばぬ我が身。

●過去・未来  1996.5

  過去は分かっているが未来は分からないという。
あまり疑いもせずそう思ってきたが本当か? 例えば、今吸っているタバコは1分後には短くなり、灰皿で捻り消されるだろう。明日の朝、7時半には間違いなく朝食の最中だろう。
  来年の春には間違いなく桜が咲き、相当の確率で駿河屋は三春の滝桜をまた見に行くだろう。50年後には必ず駿河屋は死んでしまっているだろう。未来のかなりの部分は分かっている。

  一方、過去は分かっているようで分かっていない。今吸っているタバコはいつ火をつけたのか? 2〜3分前だと思うが時刻は不明確だ。昨日の今頃、駿河屋は何をしていたのか? 正確なことは覚えていないし、調べる方法も無い。一週間前、一年前になると手がかりさえない。

  こうしてみるとむしろ未来の方が、自分で制御の可能性が高いぶんだけ良く分かっていると云っても良いのではないか。前に事実と真実の違いについて考えた事が有ったが『事実』という事実も絶対的な事実としてではなく、こんな見方で考え直してみると面白いかもしれない。

メモ:
現在の科学的手法は観測を基礎に成り立っている。これを突き詰めると過去・未来どころか現在という考え方そのものまでが危うくなる。このほころびを『不確定生原理』という逃げ道で逃げているのが現状だろう。時間、時刻と云うモノをもっとしっかりと実感出来る形で把握出来るのはいつのことであろうか。

●山脈 1997.8

  テレビで魯山人の特集をやっていた。ゲストの中島誠之助がハッとする言葉を吐いた。『日本芸術山脈というものが有るとして、魯山人は昭和新山の様に突然湧き出した独立山』だと云うのだ。
  ○○先生の下で雑音理論の勉強をしていたマスターコースの頃、これから自分が登ろうとしている大きな山が見えたような気がした事があるのを思い出した。情報伝送理論山脈の雑音山だ。

  就職して色々な仕事をしてきたが、追いまくられながらのその日暮らし。進路を変更した駿河屋にはその後新しい山が見えた事は未だ無い。
大学に残り勉強を続けている仲間には進むにつれて山、それに連がる山脈が見え、その山々が益々高いと同時にその裾野の余りもの廣さが感じられているだろうと思うと、自分の歩いてきた道が少しくやしい想いもする<山脈>という言葉の響きであった。

追記:
  見渡す限りの平原を進むと山の頂上が先ず見え、山に近ずくに連れて山脈、裾野が見えてくる。道無き荒野をさまよい、沢を渡り、尾根を這った末に登って来た道程を振り返ると麓の風景が俯瞰できる。
  それが誰も見たことの無い景色なら最高だ。金や時間を気にしながら、始めから最後までぬかるむ雑木林の中を漕ぐ我が暮らしに山は見えない理屈だ。でもまた、これも道。

●郭公 --親はなくとも子は育つ-- 1997.8

  先月の事だと思うが、ラジオを聞いていたら生物学者(名前失念)が郭公の雛が郭公の鳴き声を学習する話をしていた。郭公の雛は生後3週間〜4週間の間に親達の鳴き声を聞いてカッコーと鳴ける様になるというのだ。
  それ以前でも以降でも学習の窓が閉じてしまうので駄目。また、その期間にカッコーという声の代わりに別の鳥の鳴き声ばかりを聞かせても真似できるというものでもないという。
  つまり郭公は生まれてからある定まった期間にカッコーという鳴き声だけを学習出来るようにプログラムされているというのだ。生物には、例えば母の乳房を探し当てて乳を飲むとか、卵から孵ったばかりのウミガメの子供が砂浜を走って海を目指すといった、学習しなくても行動出来るようにDNAに刷り込まれた事柄がある。

  一方には後天的にしか学習できないことも多い。郭公の鳴き方学習は丁度これらの中間であろうか。ほぼこうなると期待できることに対しては最も効率良く、予期できないどんな状況変化に対しても何とか少数でも子孫を遺して種を保存するという生物の最大目的に照らしてこれらのプログラムの使い分けがされているのだろう。

  『親はなくとも子は育つ』という。悪行集団の中でも社会的に善しとされる考え方の子供が育つからくり。数年前に前に反射という題で似たようなことを書いたが、この話は反射を完成させる為の学習方法がいくつかあるという事であろう。
太古の海に自己増殖する蛋白質の塊として発生した生物のしたたかさを垣間見た思いだ。

付記:
インドで発見されたオオカミ少女が遂に人間社会に溶け込めないまま死んだ。
話は鳴き方を学べなかったカッコウと絵がだぶって哀れだ。

●桜三昧 1998・4

  単身赴任している工場の前の通りは約400本の桜並木だ。固い蕾が一気に開き、数百メートルの見事な花のトンネルを作る。約2週間の満喫桜三昧。それもあってか、桜が気になる春であった。

   ・河津桜 1998.3.25
静岡県 河津町に早咲きに桜。40年前に銀行員が小さな若木を山で見つけて庭に植えた。避寒桜とソメイ吉野の自然交配種らしい。
今や7000本が1月末から2月末までの一ヶ月間、濃いピンクの花が河津町をうめる。種や接ぎ木で増やしたのだ。執念というと辛さ、苦しさなどの暗い側面が思われるが、こういう明るい、楽しい側面もあるのだろう。

   ・休日ヤビツ峠にて絶句 1998.4.初旬
      杉陰観残雪
      自踏枯草聴
      春陽片頬熱
      望満開桜里

   ・そして2句 1998.4.9
      花陰を 伝いて凌ぐ 雨宿り
      山桜 咲く時も雨 散る時も雨

桜は良い。 だらだら書きの駿河屋さえ詩人の気持ちにさせてくれる。

●原点 1998.4

  最近 ポケットに入るようなパソコンを買った。NECのモバイルギアMC-CS12型。WindowsCEで動く。単三電池2本で40時間動作するし、重さはたった400gだ。メモリは内蔵の8MBとオプションのフラッシュメモリだけ。
  でも、これでワープロ、表計算、電子メール、FAX,パソコン通信、WWWブラウズ等がこなせるのだからまったく不自由はない。今までは重さ2Kg、電池時間が2時間しかないMAC Duoをどこへでも持って歩いていたのに比べると全くの別世界。
  大きく重いカバンを長年持ち歩いてきたが、これからは一回り以上小さなもので済みそうだし、カバンの重さにあえぐ事もなくなりそうだ。

  出張報告やレポートを書く場所も変わりそうだ。事務所のデスクもしかり。今まではすべての仕事をDuoでし、メール送受が必要のあるものだけをDOS−MAC変換してデスクトップのWINマシンをメール専用機としてきたが、これからはWINマシンとの付き合いが増えそうだ。
  今のところ寮も家もMAC以外入室禁止という原則を破る気はないが、それもその内に変わるかも知れない。現に、この文章も寮のベッドに寝転んでモバイルギアでプチプチと書いている。
  キーボードが小さいのでブラインドタッチが出来ず、入力が面倒という致命的欠陥までも乗り越えた新天地。今まで疑問もなくベースとしてきたものが地殻変動、原点が変わった思いだ。

●晴耕雨読の舞台裏 1998.5

 ヘアリキッドが切れたので女房殿に買っておいて欲しいと電話して気がついた。単身赴任の寮生活も1年半を超えた。 消耗品は歯磨き粉、石鹸、シャンプー、ヘアリキッド、インスタントコーヒー、昆布茶、そして女房殿が毎日送ってくれるFAXの受信用紙だけ。
  あとは一週間分の洗濯物がカスの様に専用の篭に溜まっていくくらいのものだく。外見上はこれで快適な一週間が過ぎていく。部屋にいると食堂、トイレ、風呂などの衣食住とそれをサポートする電気ガス水道金融物流などなどのバックヤードシステム一切は見えない。

  古い言葉に第一線を退いた生活を晴耕雨読と表現することがある。方尺の庵と汁椀と若干の本があれば、たった一人、自分の面倒を見ながら悠々自適の暮らしが出来たという事かと思っていたが、、。
  実態は、現代ならさしずめ寮の管理人兼住み込みか通いの婆さんが一生懸命に呑気でぐうたらな主人の面倒を見ていたのではないか。

  晴耕雨読の裏側の『ったく、うちの先生は世話が焼けるんがから』という婆さんのつぶやきが聞こえてくる。これが社会生活というものだろう。

 -- 後記 --1998.7
買っておいてくれたヘアリキッドと一緒に3つ持ってきた石鹸。面倒だし忘れ勝ちなので、予備の為だ。
でも、なくなる度に女房殿に頼むのが良かったかなとも思う。里心とはこれか。

●あすなろ -- ハングリー精神 -- 1998.7

  週間ゴルフダイジェストを読んでいたら、カルロス・フランコ選手の談話記事があった。日本選手にはハングリー精神が無いので競りあったら負ける気がしないというのだ。
  日本選手の向上精神や練習量には頭が下がるし、フォームや打球の弾道の美しさは素晴らしいが、いざこの一番、この一打に賭ける執念が足りないというのだ。

  確かに、日本人には<明日は見ていろ僕だって>という傾向がある。素晴らしい結果を出す為にまず体を作り、フォームを研究し、欠点を克服していく。これは明日の夢を実現するための準備だ。良く東洋と西洋の比較を農耕民族と狩猟民族のたとえでするが、ここにもその原理が働いているのか。

  今逃すといつ出会えるかもしれぬ獲物をここでしとめる事に全力を尽くす狩猟民族。過去の全ての準備、練習はこの一瞬のためだ。
  作物を刈り取りながらも、明日まで待ったほうが収穫が多かったのではなかったかと一抹の思いがかすめる農耕民族。ほぼ完璧にゴールは守るが、さっぱり点がとれないワールドカップサッカーの結果を改めて思い出したフランコの談話であった。

●虎穴 -- 全米女子オープン -- 1998.7

  虎穴に入らずんば虎児を得ずという。彗星のように現れ、あれよあれよと云う間に並みいるベテラン達を押さえて優勝したのは弱冠20歳の新人セリ・パク。
  実体験の世界でのこのことわざの難しさを考えさせられた今回の全米女子オープンであった。

  虎児を得るには、虎穴に入る勇気が必要なのは云うまでもないが、親虎の在不在を見極める眼力、穴に入って素早く虎児を抱えて出る技術、チャンスを待ち掴まえる忍耐力と決断力などの技量、そして虎穴を発見し自分の力の範囲でチャンスを得て大きな怪我もなく目的を達する運の良さが必要とされる。

  希に虎穴に入るのであればこれらの能力の中で勇気と運の良さだけが分け目。問題は虎穴に入るのを生業とする者だ。生業は致命的失敗を排除しつつ成功確率をいかに上げるかが課題。
  技を磨いて備える事の重要さがここにあるのは当然として問題は勇気だ。初心者に要求された未知の脅威を振り払うとは別の勇気。
  経験を積めば積むほど失敗を恐れて後込みし機を失する。失敗を恐れずに突き進む勇気が湧かないのだ。

  仮に運が良いとしても勇気がなければ事は成らぬというのがこのことわざの言いたいところだろうがさてどちらの勇気を指しているのだろうか。

追記 1998.8:
  放置して遂に眠れなくなるほど痛む虫歯にせき立てられて歯医者に飛び込んだ。そこで眼にした泣き叫ぶ子供。前に痛かったのでそう易々とは騙されず、なかなか口を開けない。
  失敗は勇気を挫く。ときに蛮勇が必要とされる所以か。蛮勇をふるう事は人後に落ちぬとしても、穴を探して薮を漕ぐ内に蜂にさされ、苦労して入ってみたら親虎ばかりなどなど、成せば成るよりも成しても成らぬ体験の多さ。
最近、この運の部分の大きさ重さが気に掛かる。

●あとがき 1998・9

  今日、雑気雑記(2)のワープロ化を終了した。前回のワープロ化から丁度4年か。気持ちだけでも技術者たり続けようとしてか、力みや焦りが溢れる文章が増えてきた反省。21世紀はもう目前。

使用機種 :パソコン PowerMac 4400/200
        サブパソコン Mac Duo2300C、MobileGear MC-CS12
        プリンター CANON BJC-440C
使用ソフト:
YooEdit,PocketWord,PageMaker4.5,KlarisWorks4,MacDrawPro,ResEdit
                                      1998・9・14完


>>雑記雑記2 完<<